
これは、スター社員でもなんでもない、普通のサラリーマンの身の上に起きた出来事。ひとりのビジネスパーソンの「人生を変えた」社内起業という奇跡の物語だ。
「どうすればコストを下げられるんだ…?」
増井は、頭を抱えながら試算表を睨みつけていた。新型アクチュエーターの発熱問題は藤堂の冷却素材によって解決した。しかし、新たな問題が浮上した。それは、コストの問題だった。北山製作所との協力によって量産化の目処は立ったものの、それでも目標とする価格にはまだ届かなかった。
「増井さん、落ち着いて。きっと、何とかなります。」
有田は増井を励ました。しかし、彼女の心にも不安が渦巻いていた。彼らはあらゆる手段を講じてコスト削減に取り組んできた。部品の調達先の見直し、製造工程を効率化、そして無駄なコストの削減。しかしそれでも目標価格にはあと一歩届かなかった。
「このままでは、一部の裕福な人しかこの装置を手に入れることができない…」
増井はそう呟いた。
「確かに。経済的事情でピアノを諦めざるを得ない方々にも届けたいのに…」
有田も苦悩の色を隠せない。
「二人とも、少し行き詰まっているようね。」
静かに口を開いたのは、本条だった。彼女は、増井と有田の様子を静かに見守っていた。
「私たちが目指すべきは、顧客が負担する金額を減らすこと。販売価格を下げるだけがすべてじゃないわ。」
本条は、二人にリースや割賦販売という、発想の転換を提案した。
「確かに、月々の支払いにすれば、顧客の負担は大きく減りますね…!」
有田は、本条の言葉に希望の光を感じた。早速、有田は本条のアドバイスを受けながら複数の金融機関に連絡を取り、リースや割賦販売のスキームについて相談を開始した。
しかし、金融機関の反応は冷淡なものだった。
「ピアノ演奏補助装置? そんなニッチな製品のリースなんて、前例がない。リスクが高すぎる。」
「それに、北山製作所は、長年経営難に苦しんでいますよね? 本当に、量産を任せられるんですか?」
金融機関の担当者たちは、口々に厳しい指摘を投げかけた。
「やはり、ピアノ演奏補助装置だけでは、市場規模が小さいと判断されてしまうのね…」
有田は、落胆した様子で増井と本条に金融機関の反応を伝えた。
「他に何か方法はないだろうか…?」
増井も頭を抱えた。その時、有田の脳裏にある考えが閃いた。
「そうだ! グローバルコネクトとの提携の可能性を伝えれば…」
有田は、黒崎との会話を思い出した。あの時、黒崎はメロディーアシストの技術を遠隔操作ロボットに応用することに強い興味を示していた。
「グローバルコネクト?」
増井は、有田の言葉に、少し驚いた。
「ええ。実は、川島さんの紹介で前に会いに行ったグローバルコネクトが、私たちのプロジェクトに興味を持ってくれているんです。もし彼らとの提携が実現すれば、対象市場はピアノ演奏補助装置だけにとどまらず、医療分野や産業分野など大きく広がります! そうすれば、金融機関からの評価も変わるかもしれません…!」
有田は興奮気味にそう言った。
「なるほど。確かにグローバルコネクトとの提携となれば事業規模も担保力も桁違いになりますね。それなら金融機関も話を聞いてくれるかもしれません。」本条も、有田のアイデアに賛同した。
「有田、それは素晴らしいアイデアだ!」
増井も、希望に満ちた表情で言った。
「よし! 早速、川島さんに連絡してみましょう!」
有田はすぐに川島に電話をかけた。
「もしもし、川島さん? 有田です。実は、グローバルコネクトとの提携について、ご相談したいことがありまして。」

川島は、有田からの電話を受け、不敵な笑みを浮かべた。
(増井、お前は俺の手のひらの上で踊らされているんだよ)
川島は、自らの計画が順調に進んでいることに満足していた。