総フォロワー数、65万人超※。東京・六本木にある森美術館のSNSアカウントは、国内美術館トップの人気を誇っている。その戦略と実行を一手に担う“中の人”が、洞田貫晋一朗氏だ。社内の担当はたった一人という環境、主だった前例や成果のないプロジェクト。その中で、洞田貫氏はどのように成果を上げてきたのだろう。“中の人”の頭の中を探った。 ※森美術館の公式SNSアカウント(Twitter、Instagram、Facebook)の総フォロワー数(2022年12月時点)
洞田貫晋一朗
森ビル株式会社 文化事業部 広報・プロモーショングループ 広報・プロモーション担当 シニアエキスパート
2006年、森ビル株式会社入社。企画、運営、広報などを経て、2015年に森美術館のマーケティングチームに異動。SNS担当となると、独自の運営手法を編み出し、フォロワーが65万人超まで拡大。Twitter、Instagram、Facebookに加え、TikTokにも取り組んでいる。
国内美術館トップSNSは、お堅いアカウント?
65万人のフォロワーを誇る人気SNSアカウント──そう聞くと、バズを連発するインフルエンサーのような、華々しい姿をイメージするだろう。しかし、森美術館のSNS投稿を見てみると「展覧会のお知らせ」や「休館のお知らせ」など事務的なものばかり。地味で控えめな印象だ。
「森美術館のSNSは、“お堅い系企業アカウント”ですから」と、洞田貫氏は言う。
「私がSNSの担当になったのは2015年です。当時からTwitterとFacebookのアカウントはありましたが、フォロワー数はそれぞれ3、4万程度でした。来館者数を増やすためにSNSのフォロワー拡大に力を入れようと考えたのですが、美術館のアカウントというのは制限が多く、なかなか自由にはできないものでした」
まず、美術館が持つブランディングを崩す発信はできない。次に、取り扱うコンテンツである「アート作品」には作家の強い想いが込められているため、恣意的に強調したり、面白おかしく紹介したりして、作品の印象を変えてしまってはいけない。さらに企画展が中心の森美術館では会期ごとに印象がガラリと変わるため、アカウントに一貫性のある世界観や個性を持たせることも難しい。
有効な打ち手を見つけるため、洞田貫氏はSNSマーケティングに関する書籍を読み漁り、セミナーにも足を運んだ。そこで得た答えは「正解はない」だった。
「僕が真似をしようと学んだSNS術は、販売を目的とするメーカーなどの事例がほとんどでした。もちろん、コンバージョンを追求するマーケティング施策もひとつの正解だと思います。しかし、僕がいちユーザーになったとして、森美術館のSNSからそのような投稿を見たいかというと……違うな、と。美術館とファンの間には、商売っ気が強過ぎると引かれてしまう、独特の空気があるものです」
まだ世の中にない“森美術館の正解”を探すべく、洞田貫氏はフォロワーの心理と徹底的に向き合った。どんな内容を求めていて、どんなノリや雰囲気なら受け入れてくれるだろう。本質に立ち返って考えた結果、「展覧会の情報を届ける」という、シンプルな答えが見えてきた。
「中の人の個性も、ユニークな投稿もいらない。基本的な情報をナチュラルに届ける。これを軸にすることにしました」
「いいね」は狙わない。分析を繰り返し、SNSを攻略する
洞田貫氏のSNS戦略の特徴のひとつに、投稿に対する反応「いいね」を、あえて狙わないことがある。
「投稿に対して『いいね』が多く付くと、それだけで成功したと感じてしまいますが、来館者数にはさほど影響がないことがわかりました。反対に、『いいね』をしなくても、SNSの投稿から来館してくれる人は多くいます。そうであれば、たとえ反応が少なくても、展覧会情報を数多く投稿し、その時に必要としている人の目に入るほうがいい。実際、僕は一日に何度も展覧会情報を投稿しています」
反応を気にせず、淡々と展覧会のお知らせを投稿する。たったこれだけで、フォロワーは急増したという。さらに洞田貫氏は、運用する各SNSを分析し、独自の施策を次々と打ち出していった。
「例えば、Facebookでフォロワー数が伸びた時はFacebook上でTwitterのアカウントを紹介する。さらにTwitterではInstagramのアカウントを紹介する。SNSではこの順番で回遊してもらうと、効率的にフォロワーが増える傾向があります。
また、Instagramではハッシュタグ検索をする人が一定数いるため、そこも意識。具体的には、長い展覧会名やアーティスト名を投稿する時に、略さず正式名称でハッシュタグにする、などです。これはほんの一例ですが、小さな打ち手をひとつずつ重ねていくことが大切です」
その結果、SNSのフォロワー数は運用開始時の10倍以上に成長した。その内訳もTwitter約21万人、Facebook約22万人、Instagram約22万人と、バランスよくファンとの繋がりを構築している(※各SNSフォロワー数は2022年12月時点)。
「僕、ゲーマーというかオタク気質なんですよ。仕組みを分析して、攻略するのが楽しいんです。ずーっとスマホを見ているので、肩が凝りますけどね(笑)」
使い勝手のいい優等生は、ヤメだ。会社もSNSも、徹底的に使いこなす
