認知症対策に新たな活路を アイ・ブレインサイエンスが目指す、高齢者が長く活躍できる社会

UNIDGE

経済産業省の産学融合先導モデル拠点創出プログラム(J-NEXUS)に採択され、関西の産官学金が結集して大学発スタートアップ・エコシステムの形成を目指して活動する、関西イノベーションイニシアティブ(KSII)。 そして、「協業を科学」し、マッチングで終わらないオープンイノベーションの社会化を目指す、UNIDGE。 両者が連携し、関西エリアの大学発スタートアップに着目。この連載では、世界へ羽ばたこうとする各社の革新的な取り組みを紹介していきます。 第4回に登場するのは大阪大学発のスタートアップ、アイ・ブレインサイエンスです。2025年に日本国内で患者数が730万人になると予測される(※)、認知症。2019年11月に創業した同社は、独自の認知機能評価法を要素技術に、さまざまな領域で認知症対策に貢献しようとプロダクトの開発を進めています。 代表取締役社長を務める髙村健太郎さんに、話を聞きました。

髙村健太郎

株式会社アイ・ブレインサイエンス 代表取締役社長

HOYA株式会社、株式会社ニデック等で医療材料、医療機器、医薬品等の開発・製造・マーケティング等に従事。株式会社ジャパン・ティッシュ・エンジニアリング(J -TEC)を設立し取締役、株式会社メディネット取締役COO、株式会社スリー・ディー・マトリックス代表取締役社長。2019年11月より株式会社アイ・ブレインサイエンスの代表取締役、現在に至る。東京医科大学 医学博士(免疫学、眼科学)。

被検者の負荷を軽減。検査時間を短縮する、独自の認知機能評価法

──取り組んでいる事業について教えてください。

「アイトラッキング式認知機能評価法」という新たな認知機能の評価方法を用いた、医療機関向けに提供する「医療機器プログラム」と、一般の事業者向けに提供するアプリ「MIRUDAKEⓇ」を開発しています。

この評価方法では、まずタブレット型デバイスのモニターに、認知機能を評価するための画像や映像を使ったタスクを表示します。被検者にはモニター上の対象物を目で追いかけてもらい、その視線の動きを記録します(アイ・トラッキング)。

タスクに対する回答を導き出すためにかかった注視の時間や、視線の移動過程など、アイトラッキングによって得られたデータをスコア化。それをもとに被検者の認知機能を評価するのです。

一般向けアプリの実際の画面

アイ・ブレインサイエンスは、大阪大学発のスタートアップです。私自身は、これまでにいくつかのスタートアップ企業の設立に携わってきています。2019年の春頃、大阪大学の知り合いの教授から「面白いことに取り組んでいる准教授がいるから一度会ってみてほしい」と声がかかり、訪問しました。そこで紹介されて出会ったのが、認知症を専門に研究していた武田朱公准教授で、彼がアイトラッキングを活用した認知機能評価法を開発していました。

従来、認知機能の評価は、主に問診検査によって行われてきました。例えば、「五角形をふたつ重ねて同じ絵を描いてください」「100から7を5回引いてください」といった問題に解答してもらい、30点満点で評価するといった具合です。

このような問診検査の場合、被検者は上手く答えられなかった際、大きなストレスになります。一方の医療側も、検査には20分程度を要するので、かかりつけ医・開業医ではリソースがなく対応しにくい。認知機能検査を行い、認知症疑いという判断になれば専門医へ紹介して診断という流れになりますが、検査の実施自体が困難であることが大きな課題となっていました。

それを解決しようと生まれたのがアイトラッキング式認知機能評価法です。問診よりも検査の負荷が被検者にかからず、検査時間も3分ほどと短く済むために医療現場もリソースを大きく割く必要がありません。私が最初に見たときはプロトタイプでしたが、「役に立つ」と感じました。

武田准教授からは「この評価法を活用した医療機器をつくることができないか」と相談されました。科学技術振興機構(JST)から技術の事業化を目指した助成を受けていた研究だったため、過去何十年とヘルスケア業界に携わり、いくつかの企業の経営を担いながら新しいプロダクトを世に送り出していた私に白羽の矢が立った格好です。

こうした経緯から、私が代表となって2019年11月にアイ・ブレインサイエンスを設立しました。

日本初、神経心理検査で医療機器プログラムの承認

──「役に立つ」と思われたのは、過去のご経験をふまえて事業としての展望が見えたからでしょうか。それとも、医療業界のニーズの深さを感じ取ったからなのでしょうか。

両方あると思います。いくら役に立つものであっても、企業体として運営していく以上、事業を継続できないといけません。開発のための資金を得るところから、事業の出口までを考える必要があります。

会社設立の前にまずは医療機器として承認を得られるか、独立行政法人の医薬品医療機器総合機構(PMDA)へ相談に行き、可能性を探るところから始めました。まだ日本では、医療機器プログラム(※診断支援や治療など、医療機器としての目的性をもつソフトウェア)を認める制度が始まって間もなかったため、PMDAと厚生労働省に話をもっていき、感触を確かめました。

