
これは、スター社員でもなんでもない、普通のサラリーマンの身の上に起きた出来事。ひとりのビジネスパーソンの「人生を変えた」社内起業という奇跡の物語だ。
増井は、深い青色の照明に照らされたステージ中央に立ち、静かに息を整えた。彼の隣には、会場に用意されたピアノの前に座る西園寺先生の姿があった。
「私たちメロディーライフは、指の不自由な方々が、再び自由に音楽を奏でられる世界を実現するために、ピアノ演奏補助装置、『メロディーアシスト』を開発しました。」
増井は、落ち着いた声でプレゼンを開始した。彼の声は、二次審査の時とは違い、力強く、そして温かさに満ちていた。それは、母親の病状が安定し、再びプロジェクトに集中できるようになったこと、そして、仲間たちの支えによって心の迷いが消え去ったことによる、自信の表れだった。
スクリーンには、西園寺先生とのメロディーアシスト開発秘話が、感動的な音楽と共に映し出される。西園寺先生のピアノへの情熱、指の変形という残酷な現実、そして、増井たちとの出会い。メロディーアシストの開発過程、そして、試行錯誤の末に、先生に再びピアノを弾く喜びを取り戻してもらえた瞬間。
映像が終わると、会場は静寂に包まれた。審査員たちは、感動と驚きを隠せない様子で、増井と西園寺先生を見つめていた。
「西園寺先生、よろしいでしょうか?」
増井は、先生に優しく声をかけた。先生は、静かに頷くと、メロディーアシストを装着し、ピアノの前に座った。
会場の照明が落とされ、スポットライトが、先生とピアノだけに当てられる。静寂の中、先生はゆっくりと鍵盤に指を置いた。そして、深呼吸をひとつすると、演奏を開始した。

ショパンのノクターン第2番。
先生の奏でる旋律は、力強く、そして繊細だった。それは、長年ピアノを弾くことができずに苦しんできた彼女の魂の叫びのようでもあり、再び音楽を奏でられる喜びに満ちた、希望の歌のようでもあった。メロディーアシストは、先生の心の動きを忠実に音へと変換していた。それは、単なる補助装置ではなく、演奏者と一体となって音楽を創造する新たな楽器のようだった。
演奏が終わると、割れんばかりの拍手が沸き起こった。審査員たちは立ち上がって拍手を送っていた。中には、涙を流している者もいた。
増井は静かに一礼し、再び語り始めた。
「今、西園寺先生が奏でた美しい音色は、単なる奇跡ではありません。それは、様々な技術革新と、熱い想いが融合して生まれた結晶なのです。」
スクリーンに、メロディーアシストの技術解説図が映し出される。
「クロスロード・テクノロジー社の高精度指先センサーは、指のわずかな動きを正確に捉え、演奏者の繊細な表現を可能にします。松田教授の開発した最新アクチュエーターは、人間の筋肉のように滑らかに動作し、自然な演奏を実現します。そして、私たちの開発したAI制御システムは、これらの技術を統合し、演奏者の意図を理解し、最適なアシストを行います。」
増井は、ひとつひとつの技術的優位性を、自信に満ちた声で説明していく。
「しかし、私たちは、技術革新だけを追求しているわけではありません。私たちは、この装置を一人でも多くの方に届けたい。そのために、リースや割賦販売というシステムを導入し、お客様の経済的な負担を軽減する仕組みを構築しました。」
増井の言葉に、審査員たちは深く頷いた。彼らは、メロディーアシストの社会的な意義とビジネスとしての可能性を、高く評価していた。
「さらに、私たちは、ピアノ演奏補助という枠を超え、医療分野、産業分野など、様々な分野への展開を目指しています。そのために、世界的な企業、グローバルコネクト社との提携も決定いたしました。彼らの持つ、次世代通信技術との組み合わせによって、今世界に広がりつつある遠隔操作ロボットの市場を大きく拡張できる可能性を秘めています。メロディーアシストが作る未来は、より多くの人々の生活を豊かにすることができると信じています。」
増井の言葉は、力強く、未来への希望に満ちていた。会場は、再び、大きな拍手に包まれた。
「素晴らしい! 増井君、君たちのチームは、本当に素晴らしい!」
「これこそ、私たちが求めていた、イノベーションだ!」
審査員たちは、口々に、称賛の言葉を述べた。石井事務局長もまた、静かに頷き、増井たちのプレゼンに、深く感銘を受けていた。
増井は、仲間たちと視線を交わし合い、静かに微笑んだ。彼らの挑戦は、今、まさに、新たな章を迎えようとしていた。それは、一人の老婦人の夢を叶えることから始まった、小さな奇跡が、世界へと羽ばたこうとしていた瞬間だった。