「好奇心旺盛な人だと言われることに、ずっとしっくりこなかった」。マーケティングや事業開発コンサルタントとして活躍し、大学院で教鞭もとる高広伯彦氏は言う。専門領域はもちろんのこと、登山やトレイルランニングといった趣味、アカデミックな領域など、さまざまに関心を寄せて情報や文脈を収集し、発信することでも知られる。勉強熱心というだけではなかったのだ。 今回、「大人の学び」について聞いていくうちに、あるキーワードが浮かび上がった。「そうか、僕は『知の貧乏性』なんだ! その『知』が定める範囲は無限に広がっている」。知の貧乏性という生き方が、現代のビジネスパーソンにもたらすインスピレーションを考える。
高広伯彦
マーケティング&事業開発アドバイザー
博報堂、電通、Googleなどで広告/マーケティング/デジタル領域の事業に20年以上関わる。2009年にスケダチ(現マーケティングエンジン)を設立。ベンチャーから一部上場企業のマーケティングや事業開発支援を行う。研究者としてはマーケティング戦略/デジタルマーケティング/サービス・デザインが専門領域。社会構想大学院大学コミュニケーションデザイン研究科特任教授。博士(経営科学、京都大学)。
具体的すぎるものは「賞味期限」が短い
縁あって、社会人大学院で教える立場ですが、集まっているのはビジネスパーソンがほとんどです。僕が講義で常に言っていることの一つは「抽象度の高い学びをしなさい」。言い換えるならば「ものの見方を身につけましょう」。具体的な物事を俯瞰したり、底から眺めたりして、抽象的に捉えることで本質的な部分が見えてくるものです。
修士課程を修了したら翌日から使えるような実践力を磨くのは確かに大事だけれど、僕は「具体的すぎるものは賞味期限が短い」と思っているんです。すぐに使えて、さらに枯れていくようなものに、高い学費と貴重な大学院の2年間をかけるのは減価償却の期間が短すぎるのではないかと。
仕事の延長線上のことだけを学びたいのであれば、おそらく社会人大学院ではなく、他に適した場所があるはずです。もちろん、大学院生たちの研究テーマは本業に関係することが多いのですが、それにしても抽象度高く学び、研究したほうが良いと勧めていますね。
では、どうすれば抽象度の高い学びができるようになるのか。一つには「自分たちが今していることを外側から見る」ことです。ビジネスパーソンが社会人大学院という場で勉強するのも、まさにその機会になります。「ビジネスパーソンとしての自分」だけではない「別のところにいる自分」を作る。社会人大学院なら「学生としての自分」ができ、外部からの抽象的な捉え方で、自分の仕事を見直せることでしょう。
僕の場合であれば「考古学や人類学が好きな自分」とか、「博士号を持った実務家研究者としての自分」もいるわけです。その他には「アウトドア好きで、インストラクターや山岳ガイドの有資格者である自分」もいますね。
そのように複数の役割を持つ立場へ、自分自身を変化(へんげ)させられるからこそ、変化の一つである「ビジネスパーソンとしての自分」を見直すことができるのではないか、と思うのです。
僕が幼い頃に『愛の戦士レインボーマン』という特撮テレビ番組が放送されていました。レインボーマンというヒーローは7種類の姿に変化し、それぞれの姿にちなんだ超能力を持っています。きっと、僕らもレインボーマンみたいに、バラエティを持つ人間となってパワーを発揮していけるはず。「ビジネスパーソンとしての自分」だけではなく、色々な自分を持つほうが理想のあり方ではないかなと。
「仕事の周辺」しか学ばないと、人間として面白くない
今、特にビジネスパーソンにおいては、どうも「学び」と言うと、仕事の周辺しか学びにくいように感じますね。もちろん、学ぶのは良いことです。書店にはビジネス書コーナーがありますし、Webメディアやnoteなどのブログ、SNSと、あらゆるところにビジネスのTipsがあふれていますから。どこに居ても学べるウェビナーも一般的になりました。学習コンテンツの充実と言えるでしょうし、情報過多とも呼べるくらいでしょう。
問題は「学び」が仕事の周辺に偏っていることです。これはキャリア論でよく言われますが、既知である経験の延長線上だけでは、キャリアは伸びていきません。「学び」も同様で、仕事に関することを得るのは良いとしても、そればかりだと人間としての「太さ」が出てこない。言い換えると、仕事以外の「余計なこと」も知っておくほうが、人間としての面白みが表れてくるのではないか。
リベラルアーツや教養といわれるものからは、専門性を重んじるよりも、もっと雑多な印象を受けます。仕事と全く関係のないことを含めて、驚きや発見をもって「知」を拾い上げていくことの喜びや楽しみがありますね。
確かに、ビジネスの世界には学びがたくさんあります。一方で、よほど意識的に過ごさなければ、仕事以外の世界を覗いてみる機会は増やしにくいものです。
