第61話:石井の過去【100話で上場するビジネス小説】

YO & ASO

これは、スター社員でもなんでもない、普通のサラリーマンの身の上に起きた出来事。ひとりのビジネスパーソンの「人生を変えた」社内起業という奇跡の物語だ。

増井は、人工呼吸器を装着され、眠るように横たわる母親の姿を無言で見つめていた。

「お母さん、お願いだから目を覚まして!」

彼の祈りは、虚しく白い天井に吸い込まれていく。医師からは、容態は依然として予断を許さずいつどうなるか分からないと宣告されていた。仕事と引き換えに、大切なものを失ってしまうのではないか。そんな不安が増井の心を蝕んでいた。

その頃、富士山電機工業本社では、石井が藤堂から受け取った冷却素材の分析結果を前に、一人静かに過去の記憶に沈んでいた。それは、約20年前。石井がまだ若手研究員だった頃、藤堂と共に社運をかけた電子部品プロジェクトに携わっていた時のことだった。

石井は新素材の開発担当、藤堂はその素材を用いた電子部品の設計担当だった。そしてプロジェクトリーダーは、当時、営業本部長だった増井の父親、誠一郎だった。

誠一郎は持ち前のリーダーシップと行動力で、営業だけでなく開発部門も巻き込み、プロジェクトを牽引していった。しかし開発は難航した。石井が開発した新素材は、画期的な特性を持っていたものの量産化が難しく、コストも高かった。

藤堂は何度も設計を見直し、コスト削減と性能向上に奔走した。

「石井君、頼む! 何とかこの素材を、実用化させてくれ! このプロジェクトは会社の未来を左右するんだ!」

誠一郎は二人にそう熱く訴えた。

石井と藤堂は誠一郎の熱意に心を打たれ、寝る間も惜しんで開発に没頭した。そして、ついに彼らは不可能を可能にした。

石井は量産化に成功しコストも大幅に削減することができた。藤堂は新素材の特性を最大限に活かした、高性能な電子部品を設計した。

その結果、プロジェクトは大成功を収め、富士山電機工業は業界トップの座を奪還すると囁かれるまでの成功事例になった。

「君たちのおかげだ! 石井君、藤堂君、本当にありがとう!」

誠一郎は、二人に心から感謝した。石井と藤堂は、誠一郎と共に喜びを分かち合った。彼らは、このプロジェクトを通じて強い絆で結ばれた、戦友のような関係になった。

しかし、彼らの成功は長くは続かなかった。

その後専務に上り詰めた誠一郎が、横領の疑いをかけられ会社を追放されたのだ。

石井と藤堂は、誠一郎の無実を信じていた。しかし、会社側は彼らの言葉を聞く耳を持たなかった。

誠一郎を追い込んだのは、当時まだ平取締役だった黒田だった。黒田は、自らの出世のために誠一郎を陥れたのだ。

石井と藤堂は黒田の陰謀に気づいていた。しかし、彼らは何もできなかった。黒田は、会社の中で着実に権力を握りつつあった。彼に逆らえば自分たちも会社を追放されるかもしれない。石井と藤堂は沈黙を守るしかなかった。

誠一郎が会社を追放された後、石井と藤堂は黒田の息のかかった新たな開発本部長によって閑職へと追いやられた。そして、彼らが開発した新素材もまた闇に葬られてしまった。

藤堂は会社に絶望し、辞表を提出した。

「石井君、すまない。俺はもう、耐えられない。」

藤堂は石井にそう言い残して、会社を去った。石井は、一人残された。彼は、誠一郎と藤堂の無念を晴らすため、会社に残ることを決意した。しかし彼は、黒田の権力の前では無力だった。石井は、ただ耐えることしかできなかった。

そして時は流れ、石井は新規事業コンテストの事務局長に就任した。

彼は、このコンテストを通じて会社の古い体質を変えたいと思っていた。そして、彼は増井のプロジェクトにその希望を託していた。

(誠一郎さんの息子、増井君。私は、君を必ず成功させてみせる。そして、いつか黒田の悪事を、暴いてみせる。)

石井は、誰にも知られずに心の中でそう誓いはじめていた。

#新規事業

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