ミシンからタイプライター、プリンター、工作機械……。ブラザー工業は、1908年の創業以降、時代と共に次々と本業を変えてきた。既存事業にしがみつくことのない、柔軟な本業転換はどのように成し遂げられてきたのだろうか。代表取締役社長の佐々木一郎氏は、「お客さまが求めるものが変わってきているので、事業を変えていかないとお客さまのニーズに応えられない」と話す。本業を変えながら成長を続けてきた、ブラザー工業の秘密に迫った。
佐々木一郎
ブラザー工業 代表取締役社長
1983年、名古屋大学大学院工学研究科修了後、ブラザー工業株式会社に入社。エンジニアとしてブラザー工業株式会社初のレーザープリンターの開発リーダーを務めた。企画、品質保証、新規事業の部門長や英国販売子会社の社長を歴任したのち、2009年に執行役員に就任。2018年、ブラザー工業株式会社代表取締役社長に就任し、現在に至る。愛知県出身。
ミシンからプリンターまで。次々に本業転換
──これまでどのように本業を転換してきたのか、その変遷を教えてください。
1908年、軍事工場の技術者だった安井兼吉が愛知県名古屋市で海外製ミシンの修理業を始めたのが弊社の前身になっています。安井兼吉の死後、息子の正義が家業を継ぎ、兄弟でミシンの製造を始めました。当時はミシンを輸入に頼っていましたが、国産化に成功。その後、家庭用や工業用のミシン製造業で業績を伸ばしていきました。
しかし、安井正義がアメリカの大手ミシンメーカー、シンガーミシンを訪ねた際、単価が下がってきている現実を目の当たりにしました。そこから日本でもミシンだけで事業展開するのは厳しくなると予測し、編機や洗濯機、掃除機などの家電用品を製造するようになり、事業の多角化を図ったのです。
米国市場のニーズの高まりを受け、1961年にポータブルタイプライターの生産を開始。また、自社製品を製造するために開発していた工作機械の外販事業も開始しました。1971年にはアメリカのベンチャー企業と共同で高速ドットマトリクスプリンターを開発し、今の主力事業であるプリンターの生産を始めました。
プリンターは、初めはワイヤーがインクリボンを叩いて紙に転写するものでしたが、コンピューターの普及に伴い、レーザー印刷技術を開発。ファックス機能を持たせた複合機も、1995年に生産を始めました。その後、インクジェットプリンターや、衣類などに印刷するガーメントプリンター、パッケージを印刷するデジタル印刷機にまで印刷事業が拡大しています。
また、その他の事業として業務用通信カラオケシステム「JOYSOUND」の開発や、それに紐づくコンテンツサービスも展開しています。
素早い事業展開の秘密は「3つのバリューチェーン」
──かなり幅広く事業を転換されてきたのですね。本業を柔軟に変えられる一番の理由はどこにあると考えていますか。
後から振り返って結果を見ると本業をうまく転換させてきたように見えますが、その背後にはたくさんの失敗があります。数々の挑戦をしていく中で、お客さまの声に素早く反応し、改善を重ねられている事業が結果的に残り、成功してきたという実情があります。
弊社は、持続的に優れた価値を提供するための基本に「At your side.」を掲げています。これはあらゆる場面でお客さまを第一に考え、モノ創りを通して優れた価値を創造し、迅速に提供するという想いが込められた言葉です。これを実現するため、BVCM(ブラザー・バリュー・チェーン・マネジメント)という独自の仕組みを持っています。
これは大きく3つのチェーンから成り立っています。ひとつ目は「デマンドチェーン」で、お客さまのニーズを把握し、それに対する弊社が提供すべき価値を決め、最適な価値の提供方法を立案するというもの。ふたつ目は「コンカレントチェーン」です。開発部門と製造部門、サプライヤーが連携を密にし、社内外の技術を組み合わせて価値を創り出します。最後が「サプライチェーン」。お客さまが求める価格で提供できるよう、不要なコストを抑えた生産、そしてきめ細かな販売・サービスを行うものです。
さらに、2022年からはお客さまから使用済みの製品を回収し再利用すること(下図A)、生産前の製品をお客さまの現場で試用することで、よりニーズに即した製品改良につなげること(下図B)を加えています。
お客さまの声を聞き、改善し、提供していく。このサイクルを素早く回していくことができる事業は結果的に生き残り、次の時代の主力製品となっています。弊社の歴史を振り返ると、やはりBVCMを回し「At your side.」の精神を実現する事業こそが、本業として次の時代を作っていくと実感しています。
「これをやるべき」という現場の声に耳を傾ける
──BVCMを素早く回した、最近の事例はありますか。
最近だと、新型コロナウイルスの感染が爆発的に広がりましたよね。その時、お客さまをはじめとする皆さまが少しでも安心して過ごせるために、小型の卓上空気清浄機「エアロゾルクリーナー」を短期間で開発。2020年11月に限定販売し、2021年7月から一般販売できました。
また、半導体不足により取引先である機械の部品の生産がストップしてしまったことがありました。その際も2カ月で100種類以上の製品で設計変更し、別の部品で同じ機能を実現することに成功。危機に瀕しても、製品の供給を続けられたのはBVCMを回すスピードによるものだと考えています。
──BVCMがうまく回れば次の本業になるということでしたが、そもそも新しい事業に挑戦することに対するハードルもあります。挑戦できる風土はどのように作られているのでしょうか。