思い出話を一つ挟みます。僕は小学生の頃、大阪の万博記念公園にほど近いところで暮らしていました。園内には国立民族学博物館があって、世界中の民族やその文化や言語を学べる映像やコンテンツが揃っていたんです。普段の生活では目にもしない様々なものがその博物館にはあった。自分の世界を広げるには、好奇心を持って日常を過ごせるかどうかだ、と気づくきっかけになりました。
偶然の出合いを「セレンディピティ」と呼ぶこともあります。偶然性に頼る事象ではなく、ある種の確率的な理由を実は持っていると考えています。たとえば、同じ場所にずっと立っていたら出合えるものは当然に少ないですし、セレンディピティは起きにくい。一方で、自分自身が色々な場所へ出かける機会があれば、自分自身にとっての発見や情報とのマッチングが増えるわけですね。
大人になってからの僕が「これは好奇心を生み出してくれるサブスクだな」と感じたのが、博物館から定期的に届くチケットや案内でした。東京国立博物館など数館の寄附会員や年間パスのメンバーになっているのですが、会員になると特別展のチケットが送られてきたり、内覧会に呼んでもらえたりするんです。その全てには足を運べませんが、知る機会そのものを得られたことが、次の「知」につながるきっかけになります。
実際に訪れてみれば発見はあります。「世界最古の釣り針」がどこで出土したのかを知っていますか? 上野の科学博物館の特別展で展示されていて知ったのですが、実は沖縄の洞窟なんです。貝でつくられた約2万3千年前のものです。沖縄から出土した理由が気になって沖縄の考古学を調べてみると、実は化石人骨の出土も多いんです。本州とは土壌の性質に大きな違いがあるようです。本州は火山灰が混ざっている影響もあって土壌が酸性であるのに対し、沖縄はサンゴ礁が隆起した石灰岩が分布していて弱アルカリ性の土壌があり、骨が溶けにくく残りやすいと言われています。
博物館で得られた「世界最古の釣り針」という知識をきっかけに、考古学や化石人骨にまつわる新しい知識がどんどん引っ張られてきた。このように知識が芋づる式に得られるのは、根っこのところで絡み合っているからだと思います。つまり、知識は積み上げ式というよりも、横へ横へと網目状に広がっていくものではないかと思うのです。こういった捉え方は哲学用語で言うところの「リゾーム」(地下茎を意味する哲学用語。ツリー構造=木と対比して語られる)とも近いでしょう。
そもそも、情報や知識というものは、それ単体で独立していません。言わば、ネットワーク状に存在していて、何かしらの体験をきっかけに「つながり」が見えてくる。その「つながり」の先には、みなさんの「仕事」に辿り着くかもしれないわけですよね。
アイデア創出を加速させる「知の貧乏性」という生き方
今、ビジネスパーソンが触れられる情報は、意外とみんな同じくらいの量ではないか、とも感じます。ただ、人によってそれをキャッチできる「網の目」が違うんです。仮に、情報が「上から降ってくる」としたら、網の目が細かいほうが引っかかる量が増えるので、より多くの楽しみや「つながり」を得られる。この網の目を形作るのが知識であり、教養なのではないかと思います。
網の目の細かさは、インターネットから得られる情報の変化に対応するためにも大切です。英語では「スナッカブル・コンテンツ」と呼ばれるような、スナックをつまみ食いするように摂取できてしまうコンテンツが増えています。背景には、X(旧Twitter)が元々投稿文字数に制限があったことや、TikTokなどで短尺の動画が人気ということもあります。スナッカブル・コンテンツの問題点は、各コンテンツから背景となる文脈(コンテクスト)が剥ぎ取られた状態で点在してしまうことにあります。しかし、それらの情報から文脈や真意を読み取ったり、点在している情報を結びつけたりするには、知識や教養がなくては難しいのです。
さまざまな情報に触れ、文脈を理解し、ときには文脈を発見する。今後は、背景情報を多く知っているということが、ビジネスパーソンとしての強みになるかもしれません。
ビジネスの現場に視点を寄せると「教科書的なマーケティングの知識はすぐに実践できない」といった声を聞きます。ただ、僕の経験からしても、学んだことや知ったことが数年後、10年や20年経って腹落ちすることもあります。そう考えると、得た情報からの「学び」は、その瞬間だけでは価値を決められないのでしょう。学びの価値は時間軸が長いという前提に立つと、情報を得る当人としては、好奇心を旺盛にしながら、様々な情報を発見したり、疑問を抱いたりしながら向き合っていくことしかできない。
どうしてこういった考えを大切にしているのかといえば、今日話していて気づきましたが、僕は言わば「知に対する貧乏性」なのです。得られる「知」の範囲にこだわりもなく、定めてもいない。対象は無限に広がっているんですね。