結果的に、私たちのプロダクトは2023年に日本で初めて、神経心理検査の分野で医療機器プログラムの承認を受けました。治験は非常にスムーズに進んだのですが、申請から承認までは1年10カ月ほどかかりました。通常の医療機器であれば1年ほどで済むところ、やはりこれまでにないプロダクトの承認ということで、想定より時間を要しましたね。

──医療機器プログラムとしての承認を受けて、これからプロダクトを世に届けるフェーズかと思います。どのような展開を考えていますか。

私たちの会社では、冒頭でも触れたように、ふたつのビジネスモデルを構築しようと考えています。ひとつは、医療機器プログラムとしての医療機関への提供。もうひとつは、介護サービスをはじめとする医療以外の事業者を対象にした一般向けアプリ「MIRUDAKEⓇ」の提供です。それぞれのかたちで提供しているものの中身には、実は同じ技術を活用しています。

では、なぜ2通りの提供方法を用意したかというと、認知症患者が圧倒的に多いためです。日本では、2025年に認知症の患者数が730万人に達すると言われています。これは65歳以上の高齢者のうち、5人に1人の割合に相当します。しかし、そのうちの2割しか認知症と診断されておらず、潜在的な認知症患者が数多くいるとされています。

その問題のボトルネックが、問診検査の実施数が追いついていないことなのです。かかりつけ医・開業医は本来であれば、認知機能検査を実施し、認知症の疑いがあれば専門医へ紹介します。しかし、実際は検査が問診式であることに加え、導入コストが高いため、実施されていないのが現状です。手軽に実施できるのであれば、かかりつけ医・開業医の方々も「自分たちで検査したい」と考えると思います。そこには確実なニーズがあり、かつ検査が広まることで認知症患者の顕在化も早く進みます。

そこで私たちは大塚製薬と提携し、専門病院、一般病院、一般診療所と、広く自社の医療機器プログラムを販売してもらうためのライセンス契約を結びました。大塚製薬は精神神経系の医療機関に対して強みをもっており、その点で私たちのプロダクトとの相性がいいと考えています。

介護施設、スポーツクラブ、生命保険会社……多様な業界で活用が進む

──医療以外の事業者を対象にした一般向けアプリにも取り組まれるメリットは何でしょうか?

一般向けアプリ「MIRUDAKEⓇ」は、認知症対策において大きなメリットがあると考えています。なぜなら、医療だけでは大人数いる認知症の潜在患者を見つけ出すことが困難なためです。医療以外のアプローチとしての役割を、MIRUDAKEⓇが担っていると考えています。

認知症対策として、まずは高齢者が日常的に認知機能を確かめられる機会を増やすことが重要であり、そのために一般向けアプリの提供が有効だと考えています。認知機能を確認し、認知症になる前に生活習慣の改善や運動の促進といった介入をすることで、認知症の進行を遅らせたり、予防したりすることが可能になるのです。

国も本格的に認知症対策に取り組もうとしています。2023年には、「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」(以下、認知症基本法)が制定されました。これまで、認知症施策推進5か年計画(通称、オレンジプラン)などの取りまとめによって認知症対策が進められてきましたが、ついに法整備による認知症対策が行われることになったのです。

MIRUDAKEⓇは自治体による地域住民への活用や、デイサービスなどの介護施設、高齢者の会員が増えているスポーツクラブ、認知症保険を提供する生命保険会社で導入が進んでおり、すでに成果が出始めています。ほかにも、高齢者は運転免許更新時に認知機能の検査が必要なので、その手段として応用できないかと考えています。

私たちは主に開発メンバーで構成された小さなスタートアップなので、行政や企業へのプロダクトの提供は各分野で代理店となる企業と連携し、販売を進めてもらっています。

「言語特異性の低さ」を強みに、海外展開を加速

──アイ・ブレインサイエンスの今後の展望を教えてください。

アイ・ブレインサイエンスは、研究成果をもとにプロダクトを生み出す開発会社です。認知症を検査するプロダクトをまず世に送り出しましたが、そこで貯まった膨大な視線のトラッキングデータを解析して新しいプログラムを開発したり、同様の神経心理分野のなかでもADHDやうつの症状を検査するアプリの開発を進めたりしたいと考えています。

また、創業当初から念頭に置いていたのですが、私たちが開発しているプロダクトや検査方法は、言語特異性が低いものになっており、多言語への対応が比較的容易に行えます。そのため、アジア、アメリカ、ヨーロッパと、海外展開が想定より早く進行しています。アジアのなかでも開発途上国は、認知症患者が増加傾向にありながら医療リソースが乏しく、課題を認識しながらも検査が進んでいない現状があります。その解決に私たちのプロダクトを活用してもらうため、アジア各国で医療機器として提供するための承認を得るべく、手続きを進めています。

日本での医療機器プログラムと一般向けアプリ「MIRUDAKEⓇ」の展開、プロダクトラインナップの拡充に向けた開発、海外展開の加速。これら3つを同時並行に進め、まずはIPOへ向けて取り組んでいきます。

※出典:「日本における認知症の高齢者人口の将来推計に関する研究」

interview & text by Tomoro Kato / photographs by Yuji Tanno / edit by Kento Hasegawa

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