
これは、スター社員でもなんでもない、普通のサラリーマンの身の上に起きた出来事。ひとりのビジネスパーソンの「人生を変えた」社内起業という奇跡の物語だ。
「量産化のための技術。そんなもの一体、どこにあるんだろう…」
増井は、会社に戻ってからも、教授の言葉が頭から離れなかった。
「諦めないで、増井さん! きっと、どこかにあるはずです!」
有田は、増井を励ました。しかし、彼女の心にも、不安が渦巻いていた。
二人は、再び、情報収集を開始した。インターネットで関連技術を検索し、業界誌を読み漁り、専門家にも意見を聞いた。しかし、松田教授の新型アクチュエーターを、低コストで、高品質に量産できる技術は見つからない。
「やはり、松田教授ですら糸口が見えないと言っていたんだ。既存の技術では無理なのかもしれない…」
増井は、落胆の色を隠せなかった。
「でも、諦めるわけにはいかないわ…」
有田も、諦めきれない気持ちでいた。
そんな時、増井の様子を探るため、増井たちのチームの近くを訪れてきていた森本が、二人の様子を心配そうに見ながら声を出した。
「あの、もしかしたら、お役に立てるかもしれません。」
森本は、恐る恐るそう言った。彼女は、飯島から、増井たちのプロジェクトを妨害するよう命じられていたが、どうしても増井を裏切ることができなかった。
「森本?」
増井は、森本に視線を向けた。
「以前、私が担当していたプロジェクトで、地方にあるとある工場を視察したことがあるんです。そこは、昔ながらの職人技で特殊な金属加工を得意としている工場でした。もしかしたら…」
森本は、少しだけ間を置いてから続けた。
「松田教授の新型アクチュエーターの量産化に役立つ技術を持っているかもしれません。」
森本の言葉に、増井と有田は、顔を見合わせた。
「森本、その工場の名前は?」
増井は、期待を込めて森本に尋ねた。
「確か、『北山製作所』という名前だったと思います。」
森本は、少し自信なさげに答えた。
「北山製作所?」
増井は、その名前を聞いて何かを思い出そうとした。
「ああ! 確か、うちの会社が、昔取引していた工場だ! でも、たしか今は…」
増井の言葉に、有田が反応した。
「今は、どうしたんですか?」
「今はもうほとんど使われていない、いわば『忘れられた工場』だったはずだ。」
増井は、デスクの上の資料に目を落としながら呟いた。森本から聞いた「北山製作所」という名前は彼の記憶の奥底に眠っていた、懐かしい響きを呼び起こした。
「増井さん、北山製作所とは何か具体的な関係があるんですか?」
有田が、興味深そうに尋ねた。
「昔、営業部にいた頃、何度か足を運んだことがあるんだ。北山製作所は、創業100年を超える老舗の金属加工会社でね。高度経済成長期には自動車や家電製品の部品製造で日本のものづくりを支えていた、名門企業だったんだ。」
増井は、遠い目をしながらそう言った。
「でも、今は?」
有田は増井の言葉の続きを促した。
「時代は変わった。グローバル化の波、そして低コスト化の圧力。北山製作所は時代の変化に対応できず業績は悪化の一途を辿ったはず。取引先も減り、工場は縮小。今ではかつての輝きを失い、忘れられた存在になってしまっている。」
増井は、どこか寂しげな表情でそう言った。
「でも、森本さんの話では、特殊な金属加工技術を持っているんですよね?」
有田は、希望を捨てずにそう言った。
「ああ。北山製作所は、特に微細加工技術に定評があった。ミクロン単位の精度で金属を削り出す技術はまさに職人技だったんだ。その技術が今も変わらず受け継がれ、磨かれているのかどうか。」
増井は、ため息交じりにそう言った。
「増井さん、それでも行ってみませんか? 北山製作所に。もしかしたら、私たちが探している答えがそこにあるかもしれません。」
有田の言葉には、強い意志が感じられた。
「ああ、行ってみよう。ダメ元で…」
増井も、決意を新たにした。
二人は、すぐに、北山製作所へと向かう準備を始めた。
忘れられた工場、北山製作所。そこには、かつての輝きを失った哀愁漂う工場の姿があった。

数日後、増井と有田は北山製作所を訪れていた。かつては活気に満ち溢れていたであろう工場は、今はどこか寂しげな雰囲気を漂わせていた。
「こんにちは、富士山電機工業の増井と申します。以前、お取引させていただいていた…」
増井が受付で名乗ると、応対に出た年配の女性は怪訝そうな顔をした。
「富士山電機工業? ああ、随分昔の話ですね。最近はもうお付き合いはありませんが。」
女性は、冷淡な口調でそう言った。
「あの、実はご相談がありまして。」
増井は、恐る恐るそう切り出した。
「ご相談? 何でしょう。」
女性は、警戒心を解くことなく増井を見つめた。
「私たちは、今、新しいプロジェクトを立ち上げていまして。その中で、御社の技術をお借りできないかと思いまして。」
増井は、慎重に言葉を選びながらそう言った。
「新しいプロジェクト? 私たちの技術?」
女性は、ますます怪訝そうな顔をした。
「ええ。実は、私たちは…」
増井は、深呼吸をしてから自らのプロジェクトについて説明し始めた。指の不自由な方々が再び自由に指を動かし、表現する喜びを取り戻せるような、そんな夢を実現するためのプロジェクト。そして、その夢を実現するために、北山製作所の持つ微細加工技術がどうしても必要であること。
増井の言葉に、女性の表情が少しずつ変わっていくのがわかった。
「なるほど。それは、素晴らしいプロジェクトですね…」
女性は、静かにそう言った。
「しかしうちの工場は、もう昔のような力はありません。それに、今の若い子たちにそんな細かい仕事は…」
女性は、言葉を濁した。
「それでも、構いません! どうか、私たちに力を貸してください!」
増井は、懇願するようにそう言った。
女性の視線が、増井の真剣な眼差しに釘付けになった。彼女は、増井の言葉の中に、かつてこの工場で働いていた職人たちの熱い情熱を感じ取ったのかもしれない。
「わかりました。社長に、お話してみましょう。」
女性は、静かにそう言った。