“幸せは鬼の顔をしてやってくる”。圧倒的ポジティビティの「原点」とは

Ambitions編集部

2016年、ヤフーはホテルやレストランの予約サービスを手がける一休を約1000億円で買収した。直後に一休のCHRO(最高人事責任者)に就任したのが、長年同社に勤めてきた植村弘子氏だ。不安に包まれ、荒れる社内を鼓舞し、独自のカルチャーを維持しながら、一休の榊󠄀淳代表取締役社長らとともに、後の高成長へと導いた。飲食・旅行業界ともに大打撃を受けたコロナ禍では一休社内でラジオを立ち上げ、社員にメッセージを伝え続けた。 2023年6月、バイオベンチャーのユーグレナ社がCSXO(Chief Stakeholder Experience Officer=最高ステークホルダー責任者)を新設し、株主、顧客、社員ら多様なステークホルダーとの関係性強化のキーパーソンとして迎えたのが、植村氏だ。逆境に直面すると「よっしゃきた!」とガッツポーズ。その原動力は、幼い頃から経営者の父に叩き込まれてきたこの言葉にあるという。「幸せは鬼の顔をしてやってくる」。そのココロは──。

植村弘子

ユーグレナ社 執行役員 CSXO

2001年、新卒でエスビー食品株式会社に入社。コンビニエンスストアチェーン本部セールス 兼 PBブランド商品企画を担当。2006年10月より26番目の社員として株式会社一休にジョイン。2006年にローンチした一休.comレストランのセールス、一休.comのセールスを経て、カスタマーサービス部門でコールセンターの立ち上げ、改革を実施。2016年4月より執行役員CHROに就任、2016年7月から執行役員CHRO管理本部長。2023年4月、株式会社ユーグレナに入社。6月より執行役員CSXO 兼 人事部長。

経営者の父が家族に伝え続けた「原点」

「幸せは鬼の顔をしてやってくる」──これは、会社経営をしている父がずっと家族に伝え続けてくれた言葉です。「鬼の顔がきたら、幸せの入り口。楽しんで取りにいこう」と。 

父は月曜から土曜まで、私が起きている時間に帰ってくることは一回もなく、日曜日に会えるのが楽しみでした。そんな父の背中を見て育ち、いずれ私も経営者になると思ってました。

つらいこと、嫌なことは鬼に見える。普通は逃げ出したくなるもの──でも「幸せの入り口だ」とインプットされているので、どんな大変なことが起こっても家族全員、ニヤリと笑って「鬼がきた! 幸せの入り口だ」とチャレンジするように。「人生、つらいときほど学びがある。楽しもうぜ」という教えだったんですね。これが私の原点です。

周囲にもポジティブな人は多く、特に経営者。私の兄も経営者をしています。皆さんに共通しているのは“ポジティビティへの変換力”。「この先に何かが起きたとしても、必ずやそれを乗り越えられる」という自己確信を持ち、先を見据えて逆境を楽しんで乗りきれる状態をつくっている方が多いですね。

破壊者と呼ばれた新卒時代。自分を信じ勝ち取った「自分の棚」

小さい頃から“ポジティビティ変換の筋トレ”をしてきたつもりでしたが、新卒で入社した大手食品会社で壁にぶつかったことがあります。本社配属、ベテランの先輩たちの中で、どうやったら競合に勝てるか。それしか頭にない毎日でした。先輩の営業に同行し、日報で「先輩のプレゼンは甘い。これでは一生競合には勝てない」と書いたり、役員にも率直に言いたいことを言ったりしているうちに嫌われていき、「破壊者」というあだ名がつきました。

正しいと思うことをやっているだけなのに、うまくいかない。とにかく誰よりも足で稼ごうと、担当のスーパーを回りました。店舗が開く時間に行き、ジャンパーを着て店長の手伝い。店長に言われれば他社の商品の品出しやPOP作りも行い、帰りは店長を車で送って帰る生活。

信頼関係ができた頃のある日。店長に「何かしてほしいことってある?」と言われたので、カバンに控えていた提案書を出し「こういう棚を作ったら売れると思うんです」とプレゼンしたところ、即決。「自分で発注して、自分でPOPと棚を作って、売ってみろ」とチャンスをくださいました。お客さんの動線をずっと見てきたので、「この動線でこの棚を設けたら絶対に売れてもうかるはず」という確信があり、実際に売れたんです。

