
これは、スター社員でもなんでもない、普通のサラリーマンの身の上に起きた出来事。ひとりのビジネスパーソンの「人生を変えた」社内起業という奇跡の物語だ。
病院の白い廊下を、増井は息を切らしながら走り抜けた。心臓が激しく鼓動し冷たい汗が背中を伝う。看護師からの電話は、彼の心を恐怖で締め付けていた。
「お母さん!」
病室の扉を勢いよく開けると、ベッドの上で酸素マスクをつけた母親の姿が目に入った。彼女の顔色は悪く浅く速い呼吸を繰り返していた。
「先生、母は!?」
増井は、母親の横に立つ医師にすがるような思いで尋ねた。
「落ち着いてください、増井さん。お母様は、肺炎が悪化し呼吸困難に陥りました。現在、人工呼吸器をつけて治療を行っています。」
医師は、冷静に、しかし厳しい表情で説明した。
「意識は…?」
増井は、震える声で尋ねた。
「まだ、戻っていません。」
医師の言葉に、増井は、全身の力が抜けていくのを感じた。
(お母さん、お願いだから目を覚まして…!)
彼は心の中でそう叫んだ。増井は母親のベッドの横に置かれた椅子に座り、彼女の手を握りしめた。
(俺がもっと早く病院に来ていれば…)
彼は自責の念に駆られた。プロジェクトのことばかりに気を取られ、母親の容態が悪化していることに気づいてあげられなかった。
(お母さんごめんなさい、本当に、ごめんなさい…)
増井は、涙をこらえながらそう呟いた。彼は母親の傍を離れることができず、一晩中病院で過ごした。夜が明け、薄暗い空が徐々に青白い光に変わっていく。しかし、増井の心は深い闇に覆われたままだった。母親の容態は、依然として予断を許さない状況だった。医師からは覚悟しておくように、と告げられていた。
増井は、希望と絶望のはざまで苦しんでいた。
一方、その頃。
富士山電機工業では、新たな動きが始まっていた。石井事務局長が社長室に呼ばれていた。
「石井君、君が推薦したあの若者の件だが。」
社長は、石井に増井のプロジェクトについて尋ねた。石井は、増井たちのプロジェクトが二次審査を通過したものの条件付き合格となったこと、そして増井の父親の事件について詳しく社長に報告した。
「なるほど。難しい問題だな。しかし石井君、君の意見を聞かせてくれ。あの若者をどうすべきだと思うかね?」
社長は、石井に意見を求めた。石井は少しの間考え込んだ後、静かに答えた。
「社長、私は増井君を信じています。彼は、父親とは違います。」
石井の言葉には、強い決意が込められていた。社長は、石井の言葉を聞いて静かに頷いた。

「わかった。石井君、君に任せる。ただし、くれぐれも、慎重に事を進めるように。」
社長は、石井にそう言い聞かせた。石井は、社長室を出てオフィスへと戻った。
「増井君、私は、君を必ず守ってみせる。」