
「リーダーシップが求められるビジネスパーソンほど乗馬にハマる理由ー前編」では、ステータスやマインドフルネス効果など、要素を5つほど挙げた。ただ、それらは乗馬以外のスポーツにも当てはまる要素でもあると思う。 そこで、後編ではより乗馬特有の理由を4つご紹介したいと思う。

高嶋 麻衣
Ambition特約編集者
生まれた時から馬が好き。11歳から乗馬を始め、世界中の馬を巡り20ヶ国以上を旅する。 2019年、「書きつつ、乗りつつ、飲みつつ…」という暮らしを実現するため、横浜から東北に移住。14頭の馬と4匹の猫と暮らす。仕事場は厩舎の上の屋根裏。
成功法がない。
「同じことをやってもうまくいかない馬がいると気付いた」(レイ・ハント)
馬のトレーニングには成功法がない。あの馬に通じた方法が別の馬に通じるとは限らない。乗る馬が変われば、また新たな探求が始まる。
私もこれまで何十頭という馬に跨ってきたが、1頭たりとも「同じ」と感じたことはない。良いところも悪いところもすべて違う。分かったような気になると痛い目に合う。
幼少より父から馬の調教法を教わってきたレイ・ハントは、ある1頭の「言うことを聞かない馬」に出会ったことでこれまでの方法では解決できないことを思い知ったという。「同じことをやってもうまくいかない馬がいると気付いた」と、新たな方法を探索したことが、「ナチュラル・ホースマンシップ」という現代でも啓蒙される調教法の誕生につながる。
完全な成功法がないのは競走馬においても同じらしい。競馬の調教師として30年以上のキャリアを持つ国枝調教師は、GIで20勝以上してもなお、「馬はまだまだわからない」と話している。
「攻略法」や「合格術」、失敗をしない情報は溢れている。愚直に努力できばそれなりの成功を収められる社会だ。だからこそ「正解がない」「自分でやってみるしかない」ことに面白さを見出せる人は乗馬にハマりやすい。
人生の折り返しを意識する40〜50代になると、「自分は人生で、何を成し遂げたいのか」と考える人も多いのではないだろうか。しかし、馬乗りはそういった悩みとは無縁かもしれない。
なぜなら、馬に関しては「生きているうちに“成し遂げる”ことは無理」であることを悟っているからだ。ドイツ代表として2度オリンピック団体金メダルにも貢献したラルス・ニーベルクは「人の一生は、馬に乗るには短すぎる」と言い、どんな日でも毎朝馬に跨った。
死の直前まで探求を続けられる。一生をかけても解き明かせない課題に向き合っていれば、幸福なうちに人生を終えることができる。
死ぬまで現役。引退がない
「今でも少しずつ自分がうまくなっていると感じられる。」(法華津寛)
多くのスポーツは「若いとき」にピークを迎え、現役選手は10〜30代が多い。しかし、乗馬にはそのようなピークがない。「女子・男子」と性別の区別もない。2024年パリオリンピックの馬術競技にはスペインから65歳の選手が出場した。馬術選手の平均年齢は39.5歳でパリ五輪全競技の中で最も高かった。
ライダーに年齢制限がないのは、馬が主役で、彼らがアスリートだからだ。そのため、馬にはリミットがある。しかし人は、馬が故障や高齢で引退を迎えても、また別の馬に乗って続ければいい。
「成功法がない」にも通じるが、引退が考えられないのは、常に課題と上達を感じるからかもしれない。
71歳でオリンピックに出場した法華津選手は「今でも少しずつ自分がうまくなっていると感じられる。下手になったと感じたらすぐにやめますよ」と話していた。
ビジネスにおいては、組織の中で若手にチャンスを譲らなければならない場合もあるだろう。しかし馬術では、自ら第一線のプレイヤーであり続けられる。シニア枠もないから若手と正々堂々戦うことができる。これは表舞台に立ち続けたい人にとって大きな魅力だ。
2025年の国スポでは40歳を過ぎて乗馬を始めた71歳の女性が出場した。競技を続ける理由として、「昨日できなかったことができたというだけでうれしくて、一日が幸せになる」と話している。
参照:https://news.yahoo.co.jp/articles/65714912102ae3a4d603a13f67540cee095af1b4
思い通りにならない。自己制御の訓練
「15分しか時間がないと思って行動すれば、物事には丸一日かかるだろう。」(モンティ・ロバーツ)
多くのトップライダーが、馬術に大切な要素として「忍耐」を挙げる。
馬は、思い通りにならない。
ジョギングや筋トレは、努力に比例した成果が出る。誰にも邪魔されず自分の都合で計画を立てられる。しかし、馬はそうとは限らない。
例えば競技会を目指し、どんなに入念に準備をしても、計画通りにいかないことがある。むしろ、そのほうが多い。
パリオリンピック総合馬術では、馬のコンディションを優先し、北島選手が棄権を自ら選んだ。17歳という競技馬としては高齢な馬のことを考えての判断であった。それによってチームとしては大きなハンデを負ったが、その決断におそらく誰も異論は唱えなかっただろう。
