「ニューヨーク(NY)は転がっている運の数が違う街」。フリーアナウンサーの大橋未歩氏と映像ディレクター・作家の上出遼平氏ら夫妻はそう答えた。2023年8月にNYに新居を構え、今感じる言葉の壁すらも「自己投資」と捉えて、日本とは比べ物にならないくらいハードだけど、実は優しさもある環境での生活を楽しんでいると言う。居心地のいい場所から一歩踏み出すためのマインドセットを知るべく、移住を決断した背景、現在の生活、そして、NY生活を通じて広がりつつある可能性について、ふたりに話を聞いた。
大橋未歩
フリーアナウンサー
1978年、兵庫県生まれ。上智大学卒業後、2002年にテレビ東京に入社し、多くのレギュラー番組で活躍。2013年に脳梗塞を発症後、約8カ月の療養を経て復帰。15年間勤めたテレビ東京を退社し、2018年にフリーアナウンサーに転身。MXテレビ「5時に夢中!」日テレ「スッキリ」などのレギュラー番組を経て、アメリカ・ニューヨークに移住。初出演映画「冗談じゃないよ」が日本映像グランプリ脚本賞を受賞。日米を行き来しながら、テレビ、ラジオ、イベントなど幅広く活躍中。
上出遼平
映像ディレクター・作家
1989年、東京都生まれ。早稲田大学を卒業後、テレビ東京に入社。2017年にスタートした『ハイパーハードボイルドグルメリポート』シリーズの番組制作を担当。2022年、テレビ東京を退社し、フリーランスに。文芸誌『群像』(講談社)にて連載していた小説『歩山録(ぶざんろく)』が新刊として発売。また、2024年3月に『ありえない仕事術正しい“正義”の使い方』(徳間書店)を発売、文筆家としても活躍の場を広げる。現在NYを拠点に活動中。
東京より不安定でハードな環境を求めて
大橋 私はもともと、人生で一度は海外に住んでみたいという願望がありました。それに加えて、ふたりとも安定を好まないことも、移住を決断できたひとつの理由だと思っています。これまでも、彼とは2度にわたりロングトレイル(長距離の登山・ハイキング)に挑戦したんですが、そういった体験を自らに課しています。今回のNY移住のことを、私たちは「修行」と呼んでいます(笑)。
上出 もはや、課すこと自体が癖になっている。ある意味、僕たちはすごく心配性で、不安で仕方がないから日本を出たという節はあります。同じ場所にいると、今日、明日は快適に過ごせるけれど、人としての成長速度に目を向ければいずれは頭打ちになる。成長の機会を失うことと引き換えに、安心を得ているような感覚がありました。
彼女が2017年、僕が2022年に会社を辞めてフリーランスとなったことで、どこにいても仕事ができるようになりました。居心地がよくてお金がかからない地域へ移住する人がいるように、もっと居心地が悪くて、もっとお金のかかるような場所を求めて僕たちがたどり着いたのが、NYでした。正直まだ落ち着こうという感覚はなくて、東京と比べて、明らかにいろんな摩擦やダメージがあることに惹かれたんです。
住む場所を変えて英語のレベルが上がるなら、10年後にできる仕事は増えているはず。今回の移住は、僕たちなりの投資だと考えていて、生活ができる限りNYに居続ければ、その分が今はないスキルとして身になると信じています。お互いそんな考えもあるからこそ、今ここにいるんだと思います。
僕がやっているドキュメンタリー制作に限って言えば、日本で本気で作っても飯はほぼ食えない。ドキュメンタリーを見たい日本国民が、1%くらいしかいないからです。日本で何かを作るなら、マスに向けて作らないと思うような生活はできない。だけどアメリカを中心とした英語圏をマーケットとして、自分が好きなものを作って、それが1%にでも響けば、そもそも母数が多いので、日本のマスに響くよりも大きな収益になります。
日本語に対して支払われるお金が減っている中で、外に出る可能性を自分たちで持たずにいるのは、僕にとっては恐ろしいことなんです。
大橋 彼が言うように、英語圏を視野に入れれば市場が圧倒的に広がりますよね。そういう手を先に打っていきたいという感覚もあるんです。
私はテレビの出演者として、日本に居続けても仕事がなくなることはないかもしれないけれど、楽しく主体的に仕事をし続けるには、武器を増やすしかないと感じていました。
