第51話:二次審査当日【100話で上場するビジネス小説】

YO & ASO

これは、スター社員でもなんでもない、普通のサラリーマンの身の上に起きた出来事。ひとりのビジネスパーソンの「人生を変えた」社内起業という奇跡の物語だ。

新規事業コンテストは、いよいよ二次審査当日を迎えた。

富士山電機工業本社ビル最上階の役員会議室には、張り詰めた空気が漂っていた。巨大な窓からは東京の街並みが一望できるが、一次審査を通過した各チームのメンバーたちは、眼下の景色を楽しむ余裕などなかった。審査員席には、石井事務局長を筆頭に各部門の部長クラスが座り、鋭い視線を参加者に向けている。その視線は、まるで獲物を狙う鷹のようだった。

「それでは、新規事業コンテスト二次審査を開始します。」

石井の言葉が静寂を切り裂いた。彼の声はいつも以上に低く、そして力強く、参加者たちの心を引き締めた。

「本日は、一次審査を通過した5チームによるプレゼンテーション審査を行います。各チームには、持ち時間15分以内で自らの事業計画を発表していただきます。」

石井の言葉に会場の緊張感はさらに高まった。

トップバッターは荒川率いる「ギアーズ」だった。荒川は落ち着いた足取りでプレゼン台に立ち、プロジェクターに資料を映し出した。

「我々ギアーズが開発したのは、次世代型スマートウォッチ、『ヘルスギア』です。」

荒川は、自信に満ちた声でプレゼンを開始した。

「ヘルスギアは、従来のスマートウォッチの機能に加え、最新の生体信号解析AIを搭載することで、ユーザーの健康状態をリアルタイムでモニタリングし、健康増進をサポートする画期的な製品です。」

荒川のプレゼンは完璧だった。彼は、豊富なデータと巧みな話術でヘルスギアの優位性をアピールし、審査員たちの心を掴んでいく。

「ヘルスギアは単なるウェアラブルデバイスではありません。それは、ユーザーの健康を守る頼もしいパートナーとなるでしょう!」

荒川の言葉に会場からは感嘆の声が漏れた。

しかし質疑応答に入ると、石井事務局長から鋭い質問が飛んだ。

「荒川さん、ヘルスギアに搭載されている生体信号解析AIの精度は確かに素晴らしい。しかし、そのAIの開発には膨大な量のデータが必要だったはずだ。具体的にどのようなデータを使ってAIを学習させたのか、説明してもらえるかな?」

石井の質問に、荒川は一瞬言葉を詰まらせた。

「それは、強力な提携パートナーからデータを確保しています。」

荒川は、動揺を隠せない。ブラックボックス・データから入手した倫理的に問題のあるデータを使ったことは、もちろんプレゼンからも質疑からも巧妙に隠していた。

「その提携パートナーとは? どういった種類のデータなんですか?」

石井の鋭い視線が荒川を貫く。

「それは、先方の機密情報もありますので、情報開示の観点から次回の審査までにきちんとお答えできるようにいたします。」

荒川はなんとか取り繕ったが、その言葉は虚しく響くばかりだった。そんな荒川の動揺を石井は見逃さなかった。

(何か、あるな)

他のチームのプレゼンが続く中、ひときわ自信に満ちた表情でプレゼン台に立ったのは、飯島率いる「ネットワーカーズ」だった。彼女は、巧みな話術と華やかな身振り手振りで、産業用ロボット制御システム「スマートファクトリー」の事業計画を語っていく。

「スマートファクトリーは、AIと自動化技術を駆使することで、工場の生産効率を飛躍的に向上させる、画期的なシステムです! これは、まさに我が社が目指すべき、未来の工場の姿と言えるでしょう!」

飯島のプレゼンは、聴衆を魅了する力強さに満ちていた。事前に審査員たちに根回しを入念に行っていたこともあり、会場からは感嘆の声が上がり、多くの審査員が深く頷いている。

「素晴らしい! 飯島君、君たちのチームは、本当に素晴らしい! これこそ我が社の未来を切り開く革新的な事業だ!」

製造部の村田部長が、興奮した様子で飯島を褒め称えた。他の審査員たちも口々に賛辞の言葉を述べた。飯島はその反応に気をよくし、満足げな笑みを浮かべた。

しかし、石井の表情は他の審査員たちとは明らかに違っていた。彼は腕組みをし、厳しい表情で飯島を見つめていた。

「飯島さん、君たちの提案は確かに素晴らしい。しかし、それはあくまでも経営視点からの理想論に過ぎないのではないか? 実際に工場で働く人々、そしてそのシステムを使う顧客にとって本当に必要なものは何なのか? 君たちはそれを理解しているのかね?」

石井の言葉は鋭く、飯島の心に突き刺さった。彼女は一瞬、表情を硬くしたが、すぐに反論した。

「石井さん、それは誤解です! 私たちは顧客のニーズを十分に理解した上でこのシステムを開発しています!」

飯島の言葉は少し感情的になっていた。彼女は、石井の指摘にプライドを傷つけられたと感じたのだ。

(私が、これまでどれだけの政治と根回しをしてきたのかも知らないくせに…)

「顧客のニーズ? 本当にそうかな。君たちのプレゼンからは社内事情やマクロ環境の話ばかりで、肝心の『実際の顧客の声』が全く聞こえてこないが。」

石井は冷静に、しかし鋭くそう言った。

「そ、それは…」

飯島は、言葉に詰まった。石井は、飯島の目を見据えながら静かに言った。

「飯島さん、ビジネスは社内政治で成功させるものではない。顧客の心を掴んで初めて成功と言えるんだよ。本当にそのサービスに『支払いの意志』を持つ顧客が現れるんだろうか。」

石井の言葉は重く、飯島の心に響いた。

しかし彼女は、その言葉の意味をまだ完全に理解していなかった。

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