
これは、スター社員でもなんでもない、普通のサラリーマンの身の上に起きた出来事。ひとりのビジネスパーソンの「人生を変えた」社内起業という奇跡の物語だ。
「森本、一体、どうしたんだ…?」
増井は、静かな病室で、目の前で泣き崩れる森本に戸惑いを隠せない。彼女の肩に手を置こうとするも、ためらってしまう。森本は、増井の問いかけに答える代わりに、ただひたすらに涙を流し続けた。彼女の嗚咽が静かな病室に響き渡る。
増井は、何も言わずにただ彼女の隣に立ち尽くした。彼は、森本が、何かとても辛い状況に置かれていることを直感的に理解していた。
しばらくして、森本はようやく落ち着きを取り戻した。彼女は、涙で濡れた顔を袖で拭うと震える声で話し始めた。
「増井さん、私、あなたに伝えなければいけないことが。」
「何だ? 森本、何でも話してくれ。」
増井は、優しい眼差しで彼女を見つめた。
「私、飯島さんのチームにいます。ネットワーカーズ。」
森本は、苦しそうにそう言った。増井は彼女の言葉に少しだけ驚いたが、すぐに理解した。森本がなぜこんなにも苦しんでいるのかを。
「飯島さんは、増井さんのプロジェクトを、潰そうとしています。」
森本は、そう言うと再び涙を流した。
「飯島さんが、なぜ?」
増井は、理解できない様子で尋ねた。
「飯島さんは、このプロジェクトで成功して、会社で認められたいんです。彼女は、男社会のこの会社で、女性である自分が正当に評価されていないと感じていて、そのためにはどんな手段を使っても結果を出さなければならないと思っているんです。」
森本は断片的に、しかし必死に、飯島の焦りと野心を説明した。増井は、彼女の言葉に複雑な思いを抱いた。
「でも、俺たちのプロジェクトを潰して、彼女に何の得が? ネットワーカーズは俺たちのチームよりもよっぽど前に進んでるじゃないか。」
「実は、黒田元専務が関わっているんです。」
森本の言葉に、増井は再び凍りつくような衝撃を受けた。
「黒田元専務? なぜ、黒田が?」
「黒田元専務は、富士山電機工業を退任後『ヘルスケアデータ・イノベーション』という投資会社を立ち上げたんです。その会社は、ヘルスケアデータのプラットフォームを開発する会社を傘下に収めていて、黒田元専務は、その会社のプロダクト開発に必要となるデータを取得するために、経営難に陥っていた『ひだまりの里』に多額の寄付を行い、理事長に就任したんです。」
森本は、衝撃的な事実を明かした。
「そして、黒田元専務は『ひだまりの里』の入居者のデータを、違法にプロダクト開発に利用しているんです。」
森本の言葉に、増井は怒りで体が震えるのを感じた。黒田元専務は、父親を陥れただけでなく、今度は母親の個人情報まで利用しようとしているのか。
「飯島さんは、黒田元専務と繋がっていて、自らの政治力を活かして富士山電機工業の『ひだまりの里』への寄付と活動支援をねじまげて、黒田元専務の思惑通りに事が運ぶように画策する代わりに、増井さんのお母様に目に見えない健康ストレスを与えることで、増井さんを疲弊させて、プロジェクトの進行を遅らせようとしているんです。」
森本は、泣きじゃくりながらそう言った。
増井は、彼女の言葉を聞いて、全身がこわばっていくのを感じた。黒田元専務と飯島は、自分と母親を徹底的に追い詰めようとしているのだ。
「許せない、許せない、絶対に、許せない!」
増井は心の中でそう叫んだ。父親の無念を晴らすため、母親を守るため、そして黒田元専務と飯島の悪事を暴くため、必ずこの戦いに勝たなければならない。
「森本、教えてくれて、ありがとう。」
増井は、森本の手に触れそう言った。彼の瞳には、強い決意が宿っていた。