挑戦を後押しできている理由は、ふたつあると考えています。ひとつ目は、従業員と企業の信頼関係をしっかりと築いてきたこと。安井兄弟は、創業の精神として次の3つを掲げました。①働きたい人に仕事をつくる、②愉快な工場をつくる、③輸入産業を輸出産業にする、です。
3つのうちふたつが、職場づくりに関わる精神なんですよね。それだけ、生き生きと働ける、働きやすい職場づくりには力を入れてきました。体調が悪い社員がすぐに病院に行けるように本社の目の前に病院を作ったのも、その表れです。
そしてふたつ目が、経営層や管理職と現場の距離を縮めるための施策です。2000年頃から、上司を「さん」付けで呼ぶようにする取り組みを始めたのです。初めは従業員も戸惑っていたようですが今ではすっかり定着し、私も「佐々木さん」や「一郎さん」と呼ばれています。従業員と経営層や管理職がよりフラットな関係性を構築しています。
こうした取り組みにより、従業員から「今の時代、これをやらないとまずい」とか「この事業を会社がやるべきだ」という声が上がるような社風がつくられていると思います。実際これまでの例を見ると、トップダウンで始めた事業よりも、ボトムアップで始めた事業の方が成長していたりするのですよね。だから私も、現場の声を尊重して事業をつくっていきたいと考えています。
本業転換の立役者が自らトップに
──佐々木社長もレーザープリンターの技術開発を進め、本業転換を先導した1人です。当時の苦労はありましたか。
私は入社2年目でアメリカの西海岸にある販売会社に出向し、そこで最先端のコンピューター産業を目の当たりにしました。当時、ヒューレット・パッカードがレーザープリンターを発売したのを見て、これを自社でやらなければいけないと使命感を抱きました。
帰国後しばらくしてレーザープリンターの開発に着手したのですが、他のプロジェクトが優先され、頓挫してしまいました。しかし、販売会社からは「レーザープリンターをお客さまが必要としている」という声も出始めていました。このままではいけないと思い、予算もない中で別の部署のパソコンを借りるなどして、なんとか1年でレーザープリンターを開発したのです。結果的にレーザープリンターは飛ぶように売れ、新たな事業として成功を収めました。
当時は偉い人たちからこんなものは売れないと、散々反対されました。しかし今、社長になってみてわかるのは、当時の上司は反対していたのではなく、心配していたのだろうということです。私も本当に良くないと思ったときにはやめますが、できるだけ現場の力を信じたいと思っています。
──これから先、将来的にはどのような事業展開を考えていますか。
今主力製品となっているオフィス用のプリンターは、ペーパーレスの潮流から需要が少なくなっていくと考えています。そのため、工作機械や産業用印刷事業に注力していく方針です。
省人化、省エネルギー化を叶える工作機械はこれから需要が増していくと思います。また、食料品における賞味期限の印刷や物流貨物のラベル印刷など、産業用印刷事業はまだまだ伸び代があります。こうした事業を伸ばしつつ、さらなる新たな事業も開発していきたいと考えています。
変わるのは環境ではない。お客さまのニーズだ
──将来の予測が難しく、不確かな時代といわれています。この先、経営判断をしていく上で、守るべきもの、柔軟に変えるべきもの、それぞれどのように考えていますか。
絶対に変えてはいけないのは、「At your side.」であることです。必ず、お客さま起点で考えること、これは守り続けていきたい。それを突き詰めて考えていくと、不確かな時代、変化の多い時代というのは「お客さまのニーズが変わっているだけ」ということではないかと思います。
近年、企業は環境問題や社会問題の解決に寄与しなければいけないという風潮があります。これは、単に政府の方針だから従わなければいけないという問題ではありません。お客さまが、環境に優しい商品を求めるようになってきた。そういうことだと考えています。
最近、欧州の入札案件などでは、労働環境の整備や環境負荷に対して責任を果たす取り組みをしているとRBA認証を受けていることが入札の条件になっていることもあるほどです。「At your side.」の精神に立ち返れば、そうしたお客さまのニーズが変化するのに合わせて、われわれが提供するサービスも変えていかなければいけないということです。
新型コロナウイルスの感染拡大や半導体不足といった外部環境の変化への対応は、お客さまのニーズに応えるための障害に対処する、というだけです。我々は、「At your side.」を貫き、それを貫くために柔軟に変化していく。そういう会社であり続けたいと考えています。
本業転換を叶えた3つのポイント
POINT 1 価値創造を支える原点
本業転換に欠かせない経営判断の軸になるのが、お客さまを第一に考える「At your side.」。
POINT 2 独自のバリューチェーンマネジメント
顧客の声を吸い上げ、ニーズを製品開発に生かす独自の仕組み(BVCM)。これをスピーディーに回す。
POINT 3 意見できる組織風土
現場の従業員と経営層の距離を近づける施策を実施。これにより、現場の若手社員が声を上げ、ボトムアップで事業を始められる風土ができている。
(2023年1月20日発売の『Ambitions Vol.02』より転載)
text by Mao Takamura / edit by Miho Matsuura