第18話 叶わぬ調べ【100話で上場するビジネス小説】

YO & ASO

これは、スター社員でもなんでもない、普通のサラリーマンの身の上に起きた出来事。ひとりのビジネスパーソンの「人生を変えた」社内起業という奇跡の物語だ。

数日後、有田と増井は、再び西園寺先生のアパートを訪れていた。

「この間は、突然お邪魔してしまってすみませんでした」

有田がそう言うと、西園寺先生は優しい笑顔で答えた。

「いいえ、こちらこそ懐かしいお話が聞けて嬉しかったですわ。増井君がこんなに立派になって。」

西園寺先生は、少し照れたように、増井を見つめた。

「あの、西園寺先生」

増井は、西園寺先生の視線に少し戸惑いながら切り出した。

「実は私たち、今、新しい事業を立ち上げようとしていまして。その中で、先生の力をお借りできないかと思いまして。」

「私の力?」

西園寺先生は、怪訝そうな顔をした。

「あの、先生は、ピアノを… また弾きたいと思われますか?」

増井は、西園寺先生の表情を伺うように言葉を慎重に選んだ。その瞬間、西園寺先生の顔から笑顔が消えた。彼女は視線を落とし静かに自分の両手を眺めた。曲がった指、節々が太く変形している。

「ええ。もちろん。もう一度ピアノを。そう思わない日はありません。」

絞り出すような声だった。

「でも、こんな指になってしまっては、もう夢のまた夢だから、あまり考えないようにしているの。」

西園寺先生は、震える手でピアノの鍵盤カバーの上を撫でた。

「今はもう奏でることはできないけど、毎日、この子に触れることだけが、せめてもの慰めなの。」

その言葉に、増井は胸を締め付けられる思いがした。西園寺先生にとって、ピアノは単なる楽器ではなく、人生そのものだった。長年ピアニストを夢見て厳しい練習に耐え、音楽大学に進学。そして、愛するピアノを通じて子供たちに夢を繋いできた。しかし、指の変形という残酷な現実は彼女から生きがいを、そしてアイデンティティを奪い去ろうとしていた。

「何とか、先生にもう一度、あの音色を奏でてほしい。」

増井は、心の中で強くそう誓った。西園寺先生の悲痛な想いは、有田の胸にも響いていた。

「電子部品で、できることはないのかしら…」

#新規事業

最新号

Ambitions Vol.5

発売

ニッポンの新規事業

ビジネスマガジンAmbitions vol.5は、一冊まるごと「新規事業」特集です。 イノベーターというと、起業家ばかり取り上げられてきました。 しかしこの10年ほどの間に、日本企業の中でもじわじわと、イノベーターが活躍する土壌ができてきていたのです。 巻頭では山口周氏をはじめ、ビジネスリーダー15組が登場。それぞれの経験や立場から、新規事業創出の要諦を語ります。 今回の主役は、企業内で新規事業を担う社内起業家(イントラプレナー)50人。企業内の知られざる新規事業や、その哲学を大特集します。 さらに「なぜ社内起業家は嫌われるのか?」など、新規事業をめぐる3つのトークを展開。 第二特集では、新規事業にまつわる5つの「問い」を紐解きます。 「企業内の新規事業からは、小粒なビジネスしか生まれないのか?」「日本企業からイノベーターが育たない。 人材・組織の課題は何か?」など、新規事業に関わる疑問を徹底解説します。 イノベーター必携の一冊。そろそろ新しいこと、してみませんか?