入社後、1年で管理職に。負けず嫌い精神と縁がつないだキャリア──元DIVAメンバー・山上綾加さん

矢儀田汐理

元アイドルたちの活躍をひも解くと、ビジネスパーソンにも通じるキャリア選択のヒントが隠れているかもしれない──。人材関連サービス運営のパーソルキャリアで広報を務める一方、アイドルについて知見をもつ矢儀田汐理氏が、元アイドルのセカンドキャリアを解説する連載の第五回。登場するのは、AKB48から派生したアイドルグループ「DIVA」で活躍した、山上綾加さんだ。 芸能活動引退後、30歳を目前に一般企業に就職。新規事業立ち上げや管理職を経て、現在はプロモーション職に従事している。山上さんに、キャリアの変遷について聞いた。

一般オーディションからグループ加入、アイドルとして駆け抜けた日々

──山上さんは、アイドルグループ「DIVA」で活躍されていました。アイドルになったきっかけは?

DIVAには大学時代に加入しましたが、そもそも芸能界に入ったのは、小学校3年生のときです。芸能スクールのオーディションでグランプリを取ったことがきっかけで、北海道のローカルグループでアイドルデビュー。さらに高校時代は、芸能プロダクション・LDHの新人開発部で活動をしていました。

DIVAは、AKB48の選抜メンバーで結成されたダンス&ボーカルグループですが、一般枠からも追加メンバーのオーディションが行われることに。大学進学を機に一度芸能活動から離れていたものの、どこか物足りなさを感じていたこともあり、「もう一度アイドルとしてやり切ってみたい」と、オーディションを受けて加入しました。

──DIVAでの活動について、詳しく教えてください。

DIVAは当初、AKB48のメンバーありきのグループとして認知されていました。そのなかで、私を含め一般オーディションで加入したメンバーは、自分たちの価値をどのように高めていけば良いかを何度も話し合い、積極的にアイデアを出しながらチャレンジをしていました。

特に、私はダンスが好きだったので、ダンスパフォーマンスに力を入れていました。また、ディレクションが好きだったので、ライブでのダンスの構成や振り付けなどを考えることも楽しかったですね。

 “勝ち筋”を探し、タレント転身後は演技にも挑戦

──DIVA解散後は、タレント活動もされていたそうですね。

グループは解散してしまいましたが、芸能活動をやり切れていない気持ちがあり、個人でタレント活動を始めました。

アイドルを長く続けていると、ときには「まだアイドルやってるの?」と笑われることもあります。しかし、負けず嫌いな性格なので、馬鹿にされるたびに「負けたくない!」という思いが強くなっていたのです。

タレント活動を始めたときは、映画に出演することを目標にしていました。コネクションもない状態から、実力で役を勝ち取ったときは、とてもうれしかったですね。


──アイドルの頃から、演技にも興味があったのですか?

LDH在籍中、育成プログラムに演技レッスンがあり、興味を持っていました。演技を通じて、人の奥深い心理を考えることが、とても面白かったんです。

また、タレントとしての“勝ち筋”を考えたときに、ダンスよりも演技に力を入れるべきだと思っていました。ダンスは好きでしたが、マーケットが狭く、売れることが難しいジャンル。もっと視野を広げなければと、演技にも挑戦しました。


──アイドル時代とタレント時代で、ご自身に変化はありましたか?

タレントはアイドルと異なり、グループではなく、個人で勝負しなければなりません。タレント次第でチケットや商品の売れ行きが変わる厳しい世界のなか、どうしたら自分のファンになってもらえるか、収益含め目標を達成できるかをシビアに考えていました。

現在の仕事であるプロモーションにも通じる部分がありますね。

知り合いの紹介で広告代理店に入社、1年で管理職に

──その後、芸能活動を辞めて、一般企業に就職しようと思ったきっかけは?

