【ライオン 松井茜】失敗と成功、二度の挑戦で見えた景色。埋もれていた技術で「口の中の美容」に挑む

大久保敬太

「千ミツ(せんみつ)」といわれるほど、成功が難しいとされる新規事業開発。 そんな中、ライオン株式会社の松井茜さんは「二度目の新規事業」となる、口腔起点美容事業(※)「inquto」事業をリードしている。 「失敗する方が燃えるんです」と笑う彼女。連続新規事業の経緯と、二度目だからこそ見えてきた、新しい景色とは。

※ 口の中からアプローチする美容方法

松井茜

ライオン株式会社 ビジネス開発センター 統括部 ビジネスインキュベーション室 室長

大久保敬太(インタビュアー)

Ambitions編集長

【一度目の新規事業】憧れの花形部署から、n=1に向き合う新規事業へ

大久保:松井さんは現在、「二度目の新規事業」に取り組んでいる真っ最中と伺っています。まず、これまでのキャリアについてお教えください。

松井:はい、私は新卒でライオンに入社し、営業職を経て商品企画に異動しました。

テレビCMを打って、全国のドラッグストアに商品を並べる、いわばマス向けの施策です。憧れていた部署でしたし、すごい先輩たちに囲まれて、楽しく仕事していました。ほら、「努力は夢中に勝てない」っていうじゃないですか。本当に、それができる環境だったと思います。

大久保:なぜ、そこから新規事業へ?

松井:産休育休で仕事を離れたことがきっかけでした。ワンオペで、本当に孤独で、早く仕事をしたかったんですよ。

半年ほどで仕事に戻ったのですが、その時に気づいたんです。私がやっている仕事の先に、私はいないって。

当時、私は洗剤の商品を担当していました。でも、私のうちは洗濯機がなくてすべてコインランドリーを使っているので、洗剤を使わないんですよ。

料理することも、正直、好きじゃない。育児も好きだけど、仕事をしたい。

これまでやってきた膨大な生活者調査からペルソナにしていた「お母さん像」は、私じゃない。

自分がほしいと渇望するような、n=1の仕事をしたい。そう思うようになりました。

松井:ちょうどその年、社内で公募制のビジネスコンテストが始まりました。

「家で料理したくない 」という思いから、近所の飲食店さんの料理をテイクアウトする事業案を考えて応募したところ、事業化テーマとして採択されたんです。


ご近所シェフトモ

日々の夕食づくりを、ご近所の飲食店におまかせできるテイクアウトのマッチングサービス。2020〜2023年にかけてサービスを展開した。


コロナ禍の影響を受け、事業成長は乱高下

大久保:最初の起案で、そのまま事業化。すごいですね。その後の動きを教えてください。

松井:コンテストの翌年、2020年にサービスローンチ。まずは数店舗から実証実験を行い、2021年には登録者数6200名、加盟店50まで拡大しました。

大久保:松井さんのn=1のニーズは、確かにあったんですね。拡大できた理由は何だとお考えですか?

松井:ローンチ直後に起きた、コロナ禍が大きかったと思います。

飲食店側が苦境に立たされて、利用者側もステイホームで自炊が苦痛になる人が増えた。マッチングの需要と供給の両方が広がったんです。営業活動もスムーズでした。

競合デリバリーにあって、シェフトモになかったもの

大久保:しかしその後、2023年にサービスは終了しています。

松井:コロナ禍が落ち着いてくると、人気の飲食店さんにはお客さんが戻ってきました。テイクアウトは、飲食店さんにとってあくまで副業。やっぱりお店にきてくれるお客さんを大切にしたいものです。

お店から見て、「ご近所シェフトモ」はコロナ禍の売上を助けてくれる存在でしたが、次第に優先順位が下がっていったんです。

大久保:コロナ禍後もフードデリバリーサービスなどは多く存在します。違いは何でしょう?

松井:「ご近所シェフトモ」のコンセプトは、「地元でおいしい料理を作ってくれる飲食店さん」と「お子さんにおいしい料理を食べてほしい利用者」をつなぐことでした。

そのため、お店を「地域に根付いた飲食店」に絞っており、それが他のサービスとの違いでしたが……次第に成立しなくなってきたんです。

大久保:確かに、デリバリーの現状を見ると、「町のお店」ではない存在が多くあります。

松井:また、事業の序盤に大きな波が来たことで、「いけいけー!」って感じで拡大を急いでしまったことも原因でした。外的要因によって「下駄を履いている」状態に気づかず、調子づいていたんだと思います。

松井:また、n=1の想いではじめた事業とあり、ライオンのケイパビリティとほとんど関係がなかったこともあります。

営業をしていると、ビジネスモデル自体が厳しいということがいやでもわかります。

私の方から会社に撤退を申し入れました。

【二度目の新規事業】社内に眠る「宝」を発掘

大久保:一度目の事業立ち上げが終わったのち、松井さんはどうされたのでしょうか?

