エッセイスト平野紗季子の創造力に迫る。胸が躍る瞬間を、全力で人生に差し込む

林亜季

小学生の頃から20年以上「食日記」を書き続け、大学在学中に開設したフードブログが話題となり文筆活動を開始。 独創的な言語感覚で味覚の輪郭を描き、「食」を共通項にエッセイ、企画、Podcast、菓子ブランド運営とさまざまなフィールドを自在に横断する平野紗季子氏。 地元福岡の原風景や、コピーライターとして鍛えた企画術、独自のワークスタイル・マインドセットを武器に、唯一無二の存在感を放つ。彼女の哲学と実践を紹介したい。

平野 紗季子

エッセイスト・フードディレクター

1991年、福岡県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。新卒で博報堂に入社、コピーライターとして活躍。エッセイスト・フードディレクターとして独立、執筆・企画・ラジオパーソナリティなど多岐にわたり活躍し、菓子専門ブランド「ノー・レーズン・サンドイッチ((NO) RAISIN SANDWICH)」の代表も務める。著書に『生まれた時からアルデンテ』『私は散歩とごはんが好き(犬かよ)。』『味な店 完全版』『ショートケーキは背中から』ほか。

包容力と憧れが同居する、外食の「原風景」

私が食べ物に深く関わることになったのは、福岡市内のあるロイヤルホストの道を挟んだ向かいの産婦人科でこの世に生を受けた瞬間から始まっています。地元福岡のあちこちで視界に飛び込む、オレンジ色の看板。物心がつくより前に「外食=ロイヤルホスト」という刷り込みが完了しました。ロイヤルの、「包容力」と「憧れ」が同居している感じが好きで、外食という体験が持つ根源的な力を感じます。

ロイヤルはずっと“変なまま”で居続けてくれているんです。変、というのは私にとって最大の褒め言葉で、マーケットインの合理性では説明できないようなメニューが登場するのもロイヤルの特徴。「これを世に出したいから出す」というむき出しのプロダクトアウト魂を感じます。

ロイヤルの「コスモドリア」はその象徴です。ドリアに栗の甘露煮という“要るのか要らないのかわからないもの”がなぜか入っていて、皿の完成度を跳ね上げているんです。一般的な企画会議では真っ先に外されてしまうようなものが入っていることに違和感というか、再現性の低さ、強い個性を感じます。そういうある意味余計なものにこそお店のアイデンティティは宿るのだと思います。

「パラダイストロピカルアイスティー」も“押しつけがましい個性”として外せません。ドリンクバーが登場する前、ロイヤルで冷たい飲み物を注文しようとすると、選択肢はなぜかほぼ「パラダイストロピカルアイスティー」一択でした。オレンジの輪切りが刺さっていて、ハワイの空港のような香りがして、最初は本当に苦手だと思っていたんです。ところが何度も何度も飲んでいるうちに、「嫌いが好きに転ずる」体験を授かりました。

家族にとってロイヤルはハレの日の舞台でもあり、地味な日常のよりどころでもありました。かつてロイヤルで焼肉ができて、家族でよく食べに行っていました。私自身も試験勉強や友人とのお茶、デート、上京後もロイヤル。仕事で疲れ果てて「もう無理」というときに駆け込んだり、締め切り間際に原稿を書いたり。いかなる私も受け入れてくれます。

10歳から始まった「食日記」

ただ、外食の魔法は一瞬で消えてしまいます。皿は下げられ、記憶だけが残る──。

小学生の頃、母にねだって文房具屋で一冊の「食日記」を買ってもらいました。当時10歳だった私は親に外食に連れて行ってもらうたびに、その日の料理やお店の空気、家族の会話、感じたことを書き留めるようになりました。

その当時はただの趣味で書いていただけで、誰かに見せるわけではなく自分のためにメモしてきただけですが、以来20年以上、スマホのメモも含めて外食の記録をつけてきました。

よく「言葉の選び方が独特ですね」とか「努力して語彙や表現を学んでいるんですか?」と言われますが、努力ではなく「慣れ」なんです。食日記の習慣が完全に今の自分につながっています。ほんの断片でも書き残せば、何年後でもその瞬間に帰ることができる。「食」に限らず、意識して言葉にすること、メモを取っておくことをおすすめします。

「まっさらな自分」で「差異」を感じられているか?