タレントをしながらアルバイトもしていたのですが、あるとき、アルバイトと同じだけの収入を、タレント活動で得ることができました。そのときに、自分のなかで目標が達成されたような感覚になってしまって。個人での仕事は、収入も精神状態も不安定になりやすいため、それ以上芸能界で活動することに難しさを感じ始めていました。

30歳を前に、周りの人たちは結婚・出産など、ライフステージが変わっていくタイミングでもありました。自分のこれからの将来を考えたときに、「スキルを身に付けて、市場価値を高めなければ」と思ったのです。


──1社目は、広告代理店に入社したそうですね。

当初は、美容が好きだったので、自分のブランドを立ち上げようと、勉強をしていました。

そんななか、知り合いに「広告代理店でキャスティングの仕事をしてみないか」と、声を掛けていただいたのです。

広告代理店で企業のマーケティングを学ぶことは、今後につながる良い経験になると思いましたし、スキルもない状態から雇ってくれるところは他にないと感じ、勢いで飛び込みました。

──入社してみて、一番印象に残っていることはありますか?

タレントとして広告代理店と仕事をすることはありましたが、そのときは正直「なぜ現場にこんなに人がいるのだろう」と、不思議に思っていました。広告代理店側になってみて初めて、裏でたくさんの人とお金が動いていることを目の当たりにし、驚きました。

同時に、タレント側と広告代理店側、両方の世界を知っている人は多くないと思うので、自分の強みになると確信しました。


──入社間もなく、新規事業も立ち上げたとのことです。

TikTokが流行り始める少し前、いち早くTikTokに目を付けていた上司がいました。ところが、ほとんどの社員は「TikTok は編集のやり直しもできないし、レベルの高いタレントを探すのも大変そう」と避けていました。

かくいう私もTikTokはやったことがなく、むしろSNSには疎いほう。しかし、トライをしないまま文句を言うことは嫌なので、「私がやります!」と手を挙げ、本格的に事業を立ち上げました。

その結果、事業は順調に成長。会社から成果を認められ、入社して1年ほどで管理職に任命していただきました。


──管理職に任命されたときの気持ちはいかがでしたか?

正直な話、アイドル時代にマネージャーの大変そうな姿を見ていたこともあり、マネジメント職だけはやりたくないと思っていました(笑)。

しかし、ここでも負けず嫌い精神を発揮し、「せっかくお話をいただいたからには、トライしてみよう」と、前向きに引き受けました。あとは「アイドル時代に馬鹿にされた分、同世代の人たちより稼いでやる」という気持ちもありましたね(笑)。


──実際に管理職の仕事をしてみていかがでしたか?

チームをまとめることは、本当に大変でした。「自分が良ければ良い」というわけにはいかず、多方面に目を向けなければいけません。どこかでトラブルが起こると、一気にプロジェクト全体が崩れてしまうこともあり、大変苦労しました。

しかも、プレイングマネジャーとして自分の仕事も抱えていたので、キャパシティにも限界がありました。そのなかで事業を拡大させるためにはどうしたら良いか、メンバーとたくさん話し合いを重ねながら、一緒に事業を作り上げていきました。

転職後、企業への営業も担当。“点”だった経験が、一つの“線”に

──前職ではプレーヤーとしてもマネジャーとしても大活躍だったのですね。そこから、なぜ今の会社へ転職をしようと考えたのでしょうか?

自分のキャリアを考えたとき、今のままでは経験が“点”でしかないと感じていました。前職は施策実行がメイン。一気通貫してセールス・マーケティングができるようになるためには、クライアントを獲得するスキルが必要だと考えていました。

また、将来的に自分のブランドを立ち上げるために、SNSのいいね数やコメントなどの定性的な要素でKPIを立てるのではなく、「どうしたら商品の売り上げが上がるのか」を、より本質的に分析できるようになりたいと思ったのです。

そこで、OMOマーケティングなどを手がけるNELに転職しました。NELの事業部長は、実は前職の仕事を通じて知り合った美容友達でした。NELでは美容ジャンルを扱っており、会社を拡大するタイミングで「美容といったら山上」という具合に声を掛けていただきました。


──現在のお仕事内容を教えてください。

NELではプロモーション職に従事し、具体的な数値を用いて仮説を立て、企業様にご提案しています。会社の強みでもあるのですが、Web上だけでなくオフラインのデータも掴み、店舗も含めて一気通貫した提案に力を入れています。

企業様に納得してもらうためには、相当なデータが必要となるので、難しさもありますが、とても面白いです。また、営業を経験したことで、タレントや前職での経験がつながり、ようやく一つの“線”になったと感じています。


──これまでのキャリアで、アイドル時代の経験が活きていると思ったことはありますか?