フリーランスになって約5年、私の中ではアウトプットを続けた期間でした。人から見たら少ないかもしれないけれど、自分で決めていた最低ラインの貯蓄ができた今、それを元手に次のインプット(自己投資)をする時期が来たと思っています。
今は「出稼ぎ」として日本で定期的にいただいているお仕事をするために帰国しているのですが、いずれはいったん出稼ぎはお休みをしようと思っています。NYで仕事が見つかるまでは、一時的に収入は減ってしまうかと思いますが、長期的に見たら得られるものが何かあるはず。
将来的には、アメリカで起きていることを直接見聞きして、それを日本へ伝えられるようになれたらとも思っています。例えば、NYに来てから感じた、日本のプレゼンスの高さも伝えたい。
日本の漫画、アニメ、食、きれい好きで物事をきっちり統制するところは、NYにいる人たちからもすごく尊敬されています。日本を悲観しているのは、実は日本人だけなのかもしれないと私は感じます。危機感を持ちながらも、日本のいいところは発信すべきだと思っています。
住んでみてわかった“ケアの街”ニューヨーク
上出 何度か仕事や旅行で訪れていることに加え、僕が中学生だった頃、父親が一時期NYに住んでいたんです。当時、父親のもとへ遊びに行ったら、ひとりでピザ屋に行かされたことがあって。NYの街を一人で歩いたときの恐怖感やワクワク感が、登れるかもわからないような険しい山を登るときと近しいものがあって、今でも鮮明に覚えていて。そこで「NYに行くとワクワクできる」という感覚が刷り込まれたのかもしれません。
大橋 移住先の候補地としてロサンゼルス(LA)も検討したのですが、車がなくても生活ができる交通の便利さに加えて、せっかくなら様々な人種の人と出会える場所がいいなと思っていました。
語学学校も、NYの中でも最も移民が多く、167の言語が話されていると言われる「ジャクソンハイツ」というエリアにある学校を選びました。同じクラスに15カ国の生徒がいて、これは日本にいてはたどり着くことのできない環境ですよね。もっといろいろな国の人と話ができるようになりたい、とワクワクしています。
移住前は、他人のことなんて気にしない“弱肉強食な大都会”、というイメージもありました。しかし、私が道に迷ったらすぐに誰かが声をかけてくれるし、路上生活者に若い人が食べ物を渡すところも見かけました。街中ではボランティア団体が主体となって貧困世帯への配給も頻繁に行われています。建物に入るときなどは、男女問わず前の人が後ろの人のためにドアを開けて待っていてくれる方も多く、お互いにケアし合う街だと気付かされました。
上出 もちろん、ビジネスシーンになると話は変わってきます。銀行の担当者と連絡がつかないと思ったら、突然リストラをされていたなんてこともざらにある。仕事をするうえでのドライな側面には、これから接することになると思います。
彼女も言うように、人種のるつぼの中にいるというのは生活をしながら感じています。誰もがマイノリティだから、僕たちもマイノリティだと感じない。
僕は自宅近くにあるカフェを併設する「McNally Jackson Books(マクナリー・ジャクソン・ブックス)」という本屋さんでよく原稿を書いているのですが、そこで頻繁に会う、イスラエル出身の人とエジプト出身の人も本を書いていることが最近わかって。「5年近くかけて本を書いている」「僕は、明後日締め切りなんだ」みたいな会話をするようになったんです。家から少し足を延ばすだけで、日本にいたら足を踏み入れることのなかった別世界が広がっていることを感じます。
また、映像を撮りに、マンハッタン島から見て北にあるブロンクスによく訪れます。昔は薬物を売ってました、みたいな人がザラにいる本当に怖い街です。でも、なかには気持ちを入れ替えて、料理などに本気で打ち込んでいる人たちもいて、そういった面白さもあります。
中国人だけが集まって食材の配給をしているところも見かけますし、厳格なユダヤ教徒たちだけが集まったエリアもあるので、そうしたコミュニティへの取材をしてみたいという気持ちも湧いてきました。
McNally Jackson Books
・アクセス:フルトン・ストリート駅から徒歩5分
・所在地:4 Fulton St, New York, NY 10038 アメリカ合衆国
・営業時間:10:00-21:00
