ともすればネガティブに陥り、巻き込まれ、消耗しがちな私たち。ポジティビティの効能、あるいは功罪とは。多数の企業の産業医を務め、現代ビジネスパーソンの心身のあり方と向き合う大室正志氏に話を聞いた。時代の転換点を生きる、すべての人への処方箋──。
大室正志
大室産業医事務所代表
産業医科大学医学部医学科卒業。ジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社統括産業医、医療法人社団同友会産業医室を経て現職。社会医学系専門医・指導医。著書『産業医が見る過労自殺企業の内側』(集英社新書)。NewsPicks番組「OFFRECO.」出演中。
ポジティブと自己肯定感は違う
まず一つお伝えしたいのは、「ポジティブ」と「自己肯定感」は明確に違うということです。自己肯定感が高い状態は自信満々であるという意味ではなくて、「私はこれでいい」という状態。そういう感覚は、万人に持ってほしい感覚なんです。みんなが手を挙げているときでも、「いや、私は別にいいんだ」と思えるかどうか。
例えば筋トレ。みなさん、筋トレすると自信が持てて、自己肯定感が上がるとおっしゃるんですよね。逆に言うと、生身の自分自身を肯定しにくい人が多いということです。自己肯定感が高い人は、体型などにとらわれず、そんな自分を受け入れる。
自己肯定感は全員に持ってほしいのですが、一方で手を挙げるかどうかは人による。手を挙げない人でも、「自分はこれでいいや」と思えるならそれでいい。手を挙げられなかったことについて自分を責めてほしくないんです。手を挙げられる人は挙げればいいし、挙げない人は挙げなくていいんです。
自己啓発関連は用法・用量を守って
今から20年近く前に、経済評論家の勝間和代さんが、いわゆる「勝ち組」を目指そうと訴え、ブームになりました。「年収600万円を目指しましょう」「自分で自分の人生をつかみ取っていきましょう」と具体的に指南し、女性たちの心をつかみました。他方、精神科医の香山リカさんが著書で「勝間和代を目指さない」と打ち出し、勝ち組を目指さない人に寄り添う姿勢を表明しました。2010年ごろ「カツマーvsカヤマー論争」として世間をにぎわせましたよね。
現代の資本主義的な競争社会において、精神科医としては「勝ち」を目指さなくてもいいという立場が一般的です。医師としては「ポジティブじゃない」という人を「それでいい」と肯定すべき立場なんです。
米国ペンシルベニア大学のマーティン・セリグマン教授により創設された、個人や組織、社会のあり方が、あるべき正しい方向に向かう状態に注目した「ポジティブ心理学」がいま、国内でも広まっています。
また最近では、メジャーリーガーの大谷翔平選手が昭和の思想家、故・中村天風氏の『運命を拓く』を愛読していることが話題になりました。パナソニック創業者の松下幸之助氏も、京セラ創業者の稲盛和夫氏も影響を受けた一冊です。とはいえ、全員に効くかといえばそうではありません。自己啓発的な言説は、その人が置かれている状況や育ち方、人生における課題などによって受け入れられる瞬間があって、非常に強く響くときがあり、たまたまヒットしたのだと思います。
自己啓発的なポジティビティについては様々な変数があり、全員にフィットする言説はないというのが僕の結論です。自己啓発関連は用法・用量を守ってください、とよくお伝えしています。
ビジネスにおいてポジティブは得をする?
他方、私自身、産業医として大企業やコンサルティング会社、スタートアップなど多種多様な企業の従業員の皆さんに向き合っていると、ポジティブな方のほうが、どうやらビジネスにおいて得をしているのでは、という感覚もあるんです。
ジョンソン・エンド・ジョンソンに産業医として入ったときに、非常に驚いたことがありました。グローバルの役職者が来日し、ミーティングでみんなを集めて「何か質問ある?」と言ったときに、「ハイ!」と最初に手を挙げられる人が顔を覚えられて、後に出世をしていくんですね。
日本企業では周囲の顔色や様子をうかがう雰囲気があります。日本社会でも、例えば政治における総裁選では、誰々「待望論」という言葉がありますよね。自分から手を挙げるのではなく、みんなが自分を推薦してくれるように持っていく、それまで待つというのが一般的。最初から自分で手を挙げる人は首相にはふさわしくないという、日本社会独特の組織論です。
一方、自分で手を挙げた人から出世していくのが外資系。最近、国内のスタートアップでも、自分で手を挙げた人が出世し、得をしていく傾向がみられます。かつての日本的な村社会では、自ら手を挙げる人は疎まれ、追放される可能性がありましたが、これからはポジティブで、挑戦した人が得をする、もしくは挑戦しないと損をするような世の中に変化しつつあります。
