第91話:七対六【100話で上場するビジネス小説】

YO & ASO

これは、スター社員でもなんでもない、普通のサラリーマンの身の上に起きた出来事。ひとりのビジネスパーソンの「人生を変えた」社内起業という奇跡の物語だ。

重厚な扉の向こう側、富士山電機工業の取締役会議室では緊迫した空気が漂っていた。議題は、メロディーライフのMBOを認めるか否か。個人情報漏洩事件の影響で株価は下落の一途を辿り、会社は存続の危機に立たされていた。黒田からの買収提案は魅力的だったが、石井は増井たちの独立を支援するMBOを強く推していた。しかし、川島の暗躍によって、MBOに対する反対意見は根強く、取締役会は紛糾していた。

「石井君、MBOはリスクが大きすぎる。黒田元専務の買収提案を受け入れる方が、会社にとって安全ではないのかね?」

財務部長が、厳しい口調で石井に迫った。他の取締役たちも、MBOに不安を感じているようだった。

「確かにMBOにはリスクが伴います。しかし、メロディーライフの技術は、黒田元専務の会社に吸収されるには惜しい。MBOによって独立を果たし、富士山電機工業とパートナーシップを結ぶことで、双方にとって大きなメリットがあると信じています!」

石井は、用意周到に作成した資料を手に熱弁を振るった。MBOによってメロディーライフが独立すれば、黒田の支配下に入ることなく自由に事業を展開できる。富士山電機工業は、メロディーライフの株式売却益を得るだけでなく、業務提携によって将来的な成長によるリターンも期待できる。さらに、グローバルコネクトとの提携を継続することで、次世代医療ロボット開発プロジェクトへの参画という大きなチャンスも残される。

石井は、MBOによるシナジー効果、資金調達計画、投資家リスト、そして、黒田への出資比率などを、具体的な数字とデータを用いて、論理的に説明した。彼の言葉には、増井たちへの熱い期待と、富士山電機工業の未来に対する強い責任感が込められていた。

しかし、川島のリーク工作は、確実に効果を発揮していた。

「しかし、増井博之の父親は横領で会社を追放された。彼はその血を引く息子だ。彼を信用して本当に大丈夫なのか?」

営業本部長が冷淡な口調で言った。彼の言葉は他の取締役たちの不安を煽った。

「それに、メロディーアシストの技術的な問題もまだ解決していないという噂もある。本当にあの装置は安全なのか? 事業化しても成功する保証はないのではないか?いま黒田氏にすべてを売り払ってしまった方がよいのではないか。」

製造本部長もMBOに反対する意見を述べた。

石井は必死に反論した。増井の父親の事件は黒田による陰謀だった可能性が高いこと、メロディーアシストの技術的な問題は解決済みであること、そしてグローバルコネクトとの提携は富士山電機工業にとっても大きなチャンスであること。石井の言葉は一部の取締役たちの心を動かした。しかし、MBOに対する反対意見は依然として根強かった。

「これ以上議論を続けても平行線です。我々経営陣としても非常に難しい決断だが、採決を行いましょう。」

取締役会議長が重い口を開いた。取締役たちは、緊張した面持ちで投票用紙に自らの意思を記した。

「賛成、7票。反対、6票。よって、メロディーライフのMBOを承認いたします…!」

取締役会議長の言葉が、静まり返った会議室に響き渡った。それは、増井たちの夢、そして富士山電機工業の未来を大きく左右する、歴史的な瞬間だった。

「承認、いたします…!」

取締役会議長の言葉が、重苦しい沈黙に包まれた会議室に響き渡った。石井は、その言葉を噛み締めるように、ゆっくりと息を吐き出した。増井たちの夢、そして、富士山電機工業の未来を大きく左右するMBOは、薄氷の差で可決されたのだ。

石井は、会議室を出て、すぐにメロディーライフのオフィスに向かった。増井、有田、鈴木、森本、そして五十嵐と本条は、緊張した面持ちで石井の到着を待っていた。

「みんな、聞いてくれ…」

石井は、彼らに取締役会の結論を伝えた。彼の言葉が終わると、オフィスは一瞬静まり返った。次の瞬間、有田が歓喜の声を上げた。

「やったー!!!」

鈴木と森本も、笑顔で顔を見合わせ、喜びを分かち合った。五十嵐も安堵の表情を浮かべていた。しかし、増井だけは複雑な表情を浮かべていた。

(これで、メロディーアシストは生き残れる。でも…)

黒田の支配下から逃れることはできた。しかし、黒田と手を切ることはできなかった。MBO後も、黒田は投資家としてメロディーライフに関与し続けるのだ。

「嬉しい。本当に嬉しい。でも、俺は…」

増井は、複雑な胸中を打ち明けようとした。その瞬間だった。鈴木のスマートフォンから、けたたましいニュース速報音が鳴り響いた。

「え…?」

鈴木は、画面に表示されたニュースの見出しを見て、息を呑んだ。

「黒田元専務が、急死…?」

彼女の言葉に、オフィスは再び静まり返った。増井はスマートフォンのニュース記事に目を通した。

「ヘルスケアデータ・イノベーション社長、黒田元専務、急逝。死因は持病の心臓病の悪化による心不全。」

記事にはそう書かれていた。増井は言葉を失った。彼の脳裏には、レストランで見た黒田の姿が蘇ってきた。黒田は、確かにやつれてはいたが、死期が近いようには見えなかった。

(まさか、こんな…)

増井は、驚きと、そして言いようのない感情に襲われた。それは、安堵なのか、それとも虚脱感なのか。彼自身にも分からなかった。

オフィスは、重苦しい沈黙に包まれた。喜びに沸いていたメンバーたちの表情は、一変していた。黒田の死はあまりにも突然で、彼らにはまだ現実を受け入れることができなかった。増井はゆっくりと立ち上がり、窓の外を眺めた。夕暮れの空は、黒田の死を悼むかのように深い紫色に染まっていた。

(黒田、お前は結局、何も償わずに…)

増井は、心の中でそう呟いた。彼の言葉は、誰にも届くことなく虚しくオフィスに響き渡った。

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