
これは、スター社員でもなんでもない、普通のサラリーマンの身の上に起きた出来事。 ひとりのビジネスパーソンの「人生を変えた」社内起業という奇跡の物語だ。
個人情報漏洩事件の爪痕は深く、富士山電機工業の社内にはいまだ重苦しい空気が漂っていた。かつての活気は失われ、社員たちの顔には不安と諦めの色が浮かんでいた。株価は低迷し、主要取引先からの契約解除も相次ぎ、会社の未来は不透明なままだった。
そんな中、石井は新社長である鷹野剛の右腕として会社の再建に奔走していた。鷹野は、石井の誠実な人柄と会社への深い愛情、そして技術者としての高い能力を高く評価していた。
「石井さん、今回の事件は本当に残念でした。しかし、私たちはここからもう一度立ち上がらなければなりません。私は石井さんの力を必要としています。」
鷹野は石井にそう言った。彼の言葉は石井の心に温かい光を灯してくれた。石井は、自らの過去の過ちを深く反省していた。増井の父親の事件、そして荒川の不正を見抜けなかったこと。彼は、技術者としてのプライドと会社への忠誠心との間で葛藤し苦しんでいた。
「私は、二度と同じ過ちを繰り返しません。」
石井は心の中でそう誓った。石井は、鷹野の右腕的な存在として、まず、コンプライアンス体制の強化に取り組んだ。社内規則の見直し、社員教育の徹底、そして、内部通報制度の整備。彼は、二度と不正が起きないよう、あらゆる対策を講じた。そして石井は、吉川花子と連携し、会社の情報セキュリティ体制を強化した。吉川は自らの過ちを深く悔いており、石井の改革に積極的に協力した。最新のセキュリティシステムを導入し、社員のセキュリティ意識向上のための研修を実施した。また、外部の専門機関と連携し、定期的なセキュリティ診断を実施することで情報漏洩のリスクを最小限に抑える体制を構築した。
一方、飯島真理は失意のどん底にいた。広報部長に就任したのも束の間、彼女の過去の不正行為が社内調査委員会によって白日の下に晒されようとしていた。
知財部門のベテラン社員かつIT課長でもある、小笠原による鋭い調査が全ての始まりだった。個人情報漏洩事件の余波で進められていた社内調査の中、小笠原は飯島の不審な行動履歴に目を付けていた。彼女の社内システムへのアクセス記録には、通常の業務では必要のない社員データや経営資料に繰り返しアクセスした形跡があった。そして、それが外部メディアに情報が流出したタイミングと一致していることが判明したのだ。
「これは怪しいな。もし過去に不正があるなら、彼女に広報部長を任せていることは大きな問題になりかねない。」

小笠原は、すぐに社内調査委員会にこの疑惑を報告。徹底的な調査が始まった。しかし、飯島は追及される中ですぐに諦めるような人物ではなかった。彼女は、自らの不正を隠蔽するために、さらなる画策を始めた。調査委員会の動きに気づいた彼女は、過去のアクセス記録を削除しようとIT部門に圧力をかけ、証拠隠滅を図ろうとした。しかし、この動きも小笠原によってすぐに察知された。
「飯島さん、この時期に突然アクセス記録削除の依頼をするのは不自然ですね。何を隠そうとしているんですか?」
小笠原は、冷静に問い詰めた。
「いや、それは…。ただ、システム上の整理をしたかっただけよ。」
飯島は、余裕を装いながら言い訳をしたが、その声はどこか震えていた。さらに、飯島は調査の矛先を自分から逸らすために、調査委員会のメンバーや他の社員に対して、根も葉もない噂を流そうとした。小笠原が調査を私怨で進めている、増井たちのプロジェクトのデータにも怪しい情報がある、など虚偽の情報を社内に流布し自らへの追及を鈍らせようとした。
「小笠原さん、最近飯島さんから聞いたんですけど、増井さんのチームのデータに問題があるって本当ですか?」
ある社員が小笠原にそう尋ねた。
「何だと?」
小笠原は飯島の意図を即座に察した。彼女の悪意ある策略には冷静な彼も怒りを覚えた。
「飯島さん、あなたのやり方は見苦しいですね。」
小笠原は、調査委員会の場で、飯島を真正面から追及した。
「見苦しいですって? あなたこそ、私を標的にしているんじゃないの?」
飯島は必死に小笠原を非難し、調査委員会の信頼を失墜させようと試みた。
しかし、小笠原は用意周到に準備をして調査委員会に望んでいた。飯島が言い訳できないほどの物証を次々に突きつけたのだ。ゴシップ誌に送信されたメール、社内システムへの不正アクセス記録、さらには黒田元専務との密会を示す映像。これらの証拠は、もはや言い逃れの余地がないほどに彼女の不正を明確に指し示していた。
「飯島さん、これでもまだ自分は潔白だと主張しますか?」
小笠原の声は冷静でありながら鋭かった。追い詰められた飯島はなおも抵抗を試みた。証拠は捏造されたものだと主張し、調査委員会に同情を誘おうとした。しかし、委員会の誰一人として彼女の言葉を信じる者はいなかった。
「もうやめなさい、飯島さん。」
最後に口を開いたのは鷹野社長だった。その表情は冷淡で、彼女の行いに対して一切の情けを持たないことを物語っていた。
「飯島さん、これ以上見苦しい真似を続けても無意味です。あなたが犯した不正の数々は明白です。そしてその行為によって、会社に甚大な損害を与えたことも事実です。あなたには、会社を去ってもらいます。」
鷹野社長の言葉は凛とし、厳格そのものだった。
「社長! 私は…私は、ただ会社のために!」
飯島は必死に反論しようとしたが、鷹野社長の鋭い視線に言葉を失った。
「私は、信じていたのです、飯島さん。あなたなら、この広報部を立て直してくれると。しかし、その信頼を踏みにじったのは、他でもないあなた自身です。私は、絶対にあなたを許さない。」

鷹野社長の言葉は、飯島の胸に深く突き刺さった。信頼されていたからこそ、彼女は広報部長という重要なポストを任された。それを裏切った罪の重さを、彼女はこの瞬間、痛感した。
「今後、あなたとこの会社が共に歩むことは、決してありません。ご自分の行いを振り返り悔い改めることです。」
鷹野社長はそれ以上言葉を発することなく、冷たく視線を逸らした。その瞬間、飯島の心に取り返しのつかない喪失感が押し寄せた。
「……」
飯島は何も言えなかった。全てを失った彼女に残されたのは、絶望と孤独だけだった。

こうして、飯島真理は会社から追放された。その足取りは重く、彼女がかつて目指していた栄光の頂点は、今や遥か彼方の幻となっていた。信頼していた人間に断罪されるという現実は、彼女の精神を深く打ち砕き、その背中にはかつての野心と輝きはもう見られなかった。
石井は、鷹野社長から経営企画部門全体を統括する担当役員に就任するよう命じられた。彼は当初、その重責に躊躇した。しかし、鷹野社長の言葉が彼の背中を押してくれた。
「石井さん、あなたはこの会社を再生させることができる。私はあなたを信じています。」
石井は、鷹野社長の期待に応えるべく、決意を新たにした。
「私は、この会社を、必ず、再生させます。」
石井は、心の中で、そう誓った。
