
「離島」と聞いて、ビジネスパーソンは何を想像するだろうか。 美しい自然、美味しい海の幸、温かい人々、独自の文化といったレジャーのイメージか。あるいは、人口減少、消滅可能性といった、現実的な負のイメージか。 2025年10月、長崎県の五島列島・福江島で「ONE KYUSHUサミット 2025 in 五島」が開催され、産官学の枠を越えて多様なプレーヤーが集まった。 本記事は、複数のセッションの中から「九州の離島経済と、その挑戦が描くつながりのかたち」で行われた「離島経済」に関する議論の一部を届ける。 海洋国家である日本に存在する有人離島は255、人口は日本の約0.5%。マクロ経済の文脈ではこぼれ落ちてしまう規模ながら、そこでは資本経済のオルタナティブとなりうる、日本の未来の探索が始まっている。 モデレーターはAmbition編集長の大久保が務めた。
(※)出典:「日本の離島の現況」(公益財団法人日本離島センター)
登壇者
山下賢太
東シナ海の小さな島ブランド株式会社 代表取締役
島守株式会社 代表取締役
一般財団法人かごしま島嶼ファンド 代表理事
SANROKU Inc. 取締役
株式会社アイランドフィルムズ 取締役
Encounter Japan Inc. 執行役員 ほか
鹿児島県甑島生まれ。JRA日本中央競馬会競馬学校を中退。きびなご漁船の乗組員を経て、京都造形芸術大学環境デザイン学科・地域デザインコース卒業。人口1759人の上甑島にて、半径400mの集落内で豆腐店やベーカリー、宿泊施設など21の事業を立ち上げ、地域固有の建設空間や公共施設の再生を行う。
2025年、鹿児島28島と連携し、新たなコミュニティ財団「一般財団法人かごしま島嶼ファンド」を設立。

平﨑雄也
株式会社カラリト 代表取締役
熊本県出身。東京建物株式会社に入社後、不動産の事業開発や経営企画業務に従事。34歳の時、同社で五島列島に出張したことを契機に、自らホテルの運営会社を立ち上げる。五島列島・福江島に移住し、2022年に「カラリト五島列島」を開業。
「ふるさとの情景を九州中につくる」をコンセプトに、宿泊に留まらない、さまざまな島のライフスタイルをプロデュース。現在、奄美大島での事業展開に向けて準備を進めている。

阪井祐介
MUSVI株式会社 代表取締役 / Founder & CEO
1999年ソニー入社から20年以上にわたり、距離の制約を超えて自然なコミュニケーションを可能とする通信プロダクト「窓」の実現に向けて、認知心理学、建築、インタラクションデザインの観点から研究開発を行う。
2022年にMUSVI株式会社を創業し「窓」のさらなる社会実装を進める。創業から2.5年で600台超を販売。離島をはじめとする遠隔地におけるコミュニケーションの課題を解決し、建設や医療、教育、金融などさまざまな現場で導入が進んでいる。

「離島」とは、「弱者」なのか?
──セッションではまず、「離島経済」そのものに向き合う。平崎氏は、世の中(本土)から離島に注がれる視点に「違和感」を感じるという。
平崎:僕は五島に移住して5年、ホテル運営は3年になります。その中で感じるのは、離島は本土から離れていることで「弱者」のように語られることです。
「本土が助けなければ、(人口減少で)沈んでいくんじゃないか」って。
確かに、僕は移住して、収入は1/3になりましたし、休日も1/3になりました。転職サービスなどのスコアでは「失敗」に分類されます。
でも、東京にいた頃より幸せなんですよ。とにかく働いて、1億とか平気でするようなマンションを購入して、35年かけて返済し続けるという行為が、東京では今も続いている。でも、給料とか待遇とか、そういうところから一歩踏み出してみると、全然違う人生があることがわかる。
都会から見ての「弱者」の姿は、実際には異なると思っています。

阪井:明治維新後の150年、いつの間にか日本の都市は「東京まで何分でつくか」選手権をやらされているんですよね。
しかし数万年の単位で見た時、海洋民族が行き来して文化をつくってきたのは、福岡や長崎、そして数々の離島だったわけです。
そして今、東京集中という古いパラダイムが変わりつつあります。たくさんの面白い人たちが、好きな風景とご飯の中で、好きなチャレンジをしている。
私は「窓」の事業を通して多くの離島や地域を訪れますが、その変化を強く感じます。