医者としての私としては、全員がポジティブである必要がない、ネガティブであることを認めようと言いたい。一方で、ビジネスパーソンに接している産業医としての私としては、ビジネスにおいて、やはり挑戦するマインドを持ち、自分で手を挙げられる人が得をしていく、そういう世の中になっていくんだろうなというのが現状認識です。社会全体として潮目が変わってきていますね。
「咲ける場所に置きなさい」 ポジティブな環境設定を
じゃあ、ポジティビティを鍛えよう、筋トレのように筋肉を増やそうといった発想になりますが、それは違います。例えば、よく忘れ物をするエピソードで知られる元プロ野球監督の長嶋茂雄さんが、仮に野球をやっておらず、抜け漏れが許されない企業の経理部に行ったら、ミスばかりしてポジティブではいられないと思うんです。やはり、まず自分に向いているものを探すことがすごく大事です。
よく言われる「置かれた場所で咲きなさい」じゃなくて、本当は「咲ける場所に置きなさい」なんですよね。まずポジティブでいられるような環境設定をしましょう。自分のやりたいこと、苦もなくできることを見つけましょうと伝えたいです。そこが整ってない人に自己啓発的に「ポジティビティを鍛えろ」と言ってもしんどくなってしまうし、ポジティブがかえって毒になってしまうかもしれない。
ポジティビティというと、まず自分のソフトウェアの話になったり、自己責任論に持っていったりすることが多いですが、まずポジティブでいられる環境をつくるということが重要ですね。
ポジティブな組織でいられる環境設定とは
組織としてのポジティビティをどうつくっていくか。この点についても、環境設定が重要だと思います。例えば、元リンクアンドモチベーション取締役の麻野耕司さんがCEOを務める株式会社ナレッジワークでは、「嫌味な質問」は禁止と決めているそうです。例えば、確認していないとわかっているのに、「これって確認したんでしたっけ?」と嫌味な聞き方をするんじゃなくて、「確認しましょう」でいいですよね、と。
全員に腹落ちをさせて変えてもらうより、そのように社風として環境設定することで、嫌味なことを言う人は白い目で見られたり、ネガティブが過ぎる人は評価が下がったりという仕組みにしていくといいですよね。
マッキンゼー出身の世界的コンサルタント、トム・ピーターズらが『エクセレント・カンパニー』で書いていますが、やはりいい会社は押しなべて社内カルト的な熱狂があるそうです。つまり、従業員同士が同じ価値観を信じている限りは、他は問わない。ダイバーシティ、人種やセクシュアリティなどは違ってよいが、自分たちの組織が信じている価値観を共有できるのであれば、他は重要視しないということです。
ネガティブな人に自己変革を促すのは難しいので、ネガティブな人が居づらくなる環境作りをする方が効果的。一部の人はそのうち変わってきますが、変わらない人まで全員変える必要はないんです。
組織の全員が「突破」しなくていい
突然腸内の話をしますが、腸内細菌ってだいたい、善玉菌、日和見菌、悪玉菌に分けられるんです。善玉菌が優勢なときは、日和見菌の多くが善玉菌の味方をするんです。悪玉菌の量が増えてくると、悪玉菌の味方をする。日和見菌はノンポリ、浮動票と言えます。とはいえ悪玉菌を全部殺してしまうと腸内環境が悪くなる。悪玉菌も少しは必要なんですね。
組織論に戻すと、ポジティブな人が一定層いて、ほとんどの人がノンポリで、いつも斜に構えて見ている人が一定層いるものです。斜に構えている人がゼロになると、ちょっとその組織、心配になりませんか。ネガティブな人、批評家、評論家みたいな人は一定数いるものです。ただ、ネガティブな人の割合が増えるあまり、手を挙げた人がつぶされてしまったり、物事が前に進まなくなったりといった状況を避けるのが重要です。組織論ではバランスが大事なんですね。
確かに時代としては前向きに突破する人、手を挙げる人が得をするような社会になりつつあるとは思いますが、全員にそれを強要するよりは、やはりそれぞれが自分にとって心地いい形を探り、自己肯定感を持てるようにしていきたいですね。組織においては、ポジティブな組織でいられるメンバーのバランスと、組織内ルールなどの環境設定を意識してみてください。
(2023年9月29日発売の『Ambitions Vol.03』より転載)
Ambitions Vol.3
「突破するポジティビティ」
表紙は大人気芸人、さらば青春の光の二人。昨年の年商3.7億円。ビジネスメディアで初めて明かす「最小組織で最大の結果を出す仕事論」とは? 第1特集「突破するポジティビティ」では、人と組織の「ポジティビティ」をフィーチャー。 日本を代表するビジネスリーダーが持つポジティビティや、安田大サーカス クロちゃんら「ネガティブに屈しない人」の秘密を紐解く。 第2特集「人的資本経営の罠」では、人的資本経営の第一人者・伊藤邦雄氏(一橋大学名誉教授)の対談企画も。3部構成で人的資本経営の本質的な論点を探る。
text & edit by Aki Hayashi / photographs by Takuya Sogawa