大橋 私のお気に入りの場所は、マンハッタン島の東側を流れるイーストリバーと、そこに架かるブルックリンブリッジとマンハッタンブリッジという2つの橋が見える、サウス・ストリート・シーポートというエリアです。公園の中には、机と椅子がたくさんあって、Wi-Fiまであるんです。寒い時期は、彼は本屋さんで仕事をしていますが、暖かい時期はふたりでランチをしながら、一緒に仕事ができてうれしいです。
マンハッタンは高層ビルが立ち並ぶエリアももちろんありますが、あらゆる所に緑もあって、のどかで心が落ち着く癒やされる場所もたくさんあると、移住をしてみて気づきました。
あとは、ふたりでイーストビレッジへ歩きに行きます。彼は、おしゃれな洋服屋さんや中古カメラ屋さんなどをよく覗いています。私は「Scarr'sPizza(スカーズピザ)」が好きです。地元の人たちに愛されているピザ屋さんという印象です。
Scarr's Pizza
アクセス:イースト・ブロードウェイ駅から徒歩3分
所在地:35 Orchard St, New York, NY 10002 アメリカ合衆国
営業時間:12:00-24:00
見方を変え工夫すれば日々の生活が成長につながる
大橋 もちろん苦労もあります。私たちは「アーティストビザ(O-1ビザ)」を取得して滞在しているのですが、初回は3年間有効で、その後は1年ごとの更新が必須となります。初めて取得するときよりも更新は楽だとは聞きますが、それもそのときの情勢によって変わってくるでしょう。
物価が高いことも覚悟はしていましたが、家賃と外食費が本当に高い。月の家賃が4,000ドル(日本円で約60万円)を超えて初めて、家の中に洗濯機を置くことができて、エレベーターがある建物に住むことができます。
医療に関して言えば、どこに行っても安心して医療を受けることができる国民皆保険制度のある日本のほうがいいですよね。アメリカでは、自分で保険を選んで入って、その保険会社と契約ができている病院に行かないと高額な医療費を払うことになります。
上出 日々の安心した生活を求めるのなら、日本が一番です。でも、NYも工夫をすれば暮らすことはできる。家賃は高いけれど、家に洗濯機がないならコインランドリーを利用すればいいし、友人に安く部屋を借りているという話もよく聞きます。年収の低い人が、抽選で通常よりも割安な価格で家を買ったり借りたりすることのできるNY市の「HousingConnect」という制度もある。
そして、彼女もビザの話をしていましたが、来る前からビザの心配ばかりしている日本人は、すぐに日本に帰ってしまうことが多いそうです。むしろ最初は不法滞在していたけど、アートを当てたり、ひとつビジネスで成功を収めたりした人たちが、結局長く住んでいるという話すらよく聞くくらいです。僕らも、日本に帰国するまでのお金がある限りは、このハードな環境に投資し続けたい。そこで得たスキルが、将来の食いぶちになっていくと信じているからです。
大橋 ネガティブな側面は挙げたらキリがありませんが、そこばかり発信して海外移住を考えている人たちを萎縮させたくないんです。彼が言うように、実際に暮らしてみると安く生活する方法も見つかります。円安や物価高が叫ばれていますが、逆にこっちの銀行に預けておけば5%の金利がつくなど日本にはないポジティブな要素もあります。
そして、ネガティブな要素以上に、日々の生活が自分の成長にとって、血となり肉となっているなって感覚があって、私たちはすごく楽しんですよ。もちろん人によって海外移住への向き不向きはあると思いますが、みんながもっと海外に出たいと思ってもらえるような発信をしていきたいと思っています。
時間があっても足りない、挑戦したいと思わせる街
上出 NYに移住したことで、僕らの「ビジネス」が劇的に変わったかと聞かれるとまだそこまでには至っていません。そもそも、読者の皆さんがイメージされているような金もうけするための事業というよりは、僕らにとっての「ビジネス」という言葉は、どうやって生計を立てていくかに直結しています。ただ、今回の移住は、モノづくりや発信をしたいと思う僕たちにとって、いい方向にも働いていると思います。
まず、NYという街では、日本以上に自分を持っているかどうかが問われているように感じます。英語力はもちろん求められますが、正直に言うと教科書に載っているような表面的なコミュニケーションスキルは必要ないんです。たとえ英語に自信がなくても、語るべきことさえ自分の中にしっかりあれば、十分に対話し続けることができる。雑なまとめ方ですが、日本以上に本質的なコミュニケーションが問われていて、僕らにとって相性がいいんだと思っています。
