
──日本をアップデートするのは、企業の中から生まれる新規事業だ。 近年、伝統的な日本企業の中から事業が続々と生まれ、自社のアセットを最大限に活用し、一気に社会実装を進める。そんなダイナミックな変革が起きつつある。 新規事業と社内起業家(イントラプレナー)を表彰する「日本新規事業大賞」が、2026年に第3回を迎えた。本連載では、最終審査のピッチの模様を集中連載で届ける。 今回紹介するのは、株式会社日立製作所・岸功氏のプレゼンだ。デジタルアセット取引が世界で3,000兆円規模に拡大する中、金融犯罪対策(AML)の「分断された構造」を変えるべく、日立製作所が挑む「デジタルアセット取引AML共同化構想」。犯罪者がネットワークで動く時代に、守る側の業界インフラをつくろうとする挑戦だ。
デジタルアセットの拡大で、金融犯罪は「日常」になった
岸氏はピッチをこんな問いかけから始めた。
「皆さん、お金の安全は誰が守っていると思いますか? 実は膨大な犯罪対策は『人の手』で行われています。しかし今、その安全が崩れ始めています」
ビットコインなどの暗号資産、ステーブルコインなどのデジタルアセット取引は世界で3,000兆円規模にまで拡大している。その裏で、暗号資産に流れている世界の犯罪資金は7兆円以上だ。日本でも不正送金の37%が暗号資産に流れている。
「金融犯罪は完全にボーダーレスになりました」
金融犯罪対策はAML(アンチ・マネー・ローンダリング)と呼ばれ、銀行や暗号資産事業者が各社個別に取り組んでいる。日立が金融機関や暗号資産交換業者など50社以上にヒアリングを行った結果、暗号資産に係わる業界には3つの問題が浮き彫りになった。

- 年間360万件の調査を「各社が個別に」行っていること。
- 業界のAMLコストが178億円に上ること。
- 調査人材が不足し、業界内で奪い合いが起きていること。
「調査が増え、コストも増え、人が足りない。構造的な問題です」
犯罪者はネットワークで動く。守る側は分断されている
「犯罪者はネットワークで動きます。しかし、防衛側は孤立しています。守る側が分断されている限り、安全を保つことはできません。解決のためには、分断された業界構造を変えなければならないと考えました」

そこで岸氏は、「AMLを個社の業務から社会インフラに変える」という構想を立ち上げた。銀行と暗号資産事業者が情報を共有し、共同でモニタリングを行う仕組みだ。
構想の中心となるのは、日立が新たに立ち上げる「AML共同センター」だ。人材・情報・システムを共同利用し、リスク検知を自動化・高度化する。
各社はこれまで独自で行っていた調査から報告までアウトソーシングが可能となる。AML履行力の向上、コストの削減、人材不足の解消を同時に実現する仕組みだ。
一社の検知が、業界全体の防御力になる
この事業は「つながるほど強くなる」ネットワーク効果が本質だ。参画する企業が増えるほどデータが増え、精度が上がり、収益も伸びる。
競合企業同士での情報共有に疑問を持つ人もいるかもしれない。
それに対して、岸氏は次の解決策を講じている。
「共有するのは『顧客情報』ではありません。あくまで『犯罪シグナル』だけです」
これにより、ビジネス上は競合であっても、防衛上は仲間になることができる。

本事業は、すでに金融庁の支援のもと複数の省庁と連携し、推進中だ。
2025年2月には銀行・暗号資産事業者12社とともに実証実験を実施。一定のコスト削減効果を確認しており、2026年10月にはサービス開始を予定している。
収益モデルは、調査1件あたりの従量課金を計画。
さらに、世界中で最も厳しい日本の規制環境でこの仕組みが成立し、世界で通用する金融防衛インフラを睨む。
デジタル時代の信頼インフラを、日本から世界へ
岸功氏はピッチをこう締めくくった。
「金融犯罪はすでにボーダーレスになりました。ならば、守る側もボーダーレスに連携すべきです。デジタル時代の信頼インフラを日本からつくる。そして、金融決済社会インフラを支えてきた我々日立製作所こそが、挑戦すべきだと考えています」
個社の業務として積み上げてきたAMLを、業界全体の社会インフラへ。スケールの大きな挑戦に、会場から大きな拍手が送られた。
審査員との質疑応答
Q:グローバルに展開するとした場合、事業規模の目標はどのくらいですか?
A:「すでに海外からも問い合わせがあり、海外展開を前提とした場合は2032年に150億円を目指しています。さらにその上も狙えると考えています」
Q:実証実験の結果、実際の導入意向はどのくらいありますか?
A:「現在、数社と交渉中です。更に多くの企業に利用してもらうべく、活動しています」
──また、イベントの司会を務めた実行委員長の土井雄介のコメントによると、本新規事業はボトムアップ。いち社員から、社を超える巨大なネットワーク構想が生まれ、さらに実現しつつあるのだ。大企業の新規事業ならではの、社会的意義のあるサービスだといえる。
photographs by Kohta Nunokawa
