
これは、スター社員でもなんでもない、普通のサラリーマンの身の上に起きた出来事。ひとりのビジネスパーソンの「人生を変えた」社内起業という奇跡の物語だ。
「まさか、増井さんの父親が…?」
森本は、飯島から聞かされた話に言葉を失っていた。飯島はニヤリと笑みを浮かべながら、残酷な真実をゆっくりと、そして確実に森本の心に突き刺していった。
「ええ、そうよ。実は増井の父親は、昔、この会社で専務を務めていたんだけど。ある日突然、横領の疑いをかけられて会社を追放されたの。黒田さんって知ってる? 昨年退任された元専務の。当時まだ平取だった黒田さんが、自分の出世のために増井さんを追い出すべく横領の疑いをかけてハメたという噂だわ。」
森本は、増井の父親の話を思い出そうとしたが、彼の口から語られたことはなかった。ただ、増井が過去に父親との確執から、長い間実家と疎遠になっていたことを何気なく話していたのを思い出した。
「増井の父親は無実を訴え続けたんだけど、結局、証拠不十分で事件は迷宮入り。その後、しだいに立場を追われて退任に追い込まれ、その代わりに専務になったのが黒田さん。増井さんの家族は周囲からの好奇の目に晒され、増井のお母様は、心労が祟って、寝たきりになってしまったそうよ」
飯島の言葉は、まるで毒蛇が獲物に毒を注入するかのように森本の心を侵食していった。
「かわいそうなことに、増井のお母様は、その後老人ホームに入居せざるを得なくなったんだけど。その施設が、皮肉にも、その黒田が理事長を務める『ひだまりの里』なのよ!」
森本の脳裏に、増井が新規事業のテーマを決める際に、自身の母親の介護経験について語っていた時の苦悩に満ちた表情が蘇ってきた。
(増井さんは、そんな辛い過去を抱えていたなんて…)
森本は、胸が締め付けられるような思いがした。そして同時に、飯島がなぜこんなにも増井の過去を詳しく知っているのか疑問に思った。
「で、でも、飯島さんは、どうして、私にそんなことを?」
森本の問いかけに、飯島は意味深な笑みを浮かべた。
「それはね、森本さん。あなたも関係することになるかもしれないわ…」