人口減少は「課題」ではない
──離島は「課題先進エリア」といわれることも多い。少子高齢化、若者の流出、生活インフラの継続危機など、さまざまな側面で課題が議論されている。この状況に異を唱えるのが山下氏だ。
山下:僕は「経済」という言葉を、英語のエコノミーではなく、語源である「経世済民」、つまり「世を治め、民を救う」という言葉をベースに捉えています。
それを前提に、今、島々を苦しめているものを考えてみると、その正体はかつての日本がつくった「システム」だと思うのです。
例えば「人口減少」。これは、そもそも問題じゃないんです。人口は今後100年減り続けます。しかし日本のシステムは、人口増加の時代に合わせたモデルになっている。つまり今課題といわれているのは、過去のシステムを維持するための論点なのです。
今日のイベントには高校生の方も来てくれているのでお伝えしますが、「社会課題」「地域課題」という言葉を使い、若者をそこに向かわせようとする大人たちに騙されないでください。
課題解決にやりがいや使命感を持つのは価値のあることですが、君たちは古いシステムを維持するために、課題に向き合う存在じゃない。
「人口減=悪」と思考停止になるのではなく、新しい時代に合わせた、次の世代のための行政やシステムをつくっていくべきです。そして離島とは、それができる先端の環境なのです。

阪井:一橋ビジネススクールの楠木建先生によると、1970年代までの日本では「人口増加」が課題とされていたんです。それが、今や人が減っていることが課題になっている。
人々は、常に恐怖心によって煽られているんですよね。繰り返しにはなりますが、当たり前と感じてしまう言葉に惑わされず、本当は今何と向き合うべきなのか、何が価値なのか、捉え直すタイミングにきているのですね。
離島は、今こそ鎖国をするべき
──課題先進エリア・離島が抱える課題は、課題ではない。そう捉え直すと、離島経済には従来のロジックとは異なるアプローチが浮かび上がる。

平崎:僕も島に来たばかりの頃は、青年実業家みたいに「五島を成功させたら、九州中に事業を広げる」と考えていたのですが、島で暮らしているとどうもそういう気持ちが落ち着いてくるんですよね。
五島には「よかよか」文化があって、みなさんよく「よかよか(いいよ、いいよ)」というんですよ。ある日なんか、クーラーボックスに120匹くらいの魚をいただいたりして、どう御礼しようかと困っていると「よかよか」って。非常に大らかで、他人に対して見返りを求めない。
東京をはじめとする都会にはない「余白」ですよね。離島の文化であり、よさです。
これを残していきたいと考えると、観光誘致や移住促進などの政策があることはわかりますが、僕はむしろ「開かず、閉じる」ことで、独自の余白を守るほうがいいと思う。
実際、僕のホテル運営では、積極的な宣伝活動は行っていません。僕らが「閉じる」ことで、僕が魅了されている「余白」の存在がごく一部の人に伝わり、外の経済圏からわざわざ人がやってくる、そういう現象が起きるんです。
「余白」は競争原理にはないものであり、今の時代に求められているものです。だからこそ、東京に迎合するのではなく、余白を持ち続けることで、勝手に人がやってくる。

山下:離島の「閉じ方」は大切な論点ですよね。
僕は、離島は「鎖国」をしましょう、と言いたいです。
「漏れバケツ理論(※)」がありますが、地域の中のお金がどこに漏れているか、今一度見直すべきなんです。
若い人が減り、新しいことが起こらなくなると、どうしても外から人や企業を呼びたくなる。しかし、盛大なテープカットをして、その後に何が残りますか?
お金も、技術も、人材も島にはストックされないのが実情です。
エコノミーとしての経済の話をすると、際限なく広がり続けるものではなく、有限であると耐え、どうストックしていくかに目を向けるべきだと思います。
※地域経済の発展を阻害している理由に、地域に資金を呼び込んでも中で消費されずに外に出てしまうことを挙げる理論。
革新的なアイデアでも、求められなければ意味がない
──セッションの後半では、「離島ビジネスに学ぶ、新しい経済のつくり方」をテーマに議論した。都会とは異なる価値観、資本よりも大切なものについて語った。

平崎:僕は五島に移住して事業を始めるまでの間、とにかく毎日飲み行きました(笑)。最初はスーツを着て、名刺を何百枚と準備していたのですが、結局社名じゃないんですよ。それに気づいてバカらしくなってきて。
居酒屋で、ひとりで3杯ビールを飲む。すると島民の誰かが話しかけてくれる。そこで、仕事の話や肩書きはなしにして、お酒を酌み交わす。それを続けていると、だんだんと「平崎くんだから話を聞いてあげよう」という関係が生まれてくる。
「肝臓を担保にしています」と冗談めいて言うこともありますが、社会の中での信頼関係はとても大切です。また、僕はただホテル事業をしているわけではなく、この土地の魅力をどう訪れた人に伝えるかということに取り組んでいます。
そこにはやはり、地元の人々との関係性は欠かせないのです。
山下:離島という小さな社会の中では、お金よりも「あの爺さんの孫」の方が重要なんですよ。血統というわけではなく、その社会において長い時間をかけて築かれた物語です。
外から来た人が、いくら正しいことを言って、お金を持っていて、あるいは世界を変えるすごいアイデアを持っていても、島社会から求められなければうまくいかないものです。
島でビジネスを行うには、自分が周囲の人々にとって「あなたにこういうことをしてもらいたい」という存在になれるかが何よりも大切なんです。
外から企業が入ってきて何かをしようとしても、当然ながら長い時間のストーリーはつくることができませんよね。そこで、離島ビジネスには、双方の価値をつなぐ翻訳者が必要だと考えています。
先ほど鎖国のお話をしましたが、江戸時代だって長崎に出島があったわけです。
離島経済は、弱者ではない