クリエイティビティの種は「区別」だと思います。メモを取る時は、他のものと区別がつかないとしっくりくる言葉に落ちないんですよね。例えばステーキだったら、肉の質、焼き方、お店の雰囲気など、「これはシルクのような」「これは草原のような香りがする」と、何かしらの区別が自分の中で発生しないと、そこに言葉を付与することはできません。

その食べ物独自の味だったり、他の食べ物やお店との違いだったり、そういった差異をしっかり見られるように、味わえるようになることが第一歩。まず差異を感じることができないと、言葉の表現だけが豊かでも類語辞典のようになってしまって、上滑りしてしまうと思っています。

食事って、誰かと食べることも多いので、なんとなく漫然と食べてしまっている人も少なくないのではないかと思います。特にフォーマルな会食となるとなおさら味がしないという人もいるのではないでしょうか。

今、この瞬間にこの食べ物と私が一対一で対峙している──。それはすごく贅沢な瞬間。集中することで、だんだんドアが開かれていく感覚を味わうことができます。普段、自分を客観的に見張っているようなもう一人の自分が消えて、自分はどう見られているのか、周りの人は何を考えているのか、そういったことが一切気にならなくなって、まっさらな自分になれる。そして、目の前の食べ物にひたすら夢中になっている。

まっさらな自分で何かを体験する、その没入感が、最終的には言葉の解像度の高さにもつながってくると思います。

まず集中して味わうこと、そして忘れないうちに書き付けること。この習慣がフードエッセイを綴るとき、企画書を書くとき、さらには菓子ブランド「ノー・レーズン・サンドイッチ((NO) RAISIN SANDWICH)」を立ち上げるとき……あらゆる場面で私を支えてくれています。食と記憶をつなぐ回路を、自分で維持し続けること、それが私のライフワークです。

言葉とは、企画とは。感動が先で、アイデアは後

大学時代の食にまつわるブログが話題になり、文筆活動をスタート、社会人になった年にエッセイストとしてデビューしました。同時に博報堂に入社し、コピーライターとして4年半勤めました。オフィスで先輩たちの背中を見ながら“言葉で人と社会を動かす”とはどういうことなのかを学んでいきました。

企画書とは、紙の上にしか存在しない未来を、読み手の脳内にありありと出現させる装置。その骨格をつくるロジックは先輩から盗み、芯になるコピーをひねり出す。博報堂で学んだのは「言葉が起点」という事実。店づくりでも商品開発でも、最初に「芯のあるコピー」を置くとチームの目線が揃います。効率を高めるためではなく、波長を合わせるための言葉。コピーライター時代に身につけた言葉の使い方は、大事な財産になっています。

あの修業期間がなければ、いま私が企画や事業計画を書くスピードも質も、まったく違うものになっていたと思います。「ノー・レーズン・サンドイッチ」の東京駅出店の際も、事業計画書を全力で書き、プレゼンしました。

一方、企画づくりに慣れるほど、ビジネスで一般的に使われている概念に違和感を覚えることもありました。たとえば「視察」って何だろう、と。海外のお店を駆け足で回り、店頭で撮った写真をまとめ、「日本でも『横展開』できそうなポイント」を箇条書きする──いわゆる効率化を求められる場面が増えるほど、そういったものから遠ざかってしまう自分がいます。

感動が先で、アイデアは後。体験に純粋に相対し、そこで心が揺れたならまず私自身が揺さぶられ、その余韻から思いつきが生まれる。私はそういう順序で創造性が生まれてくると思っています。最初から「使えそうな要素」を探しに行くような視察モードでは、心が動く前に脳がわかりやすいポイントだけを切り取ってしまうのではないか。まず一人の生活者として心が震えてから、アイデアが自然と出てくるという順番が自然だと考えています。

頭の中を現実に。“いらんこと”にこだわる理由

ロイヤルホストの栗入りドリアを食べるたび、「なぜこんな発想を世に出せたのだろう」と胸がざわつきます。そのざわつきは次第に別のベクトルでうずきはじめました。「自分の頭の中にあるものを、現実にしてみたい」。これこそが私にとってのクリエイティビティであり、「ノー・レーズン・サンドイッチ」創業の動機でした。

2021年、オンライン専門店としてスタート。構想はもっと前からありましたが、いざ会社化となると資金も人もリスクも一気に抱えることになります。菓子製造はキャッシュが詰まりやすく、配送コストも重い。それでも事業化に踏み切れたのは、「頭の中のバターサンドが、現実世界でどんな物語を紡ぐか見届けたい」という思いがあったからです。

そして今年3月、「ノー・レーズン・サンドイッチ」の第1号店をJR東京駅構内「グランスタ東京」にオープンしました。東京駅への出店は菓子ブランドにとって夢の舞台とも言われます。「東京ばな奈」のような国民的なお土産からハイエンドな菓子ブランドまで、さまざまな店舗がひしめき、入れ替わりも早い、いわば戦場です。

