2024年1月、武蔵野大学が日本で初めて設立したアントレプレナーシップ学部の現在地と展望を共有するイベント「EMC SUMMIT」が開催され、会場とオンライン視聴あわせて1000人を超えるビジネスパーソンが集った。 この記事では、アントレプレナーシップ学部1期生の大武優斗さんが立ち上げた「あの夏を取り戻せ 全国元高校球児野球大会」プロジェクトを振り返るトークセッション、「僕は、ただ「あの夏」を取り戻したかった。」の模様をお届けする。プロジェクトはどのように実現されたのか、そしてそこから得られた学びとは──。
僕は、ただ「あの夏」を取り戻したかった。
2020年5月20日、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、戦後初めて「夏の甲子園」が中止となった。全国の球児が、人生を賭けて目指してきた甲子園という舞台が失われたのだ。
そんな想いを忘れられず、「失われてしまった僕らの夏を今、取り戻す」という決意のもと、2022年8月、「あの夏を取り戻せ」プロジェクトが2020年当時高校3年生で野球部だった大武優斗さんによって立ち上げられる。費用として7000万円もの金額を集め、2023年11月29日、阪神甲子園球場でプロジェクトは実現することとなった。
今回のイベントでは、アントレプレナーシップ学部の学生を代表して大武さんが、「あの夏を取り戻せ」プロジェクトにおける経験を赤裸々に語った。
大武さん 僕は『巨人の星』の主人公のような学生時代を過ごしました。父も高校球児で、甲子園を目指していたのもあり、小学校の卒業文集を「父の夢は僕の夢」というテーマにするほど、野球に打ち込んでいました。
「あの夏を取り戻せ」プロジェクトは、一つのWILLから始まりました。
2020年5月20日、戦後初めて「夏の甲子園」が中止となりました。大学生になっても、当時の「なんのために野球をやってきたのか」「なんのために生きてきたのか」という想いを忘れることができませんでした。
そんな想いが、「失われてしまった僕らの夏を今、取り戻す」というWILLとなり、「あの夏を取り戻せ」プロジェクトが始動しました。
無知を武器に突き進み、球児700人を集める
大武さん このプロジェクトを経験して、「無知は武器になる」と学びました。プロジェクトを始めた際は、お金が集まり、球児が集まり、甲子園球場が使えれば開催できると思っていましたが、現実はそう単純ではありませんでした。
「あの夏を取り戻せ」プロジェクトは、プロジェクトの中核である甲子園球場の確保から始まりました。しかし、何の信用も資金もない大学生という身分で、窓口にも相手にされず、甲子園球場からは球場の使用を断られました。
そこから、「どうすれば甲子園球場を借りられるのか」を逆算し、選手やメディアを巻き込むことで、甲子園球場が断った際に社会から反発される状況を生み出しました。具体的には、「参加校の確定」と「プロジェクト認知の拡大」に注力しました。
まず、2022年8月5日に、Twitter(現X)で「49チーム×20名≒1000名を集めます。2020年に各都道府県の独自大会で勝ち残ったチームはご連絡ください」と呼びかけるという、小さな一歩から行動し始めました。
結果、約1カ月で独自大会優勝校46校の総勢およそ700名が集まりました。僕の周りには野球の仲間がおり、彼らの周りにもさらに野球の仲間がいたため、蜘蛛の巣状に話題が伝播していきました。その結果、700名の球児を集めることができたのだと思っています。
次に、メディアへのアプローチを行いました。伝手やコネはなく、北海道から沖縄までの500以上のメディアをリストアップし、全てに連絡を取り、取材を依頼しました。
一つのメディアが取り上げれば、確実に多くのメディアに取り上げられると考え、その「ドミノの一枚目を倒す」ために、粘り強く連絡を続けました。
運営メンバー全員が体育会系であったこともあり、「圧倒的な量での勝負」を武器に、2週間で2件の取材を獲得しました。
こうして地道な努力を積み重ねていき、「甲子園開催決定」まで漕ぎ着けました。
開催2カ月前、5000万円の資金不足
大武さん 「あの夏を取り戻せ」プロジェクトには、運営資金を調達するという、切っても切り離せない最大の壁がありました。
僕たち運営メンバー間には、もともと「無理」なことに取り組んでいる感覚があったので、「無理」という言葉を使わない雰囲気が形成されていました。無理な環境の中、「なんかあるはず」というマインドセットで、資金調達に取り組みました。
そこで、「多くの方々から応援されるプロジェクトで在りたい」という想いから、2023年6月7日にクラウドファンディングを実施しました。6月7日は、僕の誕生日で、皆さんに「僕に誕生日プレゼントをください」とお願いしました。その甲斐もあり、3日間で500万円の支援を集めることができました。