店長が良い事例として本部に報告してくれ、全店舗にその商品が配荷されました。それがきっかけで、社内でも「植村の変な熱意、いいな」「口だけじゃないんだな」と助けてくれる人が現われ、状況は好転していきました。

競合に勝ちたいと強く思い、自社の製品を学び、足を運び続けたことは間違っていなかった。愚直にやり続けることで、必ず結果を出せると信じていたんです。

絶望的な状況を救ったトップのポジティビティ

前職である一休の代表取締役社長の榊󠄀淳さんも常にポジティブな人。それを一番感じたのがコロナ禍でした。

宿泊事業、レストラン事業を手がける会社なので、コロナの影響は甚大。ひたすら続くキャンセル、絶望的な数字。途方に暮れているときに榊さんは、「じゃあ、コロナがどれぐらいで終わるか考えよう!」と。データサイエンティストらしく、毎週、社員に世界のコロナの状況と予測値をアップデートし続けてくれたんです。そして「必ず終わるけど長丁場になるから、今できることをやっておこう」と明示してくれました。不安の中で社員たちは毎月榊さんの話を楽しみにして乗り切りました。

組織としてのポジティビティを維持するために、トップが困難なときにどういうメッセージを出せるか。榊さんから大いに学びました。

このようにコロナという“鬼”がやってきましたが、困難なほど燃えます。私はCHROとして仲間と対峙している以上、みんなができる限り不安に思うことがないように動きました。私自身はずっと会社にいて、経営陣はいつでもオフィスにいるからね、と伝えていました。

毎週水曜日にはCTO(最高技術責任者)と2人、社員向けにラジオの生放送を始め、会社の仲間たちが楽しんで聴いてもらえるメッセージを出し続けていました。

一休は強くてすごい会社です。創業当時から成長し続け、長く素晴らしい経験をさせてもらってきた。だからこそ、もう一度、全然違う領域で泥だらけになる経験をして、自分に賭けてくれた人や社会に恩返しできる状態にしていかないとバチが当たる。そう考えるようになりました。

人生を賭けてやりきる 生涯かけての冒険が始まった

ユーグレナ社との出合いは12年ぐらい前。出雲さん(ユーグレナ社創業者の出雲充代表取締役社長)の話を聞く機会があったのですが、心を打たれて涙が止まらなかったんです。社会、世界、地球レベルで、真っすぐ何かを成し遂げようとしている。こういう人が世の中にいるんだと──。そこから株主になり、商品も愛用してきて、縁あって今年4月に入社しました。

たぶん、鬼の顔は今ユーグレナ社にきたのかもしれません(笑)。普通に考えたら、「ミドリムシで世界を救う」ってかなり難しいことですよね。不可能に近い。だからこそ、不可能にチャレンジするユーグレナ社の目指す世界はとてもハードルが高いけど、人生を賭けてやりきると決めて入った。私にとっては生涯かけての冒険です。

やろうとしていることはハードワークですが、一人じゃないですしね。やっぱり私は組織が好きなんです。チームというものがすごく好きなんです。一緒に泥だらけになって、どんなに難しいことでも一緒に突破しようとしてくれる仲間がいる。一人じゃないって、最高じゃないですか。

今、入社して5カ月(取材時)。40ぐらいある社内の全チームのみんなと座談会をやっています。結果も出したいし、会社として早く強くなりたいのだけど、みんながこれまで必死にやってきたなか、いきなり魔法のようなことは起こせません。

厳しいことも伝えなければいけない。でもちゃんと丁寧に話して、伝わるまで伝える。知ったかぶるんじゃなくて、教えてもらいに行く。急がば回れ。欲しがりません、勝つまでは。そう自分に言い聞かせています。

ユーグレナ社を人生最後の会社に。その気持ちを込め、入社の記念に購入したという緑色のアクセサリー。「ユーグレナ(和名:ミドリムシ)」からスタートした会社なので、何か1点身につけようと。緑色の洋服など、こだわり始めると大変なので、ネックレスにしました」
ユーグレナ社を人生最後の会社に。その気持ちを込め、入社の記念に購入したという緑色のアクセサリー。「ユーグレナ(和名:ミドリムシ)」からスタートした会社なので、何か1点身につけようと。緑色の洋服など、こだわり始めると大変なので、ネックレスにしました」

(2023年9月29日発売の『Ambitions Vol.03』より転載)

text by Aki Hayashi / photographs by Yuki Ohashi / edit by Shuko Naraoka

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