第6話:空っぽのエントリープラン【100話で上場するビジネス小説】

YO & ASO

これは、スター社員でもなんでもない、普通のサラリーマンの身の上に起きた出来事。ひとりのビジネスパーソンの「人生を変えた」社内起業という奇跡の物語だ。

荒川チーム、通称「ギアーズ」と、飯島チーム、通称「ネットワーカーズ」は、互いのチームの進行状況を軽い口調で交わして探り合っていたが、次第に会話は熱を帯びてきていた。

「ギアーズは新型スマートウォッチのプロトタイプをほぼ完成させているんだ。信頼性のテストにはまだ時間がかかるけど、うまくいけば年内には公開できるはずさ。」

荒川がその開発の進捗で胸を張ると、飯島も負けじと反論する。

「それは素晴らしいけれど、わたしたちネットワーカーズは、すでに産業用ロボットの制御システムについて経営陣との最初の提案会議を成功させたわ。もちろん、まだプロトタイプの開発段階だけどね。」

2チームの白熱した進捗合戦を聞くにつけ、有田恭子と増井博之は顔を見合わせ、言葉を失ってしまった。まだまだ自分たちのプロジェクトはまだ曖昧なアイディアの域を出ておらず、具体的なプランや開発の進行は霧の中だったからだ。

社内食堂の喧騒から逃れて、有田と増井は静かなオフィスに戻った。会議室のテーブルに広がる資料の山。ライバルたちの活発な動きに比べ、自分たちの遅さが心に圧しかかる。誰もいない部屋に張り詰めた緊張感がただよい、失望にも近い感情がふたりをさらに追い詰める。

増井は、窓から流れ込む光を見つめながら静かに深呼吸をした。

「有田、僕らのアイディアが一向にまとまらない理由、何だと思う?」

突然の質問に、有田は一瞬言葉を失った。そして、しばらくしてから返答を絞り出した。

「それは…私たちが何を達成したいのか、まだしっかりとテーマを決めきれてないからかもしれません。」

有田の声は静かで、チームを結成した頃の力はそこになかった。

その時、増井が所属するデータ分析課の新人、鈴木彩音がやってきた。

「おふたり、何か、空気が重いですね。お困りですか?」

声をかけられ、有田は打ち明けた。

「そうね。ちょっとアドバイスが欲しいかな。深く考えずに、どんなものでも良いから。」

と打ち明けると、明るく彩音は言った。

「新規事業コンテストの件ですよね? 正直、まだアイディアのエントリー段階だし、あんまり完璧に作りこもうとせず、まずは気軽に出すだけ出してみたらいいんじゃないですか? あのコンテスト、応募者もそんなに多くなさそうですよ。」

無責任にも聞こえる回答だったが、逆にそれが二人には何故だか心に響いた。

「それもそうかもしれない。有田、僕らはあまりにも完璧を求めすぎて、思考が固まってしまっていたのかもしれない。」

増井がそう言うと、有田も頷いた。

「そうかもしれないですね。もう一度、全体像を大まかに捉えて、そこから少しずつ具体化していってみましょうか。」

有田と増井は、鈴木の言葉をきっかけに再びアイディア出しに臨んだ。しかし時間は容赦なく過ぎ、エントリーの締切日は刻一刻と近づいてきた。何度も議論を重ね、アイディアを練り直すものの、会議室での議論やブレインストーミングからは、画期的なプランが導かれることはなく、結局、最後まで満足のいく具体的な形にはならなかった。

そして、とうとう締め切りの日が来てしまった。

いまだに納得のいくアイディアがまとまらない中、最終的にエントリーシートに記載されたビジネスモデルは、当初から描こうとしていたヘルスケアデータプラットフォームビジネス以上の何かにはなっていなかった。むしろ、有田と増井の議論の中で生まれた数々の会話が中途半端に盛り込まれ、自分達が見ても複雑でわかりにくく、決して筋がよさそうには見えないものになってしまっていた。

二人はまったく納得がいっていなかったが、仕方なくその中途半端な提案書を出さざるを得なかった。

書類を提出した瞬間、有田は口元を硬く結び、つぶやいた。

「増井さん、一緒に提案を作ってくれてありがとう。でも、この内容じゃ審査を通過するはずなんてないですよね。」

増井もうなずき、二人は何も言わずに空っぽのオフィスを後にした。

敗北感と失望感に溢れた締切日を迎えた二人。しかし、増井はその帰り道でひとり、不思議な感情の高まりを感じて、自分自身に驚き始めていた。

はじめは新規事業コンテストなんて見向きもしなかったはずなのに、今は「審査を通過したい」という確かな感情が芽生えていること。満足のいくプランが作れなかった悔しさが胸に溢れていること。

これまで停止していた、増井のキャリアと人生に、小さくても確実に何かの変化が起こり始めていた。

【第7話はこちら】

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