複雑化を極める現代の社会課題。もはや単一の組織や特定の技術だけで、解を導き出すことが難しい時代になっている。いま求められているのは、異なる専門性やリソースが交差し、新たな結合が絶えず誘発される「イノベーション・エコシステム」の構築だ。 千年の歴史を持つ知の都・京都、商人の情熱が息づく大阪、世界をつなぐ港町を擁する兵庫。この三都を中心とする関西という巨大な知の集積地で、いかにして共創を生み出すのか。産業、自治体、大学、金融――。既存の枠組みを越え、広域的な融合のハブとして機能する「関西イノベーションイニシアティブ(KSII)」に迫った。
関西発のイノベーションを社会実装する回路をつくる
関西には独特のダイナミズムがある。世界トップクラスの研究力を誇る大学群が集積し、日本を代表するグローバル企業から、特定分野で世界シェアを握る中堅企業、さらには尖った技術を磨き続ける町工場までが共存している。この多様性こそが、関西の誇る稀有なポテンシャルである。
しかし、豊かな土壌がありながら、大学が生み出す「知」が社会に還流する導線は、必ずしも盤石ではなかった。専門性を深める研究者や、果敢に挑戦する大学発スタートアップの熱量を、外部の市場ニーズや産業界の課題と接続し、確かな社会実装へと橋渡しする「広域横断的なプレイヤー」は十分とは言えない状況にあった。
この課題に真っ向から挑んでいるのが、公益財団法人都市活力研究所が推進する事業「関西イノベーションイニシアティブ(KSII)」だ。同研究所は1989年の設立以来、地域のまちづくりや産業振興の現場に深く携わってきた。現在は「イノベーション・エコシステム」「ライフサイエンス」「まちづくり」の3軸を中核に、産官学金連携の深化や次世代の人材育成、戦略的な調査提言を通じて、関西の都市活力向上を牽引している。

KSIIはその新機軸として、産官学金で形成するイノベーション・エコシステムを利害のない中立的な立場で設計・運用する野心的なプロジェクトとして始動した。大きな転機となったのは、2020年9月、経済産業省の公募プログラム「産学融合拠点創出事業(J-NEXUS)」に採択されたことである。これを機に、広域ハブとしての活動は一気に加速した。
KSIIが提唱するのは、従来の連携の枠組みを一歩進めた「融合」だ。これまで産官学金の連携は、特定の研究室と特定の企業による点と点の結びつきに終始しがちであったのに対し、融合は大学側を「大学群」というネットワーク、産業界側を「広範な面」として捉え直し、双方が接触する領域を最大化することを目指す。
面的な広がりを持つ共創を促すことで、大学と産業界が同じ生態系の中で継続的に代謝し合う状態を理想に掲げている。
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大学発スタートアップを世界に押し上げる。多彩な大規模イベントの企画・運営
KSIIの活動は、複数のイベントによって外部に可視化されている。2025年の象徴的なイベントを見ていきたい。
<国際舞台へのパスポート「U-START UP KANSAI 2025」>
大学発スタートアップをグローバルな舞台へと押し出す支援プログラム「U-START UP KANSAI 2025」。5期目となる2025年9月のピッチイベントには、医療やAI、化学などの先端領域を切り拓く11社が登壇し、計346名の熱視線を浴びた。「グローバル・イノベーターズ賞」の副賞「CES2026」への出展権や航空券は、世界市場への直通チケットとなる。他にも国内外の投資家が集うカンファレンスへの登壇権やNEDOの支援優遇など、いずれも実利的な賞が用意された。
最大の特徴は、挑戦へのハードルを下げ、支援の実効性を高めている点にある。書類選考を簡素化し、応募段階からマッチングやメンタリングを提供。たとえ受賞を逃しても、事務局による伴走支援や投資家との接点が得られる設計は、初期のスタートアップにとって大きなメリットとなる。
<関西で構築したエコシステムを東京で広げる「UniverSeeds EXPO 2025」>
2025年にリブランディングした「UniverSeeds EXPO 2025」は、関西の大学群が誇る研究シーズを首都圏へ送り出す戦略的プログラムだ。同年12月4日、有楽町のTokyo Innovation Base(TiB)で開催された本イベントには、20校以上の大学が集結した。
あえて東京を舞台にする理由は、事業会社の本社機能や投資家が集中する場で出会いの質と量を最大化するためである。三井住友銀行との共同企画により、銀行ネットワークから潜在的な協業先を誘致。これほど多くの大学を東京へ動員できるのは、KSIIが平時から築いてきた大学群との強固な信頼関係があるからこそであり、他では容易に実現できない独自の取り組みと言える。
当日は為末大氏やちとせグループの藤田朋宏氏による講演に加え、ディープテックやバイオ領域の最先端プレゼンが展開された。

