
これは、スター社員でもなんでもない、普通のサラリーマンの身の上に起きた出来事。ひとりのビジネスパーソンの「人生を変えた」社内起業という奇跡の物語だ。
「ふざけるな!」
増井は、机を強く叩き、怒りをあらわにした。彼の声はオフィス中に響き渡った。
「俺たちは何も悪いことはしていない! なのに、なぜ!」
グランプリ受賞からわずか数週間だった。メロディーライフのオフィスは、重苦しい空気に包まれていた。増井の怒りは、理不尽な仕打ちに対する憤り、そして、大切なプロジェクトが危機に瀕していることへの焦燥感からくるものだった。
「落ち着いてくれ、増井君。まだ、すべてが終わったわけではない。」
石井は、冷静さを保とうと努めながらそう言った。しかし、彼の声にも怒りと悲しみが滲んでいた。彼は増井の無実を信じ、プロジェクトを成功させたいと心から願っていた。それなのに、理不尽な理由でプロジェクトは頓挫し、増井は責任を問われ自身も降格処分となったのだ。
「落ち着いて!? どうやって落ち着けって言うんですか! ネットではデマが拡散され続け、取引先からは契約破棄の連絡が相次いでいるんですよ!」
有田も、目の前の山積みの書類を指さしながら声を荒げた。顧客からの問い合わせや抗議の電話対応、炎上に対する釈明文の作成、メディアへの対応。彼女は、連日、寝る間も惜しんで対応に追われていた。
「西園寺先生も、心配して連絡をくださっているんです。私たち、先生になんて説明したらいいんでしょうか…」
森本は、不安そうにそう言った。彼女は、西園寺先生の期待を裏切ってしまうかもしれないという罪悪感に押し潰されそうになっていた。
「みんな、聞いてくれ。」
石井は、チームメンバーたちの動揺する姿を見て、苦渋の表情で口を開いた。
「来週の経営会議で、私たちのプロジェクトの今後が、決まる。」
彼の言葉に、オフィスは静まり返った。
「社長からは、10億円の投資を白紙に戻す検討をする、と言われている。」
石井の言葉は、重く、チームメンバーたちの心に突き刺さった。
「白紙に戻す検討? そんな…!」
鈴木は、信じられないという表情でそう呟いた。彼女は、増井の父親の無実を確信していた。それなのに、なぜ、こんなにも理不尽な仕打ちを受けなければならないのか。
「最終審査のプレゼンでは、あんなに、絶賛してくれたのに…」
五十嵐は、困惑と落胆を隠せない様子で言った。彼は、心からこのプロジェクトを成功させたいと願っていた。北山製作所の再建、そして、自分自身の技術者としての再起をかけて。
「一体、私たちが、何をしたっていうんですか…?」

有田は、涙をこらえながら言った。彼女は、必死に希望を繋ぎ止めようとしていた。しかし、現実はあまりにも残酷だった。
誰もが諦めムードに包まれ始めていた。自分たちは何も悪いことをしていない。最終審査のプレゼンテーションでは、あんなに絶賛してくれたのに。なぜ、こんなにも不条理なことが起こるのか。
「増井さん…」
森本は、増井の隣に寄り添い、そっと手を握った。彼の瞳は怒りと悲しみで曇っていた。
「大丈夫、必ず、何とかなります…」
森本は、増井を励まそうとした。しかし、彼女自身も不安でいっぱいだった。
そんな中、本条が慌てた様子でオフィスに駆け込んできた。
「みんな、テレビを見て…!」
彼女の言葉に、全員の視線が、彼女に集まった。
「大変なニュースが…!」
本条は、声を荒げてそう言った。

「速報です! ダークウェブ上に、医療記録を含む大量の個人情報が流出したことが明らかになりました! 捜査当局は、サイバー犯罪組織の犯行とみて、捜査を進めています!」
テレビ画面に映し出されたニュースキャスターの言葉に、メロディーライフのオフィスは凍りついた。深刻な表情のキャスターが続ける。
「流出した情報は、氏名、住所、生年月日などの基本情報のほか、病歴、治療内容、投薬記録などの極めてセンシティブな内容も含まれているということです!」
「さらに、流出元は、大手電子部品メーカーである富士山電機工業のサーバーである可能性が高いとみられています…!」