そんな東京駅では、効率性や合理性を追求し計算しつくされたお店が多いのですが、生成AIでいろんなことが合理化・簡略化されていく世界の中で、人間のクリエイティビティの価値とは何か──。

私はあえて“いらんこと”にこだわりました。クリームをたっぷり挟んだバターサンドのような店舗の什器は一からデザイン。オリジナルの熊のキャラクター。店頭でガチャガチャを回すとステッカーやグッズがランダムに出てくる仕掛け。普通なら「坪効率が下がる」と否定される装置にあえて投資したのは、「お菓子を買う」以上の、人を立ち止まらせ、胸が躍るような体験こそがブランドの価値につながると信じているから。オープン後は行列が絶えず、人気の商品は午前中で売り切れるほどで、反響の大きさが嬉しいです。

人生の中で、「胸が躍る瞬間」をどんどん、もう、できる限り差し込んでいきたいと思っています。自分の人生としてもそうですし、お菓子屋さんとしても、そういう瞬間をお客様にお届けしていきたいです。

人生を楽しむ主体であり続ける

働き方について聞かれると、必ず思い浮かべるフレーズがあります。ベストセラーとなった『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)著者の三宅香帆さんが提示した、「半身で生きよう」という言葉。全身全霊で働く社会から、仕事半分、それ以外に半分の時間を使う「半身」で働く社会に変わるべきなのではないか、という提言です。

私の場合、好きなことが仕事と完全に溶け合ってしまっているので“半身”の境界はあいまいですが、それでも意識しているのは、仕事と暮らしを分けない代わりに、どちらにも嘘を持ち込まないこと。自分が一番人生を楽しむ主体であり続けること。出張先でレストランを回るときも、「視察だから」ではなく、純粋に一人の客として食事に全集中する。その体験に感動し、その後に生まれたアイデアが仕事になっていく──結果的に「半身」のアウトプットになっているのかもしれません。

自分の人生が豊かであり、心が耕されていること以上に大事なことはない。むしろ自分の感覚を摩耗させないための努力の方が難しい、そう思っています。この姿勢は、これまでもこれからも変わりません。


著書紹介

『おいしくってありがとう 味な副音声の本』(河出書房新社)

私が5年前にJ-WAVEで始めたポッドキャスト&ラジオ番組『味な副音声 ~voice of food~』の約200回の配信からまとめた本になりました。吉岡里帆さん、平野レミさん、長濱ねるさん、ぼる塾 田辺智加さん、ハマ・オカモトさんら豪華ゲストを迎え、あらゆる語彙を駆使して「食」の楽しさをたっぷり詰め込んだ一冊です。

text & edit by Aki Hayashi / photographs by Takuya Sogawa

Ambitions FUKUOKA Vol.3

NEW BUSINESS, NEW FUKUOKA!

福岡経済の今にフォーカスするビジネスマガジン『Ambitons FUKUOKA』第3弾。天神ビッグバンをはじめとする大規模な都市開発が、いよいよその全貌を見せ始めた2025年、福岡のビジネスシーンは社会実装の時代へと突入しています。特集では、新しい福岡ビジネスの顔となる、新時代のリーダーたち50名超のインタビューを掲載。 その他、ロバート秋山竜次、高島宗一郎 福岡市長、エッセイスト平野紗季子ら、ビジネス「以外」のイノベーターから学ぶブレイクスルーのヒント。西鉄グループの100年先を見据える都市開発&経営ビジョン。アジアへ活路を見出す地場企業の戦略。福岡を訪れた人なら一度は目にしたことのあるユニークな企業広告の裏側。 多様な切り口で2025年の福岡経済を掘り下げます。

#イノベーション

最新号

Ambitions FUKUOKA Vol.3

発売

NEW BUSINESS, NEW FUKUOKA!

福岡経済の今にフォーカスするビジネスマガジン『Ambitons FUKUOKA』第3弾。天神ビッグバンをはじめとする大規模な都市開発が、いよいよその全貌を見せ始めた2025年、福岡のビジネスシーンは社会実装の時代へと突入しています。特集では、新しい福岡ビジネスの顔となる、新時代のリーダーたち50名超のインタビューを掲載。 その他、ロバート秋山竜次、高島宗一郎 福岡市長、エッセイスト平野紗季子ら、ビジネス「以外」のイノベーターから学ぶブレイクスルーのヒント。西鉄グループの100年先を見据える都市開発&経営ビジョン。アジアへ活路を見出す地場企業の戦略。福岡を訪れた人なら一度は目にしたことのあるユニークな企業広告の裏側。 多様な切り口で2025年の福岡経済を掘り下げます。