<金融機関という「信頼の網」で血流を促す「第3回 京阪神三都X(cross)」>
大学発スタートアップの技術を必要としているのは、首都圏の大企業だけではない。地域経済を支える中堅・中小企業へ技術を届けるため、KSIIは「京阪神三都X(cross)」という独自のマッチング施策を展開している。2025年8月の開催では、20機関・56名の金融機関関係者を含む、112名が参加した。
スタートアップが大企業の新規事業部門とつながる機会は相対的に増えたが、地域の中堅企業へ直接リーチするのは容易ではない。そこでKSIIは、各地域で深い信頼関係を持つ地方銀行・信用金庫と連携する。金融機関が取引先に対し、スタートアップの技術を解決策として提案することで、紹介の強度が一段上がるからだ。
KSIIは開催後数ヵ月にわたって「紹介面談」の件数を追跡。これまで3回の開催で、累計85件超の面談が実現しているという。
大学の実務者を支える「KSII参画大学連絡会」と「KSIIセミナー」
KSIIの真価は、イノベーター向けの華やかなイベント運営に留まらない。イノベーション・エコシステムを足元で支える「実務の担い手」への伴走にも力を入れる。大学の産学連携をつなぐコーディネーター、煩雑な契約や手続きを担う事務担当者――そうした現場のプロフェッショナルが抱えがちな孤独や行き詰まりに寄り添い、「支援者の支援」を行う。
従来、KSIIと各大学の間には日常的な連携はあったが、大学同士が横につながり、知見を共有する機会は限られていた。そこで2025年度から始動したのが「KSII参画大学連絡会」である。
大学発スタートアップ支援の現場には、機関ごとにそれぞれの事情や違いがある。連絡会ではあえて企業など外部プレイヤーを入れず、「大学実務を担う者同士」のクローズドな場に限定。公開の場では語りにくい悩みや体験談、学内ルール運用の勘所などナレッジを交換できる機会とした。

連絡会は、現場の声を吸い上げるリサーチの場でもある。34大学の規模や専門性は多様だが、対話を重ねるほど共通課題が輪郭を帯びてくる。KSIIはそれらを個別の悩みで終わらせず、支援メニューへと具体化し、交流で得た気づきを関西全体の産学融合を加速させる推進力へ転換していく。
その延長線上で生まれたのが、2025年に実施した全5回の「実務セミナー」だ。産学連携やスタートアップ支援の最前線で実戦を担う担当者に向け、「外部資金獲得の申請書作成のポイント」や「VCとの戦略的な向き合い方」など業務直結のテーマを厳選。KSIIのネットワークを生かし、専門家を講師として招聘している。参加者からは「急所がようやく腑に落ちた」「経験則が確信に変わった」といった声も上がる。
他大学に学び、自らをアップデートする――この循環が機能したとき、関西の社会実装の地力は、もう一段引き上げられていく。
「データ化できない機微」を汲み取る個別マッチング
「関西の大学発スタートアップの動向を把握したいが、どこに接点を持てばいいのか分からない」――。これは、東京を拠点とするVCや事業会社から頻繁に寄せられる切実な声だ。一方で、大学側もまた「自校のスタートアップを、真に理解ある投資家やパートナーに引き合わせたい」という強いニーズを抱えている。しかし、情報の非対称性が壁となり、両者が最適なタイミングで出会うことは容易ではない。
このミスマッチを解消すべく、KSIIが展開しているのが、アルゴリズムによる自動的な引き合わせとは対極にある「人間主体」のマッチング活動である。
メンバーが日々展示会や研究室へ足繁く通い、起業家の「いまの体温」を肌で感じることで、紙幅には載らない最新の状況を把握。データベースに、この極めて解像度の高い「現場の生きた情報」を掛け合わせることで、最適解を導き出していくのだ。

特筆すべきは、マッチングの成立を急がない独自のスタンスである。資金調達を渇望するフェーズもあれば、研究開発や販路開拓に心血を注ぐべき時期もある。KSIIは特定の営利目的やマッチング件数のノルマに縛られていない。そのため、相手の状況を無視した強引な引き合わせを極力避け、時にはVCから出資の打診があっても「いまはそのタイミングではない」と時期をずらす判断さえ厭わない。
このスタートアップ側の事情を最優先した伴走型の姿勢こそが、結果として「KSII経由の紹介は、精度の高い打率を誇る」という信頼へとつながっている。
この属人的かつ機動力溢れる活動を支えるのは、多様なバックグラウンドを持つプロフェッショナルたちだ。保険会社で複雑なステークホルダー調整を担ってきた者、大学知財の社会実装を支援してきた者、公的団体で中小企業のマッチングに奔走してきた者。それぞれの領域で「現場の困りごと」に寄り添ってきたメンバーが、日々の気づきをチーム内で即座に共有し、一つの有機的な知見へと昇華させていく。
産学の境界を溶かし、未来を動かす
KSIIは参画大学からは会費を徴収せず、活動趣旨に賛同することを条件に、現在34もの大学が名を連ねている。一方で、参画機関の内側だけで完結するクローズドな組織ではない。事業会社やVC、CVC(コーポレートベンチャーキャピタル)といった外部プレイヤーとは、あえて参画という形式的な枠組みに縛られない、柔軟で強固な個別のつながりを重視している。
理由は多様な投資家や企業との接点を広げ続けることこそが、結果として大学群やスタートアップ群に「良質な情報」や「事業のヒント」をもたらす源泉となるからだ。この広域なネットワークを介して得られる市場の解像度が、関西の知を社会実装へと導く確かな指針となる。
「産学の境界を溶かす、関西の研究シーズへの窓口」として、真っ先に想起される存在。それがKSIIの意義だ。独自の仕組みと信頼を基盤に、再現性のあるイノベーション・エコシステムの進化は続く。
text & edit by Yoko Sueyoshi / photographs by Kenji Utsugi