──山下氏の活動拠点である甑島でも近年、リゾートホテル建設を目的に、島外から企業が進出してくる出来事があったという。
山下:その時は、僕たちがその「翻訳者」として間に入りました。
外からくる企業には、僕らにはない資金や技術をたくさん持っています。しかし、地域の中での長い信頼関係がなければ、短期的にはうまくいっても長期的には成功しません。
これまで、離島であることで本土から経済的な文脈で危機感を煽られていたわけですが、実際に離島でビジネスを行うとなると、立場は逆です。離島で事業を行うことに対する危機感を、しっかりと煽ります。
はっきりと「この島では、協力者がいなければ無理ですよ。投資が無駄になりますよ」と伝えます。

──五島でホテル事業を行なっている平崎氏は、オーナーではなく運営会社という立ち位置。ホテルの売却などでオーナーが変わると、運営体制が変わる可能性があるのか。そう聞くと、平崎氏も山下氏と同様の意見を述べた。
平崎:それはできないと思いますよ。ホテル事業より先に、島内の関係性があります、強制的に運営会社を追い出したら、この関係性を否定することにすることになりますし、それは現実的ではありませんから。
離島から、次の時代のビジネスは生まれるか
──最後に、離島ビジネスのスケールや、島外への発展の可能性について聞いた。
平崎:事業としてスケールするものは、模倣できるということですよね。すると、オリジナリティを失って、離島が持つ一番大切なものが失われてしまいます。まず、その認識を持つべきです。
既存の社会システムが難しい状況になっていることはわかりますが、それをすべて変えることは難しいでしょう。そうではなく、離島という空間で、効率性や規模を求めるビジネスとは異なる価値観によって、別のシステムをつくることが求められていると思います。
スピードはスローでいい。効率を追い求めすぎない。そうすることでオリジナリティが生まれ、逆にゲストが来島したくなる構図になる。
もちろんホテル事業なので宿泊客がいてなりたちますが、必ずしも満室にする必要はないし、そうするつもりもありません。都会とは異なる設計をしていますし、それが他の場所では真似のできない独自の魅力だと考えています。

山下:僕は「スケールさせない」ことを大切にしています。よく、ビジネスの世界では成功事例を求められるものです。
しかし、島ごとに、地域ごとに、人も関係性も違う。ひとつのビジネスモデルを横展開する考えではなく、すべてが0→1の世界なんです。事例になりようがない。
簡単には横展開できません。しかし、島には資本主義にない原理原則がある。そこをベースに、地域に深く根ざした事業をひとつひとつつくり、ネットワークをつくっていくことに、僕は今チャレンジしています。

阪井:技術的な側面から見ると、従来のデジタルの通信から量子通信へと研究が進んでいて、0か1かではなく、その間に無限の回答があるという世界になってきています。
離れているのに繋がっている、むしろ離れていることでつながる、のような感覚の変化もおそらく起こってきます。
僕はそんな時代に北前船(※)のような文化を復活させたいと思っています。現在は、交通インフラやオンライン技術の発展によって距離の問題は減ってきているとはいえ、やはりそれは関係性を築く上での一部の切り出しでしかない。
濃い社会のコミュニケーションを誇る離島経済に求められる技術は、そいういことかもしれないと考えました。
※江戸時代中期から明治時代にかけて、大阪と北海道の間を日本海経由で往復し、各地の特産品を売り買いしながら商いをおこなった商船。運輸に留まらず、各地の文化や産業をつなぎ、広める役割を担った。

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「ONE KYUSHUサミット 2025 in 五島」は、前夜祭2セッション、本開催ではオープニング/クロージングを含む6セッションを実施。
離島で活躍する人、九州で活動する人、さらに域外からの参加者を含め130名程度が集まった。
また、今回から運営主体が20代中心のチームにバトンタッチ。学生から企業の役職者まで幅広い立場・年齢の人々が離島を訪れ、直接やりとりを行うという、ビジネスカンファレンスとして珍しい光景が見られた。
photographs by Daichi Mochida