現在は“SNSマーケター”として注目を集める洞田貫氏だが、入社後10年ほどは企画・運営など様々な部署を渡り歩いてきた。2015年に人事異動でSNS担当になったことは、会社員人生における大きな転機だったと振り返る。
「自分で言うのもなんですが、僕は会社にとって“使い勝手のいい社員”だったと思います。どの部署の仕事でも率先して、会社のために動いてきましたし、それでうまくやれていた自負もあります。しかし、毎日仕事を繰り返していく中で、“何か違う”と感じるようになりました。仕事はこなせるけど、こなせるだけと言うか。頑張っても、ちゃんとの力が発揮できていない気がする。自分自身に閉塞感を覚えるようになったのです」
そんなタイミングで、洞田貫氏はSNS運用を任されることに。ここで、企業人としてのスイッチが入った。
「使い勝手のいい存在は、もう辞めよう。せっかくSNSという新しい業務に取り組むのなら、こなすのではなく、徹底的に使ってやろう。そのために会社だって使ってやる──この時、仕事に対する考え方が大きく変わりました」
理解されない仕事で、圧倒的な成果を出す方法
企業のSNS運用業務には、周囲から理解を得ることの難しさや、部署を跨いで承認を受ける煩雑さなど、多くの課題がある。洞田貫氏は「会社を使う」マインドで、次々と攻略していった。
まず取り組んだのは、効果の可視化だ。展覧会の会場でアンケートを取り、SNS経由の来館者を数値化。さらに、ライブ配信の視聴数や、来館者のSNS投稿から発生した拡散数など、来館者数の増加に貢献するデータを得て、報告した。こうした社内の活動を繰り返すことで、洞田貫氏は社内の理解を得て、自由度高くSNS運用に取り組める環境を築いた。
実際の投稿のフローはこうだ。洞田貫氏が展覧会の担当者のもとに足を運び、その場で内容を相談し、投稿する。部署間の依頼や承認は不要。文字にすると普通のことに見えるが、様々なステークホルダーがいる組織の中で、シンプルでスピーディーな投稿の仕組みを構築できたのは、洞田貫氏が多くの部署を経験したゼネラリストだからとも言えるだろう。
「きっと、以前の自分なら組織内の関係性に縛られて、身動きができなくなっていたと思います。しかし今は、名刺に書かれている部署や役職なんてまったく気にしていませんし、『動きやすい環境は自分でつくるもの』だと考えています」
SNSの中の人、その理想の姿は“間の人”だと、洞田貫氏は語る。
「会社の中では、部署にとらわれず、その間を自由に行き来する人。SNSの投稿では、企画者に肩入れしすぎず、フォロワーを意識しすぎず、その間でフラットな情報を流す人。常にニュートラルな視点でいることが大切だと思います」
未来へ向けて投稿する、アートの種まき
最近、洞田貫氏は新たにTikTokアカウントの運営も始めたという。
「TikTokはこれまでのSNSと違い、フォローの有無に関係なく、ユーザーにとって興味があると判断された動画が表示されるアルゴリズムが特徴です。つまり、森美術館を知らない人にもアートの情報を届けることができる。ここに可能性を感じ、研究しているところです」
新しいSNSを使い始めた目的は、美術館の集客だけではなく、アート文化そのものを発展させることだ。
「僕の幼少期を思い出してみると、近所に美術館がなく、アートに触れる機会がほとんどありませんでした。でも今は、10代・20代がSNSを通してアートに触れることができる。もちろん、スマホの画面越しと実際のアートは全然違います。
それでも若い頃から日常的にアートに触れるというのは、どれほど素晴らしい経験になるのだろうかって思うんですよ。僕はTikTokの投稿を“アートのデジタル種まき”って呼んでいるのですが、アートが身近にある環境で育った世代がどのような未来をつくっていくのか、純粋に楽しみなんです」
“間の人”こと洞田貫氏は、今日も未来に向けて“普通の投稿”を続けている。
洞田貫流・企業SNSの運用ポイント
POINT 1 「基本情報」を伝える
“バズ”を狙う派手な投稿は不要。基本的な情報を、多く投稿し、必要な人に情報が届くようにする。
POINT 2 複数のアカウントを連動させる
複数のSNSを運用している場合、各アカウントで互いの情報を紹介すること。洞田貫氏の分析ではFacebook→Twitter→Instagramの順番で紹介するのが、最もフォロワーが増えやすい。
POINT 3 “気持ち”を込め過ぎない
投稿内容に思い入れがあると、内容がニッチになりがち。どんな時もフラットな目線で投稿をすることが大切。
POINT 4 来館者の投稿には、公式から「いいね」する
展覧会に来館した人のSNS投稿は、公式アカウントで「いいね」などをすること。公式アカウントからの反応は特別感を生み、投稿者のファン化につながりやすい。
【私の着火法】
SNSの外でヒントを探す
常に新しいことに挑戦するため、普段から周囲にアンテナを張り、ヒントを探し続けています。しかし、ヒントはSNSやWeb上には落ちていません。食事や移動、子育てといった日常生活の中で、ふと発見するもの。そういうところから生まれるアイデアを大切にしています。
(2023年1月20日発売の『Ambitions Vol.02』より転載)
text by Michiko Saito / photographs by Takuya Sogawa / edit by Keita Okubo