
これは、スター社員でもなんでもない、普通のサラリーマンの身の上に起きた出来事。ひとりのビジネスパーソンの「人生を変えた」社内起業という奇跡の物語だ。
「これが、私たちが開発している『メロディーアシスト』です」
グローバルコネクトの重厚な会議室。有田は緊張しながら、プロジェクターに映し出された映像に合わせて説明を進めていた。画面には、西園寺先生がピアノ演奏補助装置を装着し、美しくピアノを奏でる姿が映し出されている。隣に座る川島は、時折補足説明を加えながら、グローバルコネクト日本代表の黒崎悠人の反応を伺っていた。

「これは素晴らしいですね。指の不自由な方々が再び音楽を楽しめるようになる。感動的なプロジェクトです。」
黒崎は感心した様子で言った。
「ありがとうございます。しかし、二次審査ではピアノ演奏補助という用途だけでは市場規模が小さいという指摘を受けまして。」
有田は少し不安そうにそう言った。
「ニッチな市場を狙うのも戦略のひとつですが、グローバルコネクト様のような世界規模の企業が興味を持つには、もっと大きな市場への展開が必要でしょう。」
川島は、有田の言葉に同意するように頷き、黒崎に視線を向けた。
「黒崎様、何か良いアイディアはありませんでしょうか?」
黒崎は、何かの可能性を感じたのか、しばらくの間、真剣に考え込みながら有田と川島の会話を聞いていた。そして、突如口を開いた。
「このメロディーアシストの技術なんですが、例えば、遠隔操作ロボットへの応用はできたりしませんか?」
黒崎の言葉に有田は目を見張った。
「遠隔操作ロボット?」
「ええ。近年、医療現場や災害現場など、危険な場所での作業を遠隔操作ロボットで行うニーズが高まっています。しかし現状の遠隔操作ロボットは、繊細な作業が難しいという課題があります。もし、このピアノ演奏補助装置の技術を応用できれば、より精密な遠隔操作が可能になるのではないでしょうか? わたしたちが持つ次世代通信企画とメロディーアシストの繊細な動きを実現するデバイス技術が組み合わされば、画期的な遠隔操作事業を生み出せるかもしれません。」

黒崎の説明に、有田は興奮を覚えた。それは、彼女が想像もしなかった新たな可能性だった。
「そ、それは、私たちが考えもしなかった、すごいアイディアですね…!」
有田は、興奮気味にそう言った。
「ええ。医療現場での手術支援ロボットや、災害現場でのレスキューロボットなど、応用範囲は非常に広いと思います。」
黒崎は、自信に満ちた表情でそう言った。
川島は、二人の会話を聞きながら、内心でほくそ笑んだ。
(うまくいった。これで、あの特許技術の用途が広がる…)
彼は、黒崎にさりげなく自分が無償提供した特許技術についての説明を、巧みに織り込んだ。
「黒崎さん、実はこの装置には、富士山電機工業が持つ非常に精度の高いモーションコントロール技術の特許が使われているんです。例の特許です。この特許技術を組み合わせることで、さらにその遠隔操作ロボットに技術的排他性が増す可能性がありまして。」
黒崎は、川島の裏の意図をすぐに理解し、話を合わせた。
「ほう、それは興味深いですね。詳しく聞かせてください。」
川島は、黒崎に対して、無償利用を約束した特許技術と黒崎のアイディアの接点について、巧妙な説明を組み立てた。
「なるほど。これは、確かに、我々のビジネスにも役立つ技術かもしれませんね。その特許利用も前提とした提携を進めましょう。」
黒崎は、そう話を着地させた。
川島の裏の意図をまったく知らない有田は、二人の会話を聞きながら、新たな希望に胸を膨らませていた。
(もしかしたら、私たちのプロジェクトが、世界を変えるかもしれない…!)
一方その頃、増井は新型アクチュエーターの発熱問題に頭を悩ませていた。試作品の動作テストでは長時間使用するとアクチュエーターが過熱し動作が不安定になるという問題が発生していたのだ。
「どうすればこの発熱を抑えられるんだ」
増井は、設計図を前に頭を抱えていた。
「増井さん、諦めないでください! きっと解決策はあるはずです!」
すっかりチームの一員になりつつあった鈴木は、増井を励ましていた。
「ああ、諦めるわけにはいかない。」
増井は、決意を新たに再び設計図に向き合った。その時、彼の携帯電話が鳴った。
「増井君、石井です。」

電話の相手は、石井事務局長だった。
「実は、君たちのプロジェクトに協力してくれるかもしれない人がいるんだ。元素材開発部の部長で、今は富士山電機工業の顧問をしている藤堂光一さんという人だ。彼は、冷却技術のスペシャリストでね。一度、話を聞いてみてはどうかな?」
石井の言葉に増井は希望の光を感じた。
(冷却技術のスペシャリスト…!)
「ありがとうございます! 石井さん! 是非、お話を伺いたいと思います!」
増井は興奮気味にそう言った。
その頃、本条は自らのオフィスである人物と電話で話していた。
「ええ、増井さんのプロジェクトですが、非常に面白いものになりそうです。彼らには資金面でのサポートが必要になるでしょう。是非ご検討いただけないでしょうか?」
本条は、投資会社に勤める旧知の友人に、増井たちのプロジェクトへの投資を打診していた。
(増井さん、私はあなたたちを必ず、成功させます。)
本条は、心の中でそう誓った。
増井、有田、本条、そして石井。それぞれの思惑が交錯する中で、プロジェクトは新たな局面へと進もうとしていた。