
メディアやコンテンツのデジタル化、若者の読書離れなどにより、長らく苦境に立たされている出版業界。そんななか、忘れられかけていた名著の「復刊」という手法を中心に、サイエンスノンフィクションやSF小説でヒットを出し続けている書籍編集者がいる。SFやミステリの分野で有名な老舗出版社、早川書房の一ノ瀬翔太氏だ。 約20年の時を超えて復刊した『スノウ・クラッシュ』は、SNSなどで話題を呼び、世界的ゲームデザイナーの小島秀夫氏が「時代が追いついた」とTwitterに投稿するなど、業界人からの注目度も高い。2022年には、当時29歳と異例の若さで課長に抜擢。老舗出版社でやりたいことを実現し、活躍し続けるための「着火法」を聞いた。

一ノ瀬翔太
早川書房 書籍編集部 課長
1992年生まれ。東京大学卒業後、早川書房に入社。1990年代の作品ながら「メタバース」に言及した、ニール・スティーブンソン作のSF小説『スノウ・クラッシュ〔新版〕』のほか、江永泉・木澤佐登志・ひでシス・役所暁によるnoteの人気読書会の書籍化『闇の自己啓発』、マイケル・サンデル『実力も運のうち 能力主義は正義か?』などの人気書籍を担当する。(編集部追記:2023年6月、新レーベル「ハヤカワ新書」を編集長として立ち上げ)
サイエンス本を読んでいると、謎の元気が湧いてくる
『ヒトの目、脅威の進化』『脳は世界をどう見ているのか』など、世界の見え方がガラッと変わるようなサイエンスノンフィクションでヒットを連発する一ノ瀬氏。そのルーツは、なんと失恋だったという。
「高校3年の終わりに失恋したんです。受験から解放されたときにそんなことがあり、『何のために生きているんだろう?』って、落ち込みました。でも、その時に『人間とは何か?』『宇宙とは何か?』みたいなノンフィクションに、すごく救われたんです。
例えば宇宙の本だったら、銀河系には太陽みたいな恒星が1000億個以上あって、さらに銀河も1000億個以上あって、みたいな話じゃないですか。そういう本を読んでいると謎の元気が湧いてきて、悩みがどうでもよくなったんです。その後、就職活動で自分がやりたいことを考えた時に、サイエンスノンフィクションを作る仕事であれば心を燃やせるかなと思って、早川書房に入社しました」
ノンフィクションやSFの魅力を広げたい
一ノ瀬氏は入社時を振り返り、「当時やりたいと考えていたことが、いま少しずつできている」と語る。
「入社試験で『あなたが解決したい早川書房の課題は?』という問いがあり、『ノンフィクションの日本人作家を増やすこと』『ノンフィクションの読書対象をSFやミステリの読者に広げること』と答えました。文学理論を研究する江永泉さんらが現代思想やカルチャーについて語り合う『闇の自己啓発』は、それら2つの課題を解決できたと思います」
元気をもらった本を「復刊」させるための挑戦
話題作を次々と編集する一ノ瀬氏だが、企画が通らなかった時期もあったと話す。
「2019年に、翻訳家さんからあるノンフィクションの日本語版の企画が持ち込まれました。ヒットを確信し、企画会議に出したのですが、私のプレゼン内容が不十分で通せませんでした。結局、他の出版社が発売し大ヒットしたので悔しかったですね。当時は自分の実績が中途半端で、売るための根拠もきちんと示せなかったんです。それからは企画を通すために、より試行錯誤するようになりました」
2020年頃から、一ノ瀬氏が手がけた本が書店やSNSなどで話題になり始める。本人もこの頃から手応えを感じられるようになったという。
「『不道徳な経済学』『ホット・ゾーン』などを2020年に出版し、好反応を得ることができました。特に『ヒトの目、驚異の進化』は7刷され、『SFを読んでいるみたい』という声も寄せられました。いずれも私が学生時代に読んでいたノンフィクションです。企画時は絶版になっていましたが、内容は古びていないし、いまこそ“面白い”と思ってもらえる作品だと感じました。なので“復刊”させて、あらためて世の中に届けたいと思ったんです」
いま、この本を読む必然性が伝わるように編集する
一ノ瀬氏が、復刊でヒットを生み出せた理由は3つあるという。SNSによるリサーチ、新しい読者層の設定、それにあわせた新しい装丁デザインだ。
「まず、復刊したい本の過去の反響を調べます。2010年頃に発売された本であれば、SNSなどで検索すると当時の反響が残っています。調べられるものはすべて目を通し、どういう読者にどんなポイントが響いていたのかを把握します。
さらに読者層も再考します。当時の読者だけでなく、いまならこの層にも響くんじゃないかと仮説を立てるんです。『スノウ・クラッシュ』を復刊する際は、シリコンバレーの有名起業家たちがSFに影響を受けていることと、「メタバース」という言葉が初めて使われたことを打ち出せば、IT系のビジネスパーソンに興味を持ってもらえるのではと考えました。
最後は装丁です。新しい読者層にあわせて、デザイン、サブタイトル、帯の推薦文も調整します。『スノウ・クラッシュ』は、スマートニュース創業者の鈴木健さんに解説文をいただきました。なぜいまこの本を読む必要があるのかが、読者に伝わるように作っています」
“異質な掛け算”という自分の強みに気づいた
こうした一ノ瀬氏の編集スタイルには、早川書房の先輩編集者たちに抱いてきたコンプレックスが影響しているという。
「早川書房には、私よりもSFやノンフィクションに詳しい偉大な先輩方がたくさんいます。例えば、1959年に私と同じ30歳で『S-Fマガジン』を立ち上げた故・福島正実さんは、編集者でありながら作家として小説も書き、翻訳を手がけ、評論家としても活躍されています。そんな人たちに比べると自分の強みってなんだろうって、いまでも考えます。
一方で、専門家になりきれないからこそ、SFやノンフィクションを別の文脈につなげ、新しい読者に届けることに面白さを感じます。そういった“異質な掛け算”が自分の強みなのかなと。これからも世界の見え方を変える本をたくさん世の中に出せると思うとワクワクします」
【私の着火法】
一部のかいわいでは注目されているけれど、まだ世の中には面白さが知られていない本を、どうすれば伝わるのかを考えているとワクワクします。
(2023年1月20日発売の『Ambitions Vol.02』より転載)
text by Reo Ikeda / photograph by Takuya Sogawa / edit by Kohei Sasaki