通常の練習においても、馬の体調が悪ければキャンセルしなければならない。人の名声や都合より、馬を優先するのが真のホースマンシップである。

「15分しか時間がないと思って行動すれば、物事には丸一日かかるだろう。逆に、一日中時間があると思って行動すれば、15分で終わることもある。」と、著名な調教師モンティ・ロバーツは、馬の前で焦りは禁物であることを示唆した。人の都合など、馬には関係ない。
「思い通りにならない」を受け入れる。これは、普段は自分の采配で状況を打開してきた優秀なビジネスパーソンにとってこそ、大きな困難だ。結果を急がず、相手の状態を尊重し、最適な関係性を築くことこそが成果につながる。馬を通して学ぶこの姿勢は、マネジメントにそのまま反映される。
自己を映すパートナー
「馬はあなたの魂を映す鏡だ。」(バック・ブラナマン)
イギリスのことわざ、「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」とは、人材育成や人材マネジメントの場で、相手の「やる気」を引き出すことの難しさを示す文脈で使われることが多いが、人以上に小手先が通じないのが馬だ。
多くの部下を束ねてきた管理者でも、1頭の馬も従わせられないことはよくある。人を束ねるには、力強さを見せ、大きな声で扇動すれば良いかもしれない。しかし、馬はそうはいかない。人の何倍も体重があり、人の何倍も怖がりな馬を思いどおりに動かすのは容易ではない。
馬は半径200m以内の人の心拍数を感知する。「怖くないよ、こっちにおいで」と言葉に出しても、その心臓が気合いや緊張で高なっていれば、馬は危険と判断して遠ざかる。
真のリーダーとはなにか。欧米では馬を使ったリーダーシップ研修「Equine coaching(エクイン コーチング)」が盛んだ。馬には、鏡のように自身を映し出す「ミラーリング効果」というものがあり、馬を通して自分の他者との接し方を客観的に学ぶことができる。国内でも札幌に日本初のホースコーチングプログラムを受けられる場所がある。経営者など多くのエグゼクティブが受講し、以下のような声が寄せられている。
「馬とその人の関係を見ることで、その人のことが分かる」
「いかに自分が言語に頼ってコミュニケーションをしているかを痛感。せっかちすぎて、相手を観察できていないことにも気がつきました」
「他者に対して無意識にとっている距離感、コミュニケーションの仕方について見つめ直す良い機会になりました。」
上の立場に行くほど、日常的に率直な指摘を受ける機会は少なくなる。部下は上司やリーダーに本音を言ってくれない。「自分はあなたにとって優れたリーダーか」、と聞いても正直に答えてくれないだろう。
しかし、馬は忖度しない。餌や金や昇進をチラつかせてもついてこない。彼らが求めるのはとてもシンプルだ。安心・安全・承認であり、それを与えてくれる人にのみ従う。
「人をリスペクトさせる」というのは、馬の調教において欠かせない前提だ。自分は尊敬を受けるに値する存在だろうか。馬の前では常に自問しなければならない。
ごまかしを許さず、まるで先生のように自分のあり方を教えてくれる。馬は、年齢や肩書きも関係なく、「本音で向き合ってくれる教師」となる。
「馬はあなたの魂を映す鏡だ。そして鏡の中に映る自分の姿を、時には気に入らないこともあるだろう。」とは、映画『ホースウィスパラー』のモデルにもなった調教師バック・ブラナマンの言葉だ。鏡の前に立ちたくないようなときでも、馬は否応なしに「私」を見せてくる。
社会課題、企業の成長、部下の育成。責任ある立場の人ほど、気にしなければならない外部問題が多く、自分をケアする時間が少ない。しかし、死の直前に「もっと自分と向き合えばよかった」と後悔する人は多い。
馬を通して自己と向き合う。馬は私たちにその時間をくれる。これが多忙のなかにあっても、自信を疑うことにより自己成長を求め続けるビジネスパーソンにとって、抜けられない馬の魅力と言える。
おわりに。私が馬にハマる理由
「リーダーシップが求められるビジネスパーソンこそ馬にハマる理由」を前編・後編にかけて計9つ挙げてきたが、もちろん、馬にハマるのはビジネスパーソンだけではない。大学生活を馬に捧げる馬術部員たち、仕事や子育てがひと段落して憧れの乗馬を始めた方、そして乗馬クラブなど馬の仕事に従事するプロたち。そして私もそのひとりだ。今回挙げた9つは、自分が馬に魅せられている理由としてすべて嘘はない。
人生の軸にいつも馬がいた。馬がいなければ、何に時間とお金とそしてこの情熱を費やしてきただろう?と思うことはあるが、彼らに出会ってしまったことを後悔したことはない。
その高い背中から、彼らがいなければ見えない世界をたくさんみてきた。やる気が湧かない日でも、素直になれない日でも、「今日も起きてよかった」と謙虚で前向きな気持ちにさせてくれる。見て見ぬフリができた自分の「弱さ」に向き合う強さもくれる。生き物と向き合う苦労や痛みは絶えないが、彼らがいない生活はもう考えられない。そして今日も彼らのために必死で働く。