また、ビジネスを始めるにしてもこっちの人によく言われるのが、「日本人は9割5分ぐらいいけるという確信を持って、ようやく何かを始めるよね」ということ。「だから駄目なんだよ」とまで言う人もいます。こっちでは、10%くらいでいけそうだと思ったら、とりあえずやってみて、ダメだったら変えて、成功の芽があったらアジャストし続けていくことが主流です。
あらゆる場面でこっちは加点方式で、日本は減点方式が採られているように感じます。ひとつでもミスをするとそれがレッテルとして残ることもある日本では、挑戦をしなければ減点もされず、一度100点を取ってしまえばその地位に居続けることもできる。安定した地位にいながら歳を取るよりも、僕たちはここでまた0点からスタートして、どんどん点数を稼いでいくように挑戦をしたいと思っています。
5人くらいのスケート仲間たちがノリでブランドを始めて、店舗を構えるようになって、今ではしっかり稼いでいるのも実際に目にしました。それに触発されて、僕も久しぶりに地元の友人に連絡をとって、「山岳制服振興会」という山登り専門のブランドを立ち上げようとしています。
いくら時間があっても足りないと思うくらい、NYはもっと挑戦したいと思わせてくれるんです。
大橋 彼もそうですが、移住をしてからのほうが、やりたいことがどんどん湧いてくる感覚があります。NYは、転がっている運の数が違うからでしょうか。
ブロードウェイ・シアターのチケットも永住権(グリーンカード)も、安く住むことのできる権利も、抽選制度があって運が良ければ手に入れることができる。チャンスは平等に分配されていて、「自分も何かつかめるんじゃないか」と思わせてくれる力がこの街にはあると思います。
私は2024年3月から「Acting(演技)」を学ぶために学校に行きます。初めて出演した映画「冗談じゃないよ」が日本映像グランプリの脚本賞を受賞したのですが、私自身は本当に恥ずかしい演技しか出来なかったので、もっと学んで、夢を持っている人たちと何かを作りたい。「この年齢から?」と思われるかもしれないですが、年齢は関係ないと素直に思えるのが、NYという街でもあります。
そして、今書いているコラムを将来本にしたいし、いつかふたりでキッチンカーもやってみたいです。
やりたいことがこうして増えるのは、自分が理想としていた仕事と生活のバランスが100%取れているからだとも思います。100%と言い切ることができるのは、そもそも自分で決めるべきことだから。あと、私は2013年に脳梗塞を発症して、会社を約8カ月休んだ経験があるからだとも思います。当時を振り返ると、自分の心と体のバランスが一致していなかったのかもしれないと。
ずっと目標をもち続けたり、何かを同じ場所で楽しみ続けたりすることって、すごく大変なことだと思うんです。ただ、ここここにしかいることができない、選択肢はこれしかないという環境は、自分を時に追い込むことにもつながるのではないでしょうか。
生きていく場所は変えてもいいということ、住む場所に限らず、副業など働き方にももっと流動性があっていいということを、実際に行動に移して確信しています。離れてみると元々いた場所のポジティブな再発見があって、それがまた次の決断につながる。自分たちが大切にしたいことを見極めたうえで移住をして、苦労を実感できる毎日を、今すごく楽しめています。
大橋氏・上出氏がNY生活の"今”を伝えるコンテンツ
Ambitions Vol.4
「ビジネス「以外」の話をしよう。」
生成AIの著しい進化を目の当たりにした2023年を経て、2024年。ビジネスの新境地を切り拓くヒントと原動力は、実はビジネス「以外」にあるのではないでしょうか──。すべてのビジネスパーソンに捧げる、「越境」のススメ。
(2024年3月28日発売の『Ambitions Vol.04』より転載)
text by Mika Moriya / photographs by Yusuke Yamanouchi / photography cooperation by Jun Morikawa / edit by Reo Ikeda