しかし、そこからの2カ月間で150万円しか集まりませんでした。プロジェクト実施には絶望的な状況です。そこで、企業協賛を獲得するために動き出しました。営業資料の完成が大会2カ月前で、約5000万円の資金が不足している状況でしたが、一心不乱に営業を行いました。
「この大会の意義を信じ、伝え続ける」という姿勢で、ANA様を筆頭に7団体39社からのご支援をいただき、大会3日前に目指していた金額を調達することができました。調達が確定するまでは、資金が集まっていないのに大会を開催しようとしており、運営メンバー間で「両親から最大でいくらまで借りられそうか」という会話をするほどに、ギリギリで戦っていました。
若者こそ、WILLから始めよう
大武さん 僕たち運営メンバーが大切にしてきたことは3つあります。
一つ目は、「『我々は誰の何を幸せにするのか』ということへの共通意識」です。大学生約40名の運営メンバーが共通意識をもつことで、コンパスに導かれるように前進することができました。
二つ目は、「神は細部に宿る。一個ずつ丁寧にやれば必ず終わる」です。タスクの量が1000を超えましたが、一つ一つ丁寧に取り組めば、確実に終わると実感しました。
三つ目は、「なんかあるはず。『無理』という言葉は禁句」です。2カ月前で5000万円不足している状況を、「無理」だと言う人もいたかも知れません。しかし、僕らは「なんかあるはず」というマインドセットで、さまざまな選択肢を得ることができました。このマインドセットは、僕たちが前進する上で、とても重要なキーワードになったと思います。
そして、「若者こそ、WILLから始めよう」という言葉を、今ここで伝えたいと思います。言い換えると、「CANからWILLではなく、WILLからCANの順で考える」ということです。
高校三年生まで野球に打ち込んでいた僕には、できることがほとんどありませんでした。しかし、「あの夏を取り戻したい」という「WILL」から、「CAN」が広がっていきました。これは、やりたいことの先にできることが増えていくという証明だと思っています。
だからこそ、「若者こそWILLから始めよう」という言葉を強く伝えたいです。そして、アントレプレナーシップ学部には「WILLを語れる環境」があります。
2023年11月29日、描きたかった夢の日の実現
大武さん 僕はある意味で、チーム全員に対して嘘をつき続けてきました。僕の中では、甲子園球場で選手の表情が明るくなって、彼らが次のステップへ進む未来が見えていました。しかし、見えていない仲間に対しては、嘘をつき続けてでも、嘘を現実にしなければならないと感じていました。
そんな、僕の嘘が本当になった日が2023年11月29日です。その日に起きたことは、一生忘れられない景色です。
人は、WILLで変われる
プレゼンのあと、アントレプレナーシップ学部 学部長の伊藤羊一氏が登壇。プロジェクトの実現を経た、大武さんの想いを聞いた。
伊藤氏 アントレプレナーシップ学部から、「あの夏を取り戻せ」プロジェクトが生まれたことを誇りに思います。
大武さんがプロジェクトリーダーとして多くの人々に希望を与えたこと、そしてそれを経験したことで、入学前と比べて大武さん自身に何か変化はありましたか?
大武さん このプロジェクトを通じて、いい意味で吹っ切れた、という感覚があります。宇宙から自分を見ると、自分が何をしても宇宙には影響しない、という視点を得ることができ、いい意味で吹っ切れました。だからこそ、自分の好きなことを挑戦したいと思うようになりました。
伊藤氏 今の大武さんのプレゼンには説得力がありますが、入学前の大武さんは常にモヤモヤしていました。だからこそ、大武さんを見ていると、人はWILLでここまで変われるのだと実感させてくれます。
最後に、プロジェクトから2カ月が経過した現在、大武さんが何を考えているのか教えてください。
大武さん プロジェクトから2カ月経って感じていることは、偶然旗を立てたのが僕だっただけで、自分が何かすごいことをやったわけではないということです。むしろ、今ここに立たせてもらっているという感覚があります。
そのため、次に何か新たな挑戦をする際も、一人では何もできないと思っていますし、人を惹きつけるWILLを見つけ続けたいと思っています。
伊藤氏 大武さんには、これからも周りに影響を与え、アントレプレナーシップ学部を引っ張ってほしいと思います。ありがとうございました。
text by Hiroki Yanagida / edit by Tomoro Kato / photographs by Musashino University
Faculty of Entrepreneurship, あの夏を取り戻せ実行委員会