シュンペーターのイノベーション理論に則ると、新しいことを生み出すには「新結合」が大切だと言いわれます。結合させて新たなことを生み出すためには、色々な「知」を持つに越したことはない。つまり、「知の貧乏性」とは、イノベーションやアイデア創出の機会を増やそうとする姿勢と言ってもいい。
そうなると、仕事周辺のことだけに頭を使うのはもったいない気がしてきませんか。僕自身も経営計画やマーケティングに関する論文を読むことは多いですが、「仕事に活かそう」とは考えずに「脳みそに栄養を与えて、喜ばせてあげる」という感覚なんです。それと同時に、脳に多様なものの見方を自然とインストールしているのですね。
詰め込むだけでなく、「知の編集作業」で脳の整理を
頭の中には「整理済みの知」と「未整理の知」があると思います。それが整理されるのは、新しい情報と出合い、何かしらの結びつきが起きたとき。整理できたら自分なりの「整理箱」にラベルを貼って収めていく、というイメージです。ときにはこの箱と箱が結びつくこともあります。言い換えると、脳内でいつの間にか「KJ法」(ブレーンストーミングなどによって得られたアイデアを整理し、問題解決に結びつけていく方法)を実践していたり、「脳内キュレーション」が行われていたりして、「知の編集作業」をしているのでしょう。
学生時代、編集者志望でした。大学2年生から大学院生まで、関西では有名な雑誌社でアルバイトをしていて、取材記事を書いていたこともありました。大学ではサークルでミニコミも作っていましたしね。その時から「編集する」ということが、どこか染み付いているのかもしれません。
僕はそうやって情報を整理し、仕事で活用するのはもちろん、SNSなどを通じた発信もしています。発信活動は自分にとってのメリットもあって、知の整理につながります。情報をまとめて伝えたり、誰かへ教えたりする活動は、「脳のデフラグ」を行うことにも等しいのです。デフラグは、パソコン内部のストレージを最適化する処理のことですが、ファイルの保存や削除を繰り返すとデータが分断されて、散らかってしまうんですね。そういったファイルの断片化を解消するための機能が備わっているのですが、まさに脳にとっても似たような作業が必要なのだと思います。
知識をどんどん詰め込むだけではなく、知の編集作業で脳のデフラグをしながら、頭の中を整理していきましょう。僕はBtoBマーケティングに関する私塾をひらいているのですが、自分の頭にある知識を共有することで、まとめる良い機会になっています。
人間の「知」は、生成AI時代でも変わらずに必要
「知」にまつわる話でいえば、ChatGPTをはじめとする生成AIが話題にのぼります。確かに必要な情報を提供してくれたり、何かしらの知識を授けてくれたりするように見えるシステムではありますが、僕は生成AIが人間の「知力」を上げることには貢献しないだろうと考えています。人間自身が知識や教養を身につける術は、今後も必要になってきます。
現状の生成AIは、基本的に対話形式が多いですよね。これはAIに限らず、人間と人間の対話でも同じですが、「対話」は発話する人間と、それを受ける人間が、しっかりとした知識を持っていないと成り立たないコミュニケーションです。
ChatGPTを例に取ると、良いプロンプト(指示文)を人間が送り込まなくては、ChatGPTが良い答えを返してくれることはありません。そもそも、現行のChatGPTは「次の単語を予測し、最も確率が高い単語を返す」という仕組みですから、それを踏まえても発話する人間側の力量によって出力する結果は変わってしまいます。生成AIと良いインタラクションを生むためには、自分もちゃんと知識を持って臨まないといけません。
生成AIに始まったことではなく、Googleは検索エンジンを通して情報へたどりつきやすくはしてくれましたが、検索エンジンそのものが人間を賢くしてくれたわけではありません。人間の「知」が必要であるという前提も変わりません。AIが出してくる回答の精度は人間が判断するほかないですから。検索エンジンと同じように、AIが人間を賢くしてくれることはないでしょう。
ただ、賢くなろうとか、教養を身につけようとか、「学ぶ」ということに重きを置きすぎると体力もいりますし、やはり疲れてしまいます。学ぶ姿勢を無理して作らなくても、僕は「知の貧乏性」になって、とにかく知識を拾って、ためて、整理していくことを、自然と楽しんだらいいんじゃないかと思いますね。
text by Kento Hasegawa / photographs by Takuya Sogawa / interview & edit by Aki Hayashi
Ambitions Vol.4
「ビジネス「以外」の話をしよう。」
生成AIの著しい進化を目の当たりにした2023年を経て、2024年。ビジネスの新境地を切り拓くヒントと原動力は、実はビジネス「以外」にあるのではないでしょうか──。すべてのビジネスパーソンに捧げる、「越境」のススメ。