やはり、芸能活動を通じて身に付いたコミュニケーション力は、一般企業でも活きていると感じています。

芸能界で活躍するためには、ファンや現場スタッフに愛されなければなりません。自分のことを好きになってもらえるよう試行錯誤したことで、現在クライアントと向き合う際も、相手に好印象を与えられる対話を自然に意識できるようになったと思います。

また、芸能活動を長く経験してきたからこそ、タレント側の気持ちが分かることは大きな強みではないでしょうか。「自分だったら、こんなコミュニケーションをしてほしかった」という思いがあるので、コミュニケーションの取り方も自分なりに工夫できていると思います。

人との縁がすべて。“フッ軽”で出会いを作りにいく

──山上さんは、人とのご縁でキャリアを歩んでいる点が印象的です。

自分でも、人に恵まれていると思っていて。仕事もプライベートも、人とのご縁がすべてだと思っているので、一つ一つの出会いを大切にしています。

同時に、「こんな人に会いたい」ということを、自分からしつこいぐらいに発信しています(笑)。

たとえば、以前、自分が好きな韓国コスメブランドと仕事がしたいと思い、現地調査へ行くことになりました。その際、「せっかくだから現地で交流ができる韓国人の知り合いがほしい」と考えていたんです。そこで、自分で出会いを探し、現地に行くタイミングには、なんと望み通り韓国人の友達ができていました。おかげで、充実した現地調査を行うことができました。

自分の求める環境を自分で作り出すことが、得意なのかもしれませんね。


──人との出会いやチャンスを自ら作りに行っているのですね。

そうですね。また、フットワークの軽さも常に意識していますね。

タレント活動をしていた頃から、情報収集をするためには、人と会うほうが早いと気づいていました。人とコミュニケーションを取ることも好きなタイプだったので、面白そうな活動をしている人がいたら、積極的に会いに行き、自分を売り込んでいましたね。

そして出会った人たちが「こんな人がいるよ」「こんな仕事があるよ」と声を掛けてくれるので、チャンスを無駄にしないよう、すぐ行動するようにしています。


──今後の目標はありますか?

自分のブランドを持つことが、一つの大きな目標です。いずれは、誰かの悩みを解決できる美容ブランドを作れたらと思っています。

そのためにも、今の仕事で実績を積んで自分の成功パターンを築き上げ、会社に還元しつつ、自分の将来にもつなげていければと考えています。


【取材を振り返って】

山上さんの「負けず嫌いゆえに高い成果を出す」という姿勢は、とてもかっこいいですね。ただ、負けず嫌いだからというだけでなく、「自分のキャリアには何が必要か」を冷静に判断したうえで成果にコミットしており、着実にご自身の目標に近づいているように思います。

そして、やはり印象的なのは、人とのご縁に恵まれていること。それはご自身の運だけでなく、積極的に人とのつながりを作っているためでしょう。アイドル時代から一貫して、自分で情報を取りに行き、一つ一つの出会いを大切にしていた山上さんだからこそ、周りからたくさんのチャンスが舞い込んでくるのだと思います。


text by shiori yagita

#本業転換#働き方

最新号

Ambitions FUKUOKA Vol.2

発売

Scrap & Build 福岡未来会議

100年に一度といわれる大規模開発で、大きな変革期を迎えている、ビジネス都市・福岡。次の時代を切り拓くイノベーターらへのインタビューを軸に、福岡経済の今と、変革のためのヒントを探ります。 また、宇宙ビジネスや環境ビジネスで世界から注目を集める北九州の最新動向。TSMCで沸く熊本をマクロから捉える、半導体狂想曲の本質。長崎でジャパネットグループが手がける「長崎スタジアムシティ」の全貌。福岡のカルチャーの潮流と、アジアアートとの深い関係。など、全128ページで福岡・九州のビジネスの可能性をお届けします。