第46話:裏切りの記憶【100話で上場するビジネス小説】

YO & ASO

これは、スター社員でもなんでもない、普通のサラリーマンの身の上に起きた出来事。ひとりのビジネスパーソンの「人生を変えた」社内起業という奇跡の物語だ。

「松永?」

増井は、その名前を呟きながら、過去の記憶を呼び覚まそうと努めていた。薄暗く埃っぽい記憶の奥底から、徐々にその男の顔が浮かび上がってくる。

松永は、かつて増井の父、増井 誠一郎が営業部長を務めていた時代に、彼の部下として活躍していた優秀な営業マンだった。誠一郎は、松永の才能を高く評価し、彼を自分の右腕として信頼していた。増井自身も、子どもの頃に何度か松永と顔を合わせたことがあり、その温和な笑顔と、父を慕う姿が印象に残っていた。しかし、それは、すべてが崩れ去る前の儚い記憶でしかなかった。

増井が大学生の頃、父、誠一郎は、会社から横領の疑いをかけられ突如解雇された。決定的な証拠が出てこず、刑事告訴には至らなかったはずが、会社側は、誠一郎が不正に資金を流用したという状況証拠を突きつけ、脅迫した。誠一郎は、必死に無実を訴えた。しかし、会社側は彼の言葉に聞く耳を持たなかった。裁判で争うことも考えたが、多額の弁護士費用と裁判が長期化するリスクを考えると、それは現実的な選択肢ではなかった。結局、誠一郎は会社の要求に従い、退職金も受け取らずに会社を去ることになった。

その事件の後、誠一郎は、失意のどん底に突き落とされた。彼は、長年勤めた会社から裏切られ、社会的な信用を失い、家族にも深い傷を負わせてしまった。増井は、父を支えようと大学を休学してアルバイトをしながら家計を助けた。しかし誠一郎は、心を閉ざしたまま誰とも口を利かなくなってしまい、その後、急性心不全によってこの世を去っていた。増井には、父が本当に横領をしたとは信じられず、しかし無実である証明もできないままにこの世を去った父には、真実を聞くこともできず、心に深い闇を落としていた。

そんなある日、増井は、父の机の中から一通の手紙を見つけた。それは、松永から父に宛てた手紙だった。

「誠一郎さん、私は、会社に残ります。あなたを裏切ったこと、許してください…」

手紙には、そう書かれていた。松永は、会社側に寝返り、誠一郎を陥れるための証言をしていたのだ。

増井は、その手紙を読んで怒りで体が震えた。彼は、松永を心から憎んだ。父を裏切り、家族を不幸に突き落とした男。

(松永、お前が…!)

増井は、松永に復讐することを誓った。しかし松永は、事件の後会社を辞め、行方がわからなくなっていた。

そして今、増井は、再び松永の名前を目の当たりにしたのだ。

「松永は、黒田と、繋がっているのか…?」

「どうやら、松永は黒田の会社にヘッドハンティングされたようです。黒田は、松永の営業能力と富士山電機工業の内情に精通していることを高く評価したのでしょう」

本条は、冷静に説明した。

「許せない…」

増井は、歯を食いしばり、そう呟いた。黒田は、父を裏切った男を利用して再び自分たちを陥れようとしているのだ。

「増井さん、落ち着いて。」

本条は、増井の肩に手を置きそう言った。

「黒田と松永、そして、飯島。私たちを、徹底的に潰そうとしてくる人たちがいる。でも私たちは、負けるわけにはいかないですよね。事業化を果たし、必ず、お父様の無念を晴らしましょう。」

本条の言葉に、増井は、力強く頷いた。

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