第2話:新規事業なんて【100話で上場するビジネス小説】

YO & ASO

これは、スター社員でもなんでもない、普通のサラリーマンの身の上に起きた出来事。ひとりのビジネスパーソンの「人生を変えた」社内起業という奇跡の物語だ。

朝霞が晴れた朝、増井博之はガラス張りのビル群に囲まれた会社に到着した。

増井の隣のデスクでは、眼鏡をかけた鈴木彩音がまだ誰も到着していない社内でパソコンと向き合っていた。彩音は、短大卒で入社したばかりの新人で、彼女の潔癖さと努力家の性格は、増井にとっては隣の芝生が青く見える存在でもあった。

「おはよう、増井さん。」

彩音が声をかけてきた。増井は返事をしてコーヒーを淹れ、冷えた手を温めつつふと彩音の作業を盗み見た。

「あれ、何してるんだ?」

彩音に聞いてみると、彩音は淡々と答えた。

「コーディングの勉強よ。」

増井は頭の中で彼女にリスペクトを送った。

その日の午後、富士山電機工業社全体がパニックに陥った。社内のネットワークが突如停止したのだ。IT部門が全力で対応し、結局一時間後には復旧したが、その間の社内はまるで戦場のようだった。知財部門のベテラン社員で、IT課長も兼ねる小笠原は、復旧作業を終えると一人ため息をついた。モニターには、不可解なアクセスログが残されていた。まるで、意図的にシステムをダウンさせたような痕跡があったのだ。

「一体誰が…?」

小笠原は、眉をひそめ、そのログを保存した。

その間、増井は手持ち無沙汰でウィンドウショッピングのウェブサイトを眺めていた。一方、彩音は一人静かに書物を読んでいた。彼女の読んでいた本「イノベーションの方程式」のタイトルを目にした増井は思わず声をかけた。

「それ、何?」

彩音は答えた。

「これですか? 今度、社内新規事業コンテストが開催されるって言うじゃないですか。だから一応読んでおこうかと思って。」

増井は驚いた。

「新規事業コンテストなんて、初めて聞いたよ。そんなの、誰か参加するやつがいるのか?」

彩音は頷きながら言った。

「まあ、だれも期待してないみたいですけどね。正直、私もただのタイムキラーだと思ってますけど、一応自己研鑽の一環として本だけは読んでみようかと思って。イノベーションって流行ってるじゃないですか。」

その時、彼らの会話を聞いていた、会社のエースであり増井と同期の川島が話に加わった。

「新規事業コンテストなんて無意味だ。自分の仕事に集中すべきさ。」

川島は、大手家電メーカー「ブルーオーシャン電機」からの大口契約をまとめ上げるなど、既存のビジネスで素晴らしい成績を残し、その実績が認められ新設されたコーポレート戦略課の課長にまで昇進していた。

その成功の裏には、彼が独自に構築した「ブルーオーシャン電機」を始めとする特定のクライアントとの強固な信頼関係があった。彼の人間力と交渉力が高く評価され、それが彼のキャリアを加速させた一方で、そこには一部に見え隠れする、一筋縄ではいかない手法が存在していた。

「だってさ、俺がどうやってここまで来たと思う? ハードワークと、既存ビジネスでの圧倒的な営業成績だよ。新規事業なんて不確実だしトライアンドエラーの連続だ。大事なのは、確実に営業で結果を出すことだよ。しかも数字でな。

例えば3年前、誰も見向きもしなかった小さなベンチャー企業があったんだ。当時、まだ無名だった『グローバルコネクト』という会社さ。俺は彼らの技術に可能性を感じて、小さな取引を持ちかけた。まわりは言ったさ。『そんな小さな会社相手に時間をかけるな』ってな。でも俺は違った。可能性にかけたんだ。当時の取引は金額こそ小さかったけど、今のグローバルコネクトの世界への躍進を考えると、あの時の関係構築が大きな意味を持っていたと言えるだろう?」

彩音も頷いた。

「川島さんの言う通りですよね。新規事業なんて甘いものじゃないと思います。」

この二人の現実的な見解に、増井も深く頷きその思考に同意していた。

「その通りだ。富士山電機工業に新規事業なんてつくれるわけがない。」

彼らだけではない。この時点では、富士山電気工業のほとんどの社員に新規事業なんていう言葉は空虚に響いていた。

【第3話はこちら】

#新規事業

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