第17話:公園のベンチで【100話で上場するビジネス小説】

YO & ASO

これは、スター社員でもなんでもない、普通のサラリーマンの身の上に起きた出来事。ひとりのビジネスパーソンの「人生を変えた」社内起業という奇跡の物語だ。

西園寺先生の部屋を後にした有田と増井、そして本条の三人は近くの公園のベンチに並んで腰掛けていた。夕暮れの空をオレンジ色に染め、静かな住宅街に、子供たちの楽しげな声が響いている。

「西園寺先生のこと、何とかしてあげたいですね。」

有田が呟くと、増井は静かに頷いた。西園寺先生の言葉、そして老いと孤独に苦しむ彼女の姿は、今もなお痛々しく彼の胸を締め付けていた。

「でも、電子部品でできることなんてあるのかしら。たとえば、手が不自由になった人でももう一度ピアノが弾けるようになるグローブ型のデバイスができたりすれば…って、そんなことSFの世界じゃないんだから無理ですしね。」

有田の言葉に、増井は顔を上げた。

「もう一度ピアノを弾けるように…。そうか、いや、可能性はあるかもしれない!」

「増井さん?」

「実は昔、大学で音楽とテクノロジーの関係を研究している教授の授業を受けていたことがあってね。その時に、筋肉の動きを感知して指の動きを補助する特殊なグローブの開発について聞いたことがある。」

「筋肉の動きを感知するグローブ?」

「そう。もしその技術が実用化段階に入っていて、それを応用できれば、西園寺先生のように指の力が弱くなってしまった人でも、再びピアノを弾けるようになるかもしれない」

増井の言葉に、有田は目を輝かせた。

「それが本当だったら、素晴らしいことですね!でもそんな技術、本当に存在するの?」

「確証はない。でも、調べてみる価値はある」

増井は静かにそう言うと、スマートフォンを取り出し何かを検索し始めた。

「あった!」

数分後、増井は興奮した様子で画面を有田に見せた。そこには「筋電位センサー搭載グローブ」という製品が紹介されていた。

「これですね! これが使えれば…」

有田は、興奮を抑えきれない様子でまくし立てようとした。しかし、本条は冷静な表情で二人の言葉を遮った。

「ちょっと待って、二人とも。確かにそれは興味深い技術だと思う。でも少し冷静に考えてみましょう。」

「本条さん?」

「私たちが本当に目指すべきは、特定の技術を導入することではなく、顧客である西園寺先生の課題を解決すること。そのために、本当に必要なものは何か、もう一度原点に立ち返って考える必要があるわ。」

本条の言葉に、有田と増井はハッとした。技術的な可能性に目を奪われ、本当に大切なことを見失いかけていたということ。

「本条さん。おっしゃるとおりですね。技術ありきではなく、顧客課題ありきで考えなければ。」

増井は、深く反省したように呟いた。

「たしかにそうですね。西園寺先生の本当の願いは、再びピアノを弾けるようになることだけではないかもしれない。もしかしたら、誰かと一緒に音楽を奏でたい、昔の生徒たちと繋がりたい、そんな想いも心の奥底には抱えているのかもしれない。」

本条の言葉に、有田と増井は改めて顧客の心の声を聞くことの大切さを実感した。

「まずは、西園寺先生に改めてお話を伺いましょう。そして、先生の本当の想いを理解した上で、私たちに何ができるのか、一緒に考えていきましょう。」

本条の言葉は、穏やかだが力強かった。

#新規事業

最新号

Ambitions Vol.5

発売

ニッポンの新規事業

ビジネスマガジンAmbitions vol.5は、一冊まるごと「新規事業」特集です。 イノベーターというと、起業家ばかり取り上げられてきました。 しかしこの10年ほどの間に、日本企業の中でもじわじわと、イノベーターが活躍する土壌ができてきていたのです。 巻頭では山口周氏をはじめ、ビジネスリーダー15組が登場。それぞれの経験や立場から、新規事業創出の要諦を語ります。 今回の主役は、企業内で新規事業を担う社内起業家(イントラプレナー)50人。企業内の知られざる新規事業や、その哲学を大特集します。 さらに「なぜ社内起業家は嫌われるのか?」など、新規事業をめぐる3つのトークを展開。 第二特集では、新規事業にまつわる5つの「問い」を紐解きます。 「企業内の新規事業からは、小粒なビジネスしか生まれないのか?」「日本企業からイノベーターが育たない。 人材・組織の課題は何か?」など、新規事業に関わる疑問を徹底解説します。 イノベーター必携の一冊。そろそろ新しいこと、してみませんか?