松井:ビジネスコンテストで事業化が決まると、起案者は「ビジネスインキュベーション室」に異動して事業に取り組みます。私も商品企画から異動して活動していました。

事業が撤退に終わったため、普通は別の部署に異動することが多いのですが……異動までの数ヶ月の間に二つ目の事業を立ち上げて、ビジネスインキュベーション室に残ることになりました。

大久保:すごい(笑)。そんな技があるのですね。

松井:別にルール違反ではないんですよ、前例がなかっただけで。2回目はビジネスコンテストの形ではなく、自ら事業開発の審査会に持っていき、部署に残りテーマを推進できることになりました。

大久保:二度目の事業について教えてください。

松井:「inquto(インキュット)口内美顔器VRインナーリフト」という美容機器です。

右・中央がinquto。左は前身のVISOURIRE

inquto口内美顔器VRインナーリフト

ライオンの研究技術から生まれた口腔起点美容器。口の中から表情筋を刺激することで、肌を擦ることなく、より効率的にリフトケア(※)を行う

※押し上げるように機器を動かすこと


大久保:テイクアウト事業から、まったく別の分野。どのように立ち上げたのでしょう?

松井:事業の撤退後、まずは振り返りをしました。やっぱり悔しい。分析して、次につなげなければいけません。

それと同時に、社内の「過去の失敗事例」を集めて研究しました。膨大なお蔵入りの中に、「口内美顔」があったんです。

当時、研究開発部門にあったイノベーションラボで「VISOURIRE(ヴィスリール)」という名称で開発、クラウドファンディングで展開し、その後撤退していました。

「口の中から美容」──着眼点が面白いですよね。お客様にも刺さったと思います。

だけど、その後一般販売の段階には進めなかった。

セールスやマーケティングをやりきれなかったこともあったと思います。見ているうちに「もっとできることがありそう」「こうすればうまくいくんじゃない?」っていっぱい思いついちゃって。

すぐに「VISOURIRE」の開発担当者に会いにいきました。

彼は技術者ですので、当然心残りはありました。それなら、もう一度「一緒にやろう」って。

大久保:そこまで魅了された理由は何だったのでしょうか?

松井:視点のシャープさも魅力ですが、何よりも使ってみたらすごいんですよ。

この美顔器は雑貨なので効果効能は標榜できないのですが、自分が毎日使ってハマってしまい、自撮りした写真を周りの人に見せて回りました。周りの方からも驚かれて、大きな自信になりました。

二度目の挑戦で重視した「利用者の心理」

大久保:口内美顔器の「VISOURIRE」は「inquto」として生まれ変わりました。具体的にどこを変えて再生したのでしょうか?

松井:商品開発の視点では、体験を見直しました。

美容グッズや美顔器は「続かない」ことが最大のハードルです。私も「VISOURIRE」を使っていたのですが、電池が切れて交換しなければならなくなった瞬間、そのまま放置して使わなくなっていました。

美容って、わくわくするし心地いいし、続けることが大事、それは皆わかってるんですよ。

でも、毎日育児もするし、家事もある。やっぱり忘れちゃう。だからこそ、いかに生活導線上に置かれるかが大事です。

使う時だけ取り出す道具ではなく、洗面所など目に見える場所に「置く」形状にし、電池交換不要な電タイプにしました。ちなみに1回の充電で1カ月もちます。

日々のお風呂で使いたいという人もいるため、防水にしました。

大久保:一つひとつの改善は小さなことのように見えますが、「体験」を捉え直すと、積み重ねの影響は大きそうですね。

松井:ビジネスモデルとしては、一度買ってもらえれば売り上げが立ちます。そのため短期的な売り上げには、正直あまり関係ないんですよ。

でも、長期的に利用してよさを実感してもらうことは長期的な口コミにつながりますし、口内美顔という新しい市場をつくるには欠かせないことです。

「口内」という共通点で、既存事業とストーリーを合わせる

大久保:「シェフトモ」の場合は、自社の既存事業との関連性の少なさを振り返りのポイントとして挙げられていました。

「美容」の場合は、ライオンのビジネスの中でどのような立ち位置になるのでしょうか?

松井:「口内」という共通点です。

ライオンは現在、ハミガキ・ハブラシといった「オーラルケア」から、「食べる」「話す」「笑う」といった口腔機能の向上にまで広げた「オーラルヘルスケア」を打ち出し、人々の生活習慣づくりに貢献する経営を目指しています。

そうした会社の方針に、私たちは「美」というアプローチで取り組む。口の中からケアする行為が広がることで、オーラルヘルスケアへの関心も高まります。

ライオンの目指す世界に、美容という入口からお客様をお連れする。

そんなストーリーをつくり、社内における事業の必然性を示しています。

大久保: 2025年の統合レポートでも、ポートフォリオマネジメントの「チャレンジ事業」として、ビューティケア事業が記載されていますね。全体のストーリーに沿っているのですね。

ライオンが「高価格帯ビジネス」を発掘する意義

大久保:inqutoの販売価格は2万9,800円です。値付けについても教えてください。

松井:これまでのライオンのマーケティングとまったく異なる市場とあり、面白さを感じています。

ライオンの主力商品は生活必需品なので、良いものをより手ごろな価格で買えることが喜ばれますが、1つ数万円することが普通の美容市場だと「高価格=信頼感」につながるんです。

もちろん技術や商品の質も大事です。その上で、ちゃんとお金を払ってもらう価値を示す必要がある。

とはいえ、ライオンは美容業界では新規参入で、確固たるブランドがあるわけではありません。そのバランスをとりながら設定しています。

大久保:ライオンさんの既存事業は薄利多売かと思いますが、inqutoは逆。利益率の高い事業になりますね。

松井:既存事業においても、付加価値の高い製品にシフトしています。その中でこれは「ニッチではあるが高単価高利益を目指したアプローチを開拓している事業」であり、それも会社に提案する時のメッセージにしています。

新しい売り方のノウハウは本業にとっても価値がありますから。

販売初日、予約が殺到

大久保:2025年9月から予約受付販売を開始しました。反響はいかがですか?

松井:それが、想定の3倍を超えるオーダーや引き合いをいただいています。まだ広告など行なっていないんですよ。プレスリリースを出しただけなのに。

初日なんて数名買ってくれればいいかくらい思っていたのですが、ページ公開の朝10時に一気に申し込みがきて100本ほど売れて……アドレナリンが出ました。

うれしい、けど落ち着いて。前回の反省があります。焦らずに、売れ行きを見ながら、徐々に販路を広げていくつもりです。

二度目の新規事業で見えた、新しい景色

大久保:二度にわたり新規事業をリードされてきましたが、一度目と二度目、違いはありますか?

松井:それはもう、大きく変わりました。

まず、社内における事業の立ち位置。

「ご近所シェフトモ」の時は、私がやりたい事業であり、それを会社に応援してもらっている感覚でした。

今の「inquto」は、会社が向かいたい方向と合致していて、なんなら「先に仕掛けているぞ」という自信があります。

だからこそ、粘り強く会社に提案し続けることができます。

もうひとつは仲間。二度目とあり、かなりチームビルディングに力をいれました。その結果、「Inquto」のチーム、すごいんですよ。セールスもマーケティングも開発も、社内のプロフェッショナルが集まってくれているんです。

「inquto」ではしっかりPDCAを回せていると思います。それが、一度目の事業とは大きく異なる点です。

大久保:なんだか、とても楽しそうにお話しされますね。

松井:私、以前「借り物競走が得意なタイプ」って言われたことがあるんですよ。一人で何かを成し遂げるよりも、人の力を借りて一緒に進めることは得意、という意味で。

自分でも、一人じゃダメだなって思います。

大久保:「社内起業」が、松井さんにとっての天職のようですね。

松井:みんなで夢中に取り組み、成果を上げて、みんなで喜ぶ。それが仕事の醍醐味です。

勝負はこれからですが、今月でいったん、発売までのフェーズが一区切りになるんですよ。みんなでビールを飲むのが楽しみです。


編集後記

松井さんは二度の事業開発の経験を評価され、ビジネスインキュベーション室の室長に就任されています。

失敗しても、それを糧にできる。

何度でもチャレンジできる。

チャレンジするほど、成功の確率が上がる。

それこそが、社内起業最大のストロングポイントであり、挑戦すべき理由になるのですね。

改めて、インタビューありがとうございました。最高のチームでの乾杯、とっても素敵です。

#新規事業

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