2023年3月期から上場企業を対象に人的資本の情報開示が義務化されるなど、人材を資本と捉えて企業価値の向上につなげる「人的資本経営」が企業経営の重要なテーマになっている。しかしその実践にあたっては、経営層から担当者レベルに至るまで、「何から手をつけたらいいかわからない」という声も多く聞かれる。今回は、人的資本経営に取り組む第一歩として有効なマネジメント手法「タレントマネジメント」の効果と成功のカギについて、カオナビの野田和也氏に解説してもらった。
野田和也
株式会社カオナビ アカウント本部 エンタープライズビジネス部 部長
慶應義塾大学卒業後、新卒で大手コンサルティング企業に入社し、デジタル部門のコンサルタントとしてCRMプロジェクトなどを担当。その後カオナビに入社、開発からセールス・サポートまでの事業戦略策定に従事。マネージャーとして、多数の自治体、エンタープライズ企業を支援した後、同部門の部長に就任、現在に至る。
1990年代から欧米で提唱される「タレントマネジメント」
生産性の低下、少子高齢化といった日本経済のマクロトレンドの変化を踏まえ、経済産業省による「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会 報告書(通称、人材版伊藤レポート)」では、経営における人的資本の重要性を訴えている。そこでは具体的に、CHRO(最高人事責任者)の設置や、全社的経営課題の抽出など、企業の取り組むべきアクションが掲げられた。
そんな中で有望視されているのが、従業員(タレント)が持つ能力やスキルといった情報を重要な経営資源として捉え、採用や配置、育成に活用し、従業員と組織のパフォーマンスの最大化を目指す人材マネジメント手法、「タレントマネジメント」だ。
欧米ではタレントマネジメントについて、1990年代から提唱され始めている。1997年から2000年にかけてアメリカの大手コンサルティング会社、マッキンゼー&カンパニーが実施した人材の獲得・育成に関する調査結果をまとめた『The War for Talent(ウォー・フォー・タレント )』は、その言葉とともに注目を集め、欧米企業で一気にタレントマネジメントが浸透することとなった。
しかし、海外と日本では雇用形態や働くことに対する価値観が大きく異なるため、欧米のタレントマネジメントのやり方を踏襲することは難しい。実際に企業の担当者と話をすると、「何から始めたらいいかわからない」「とりあえず管理システムを導入したが使いこなせない」といった声も聞こえてくる。
タレントマネジメントを成功させる3つのポイント
では、タレントマネジメントはどのように実施すれば成功するのか。3つ、ポイントがある。
ひとつめに大切なのは、何を実現したいのか、目的を絞ることだ。社内優秀層の抜擢・育成や、人的資本の情報開示項目の改善といった、具体的に取り組みたいことを明確にする。また会社として、「求める人材像」を定めることも有効だ。自社における「優秀な人材」の定義を明確にし、どのような人材を採用・育成したいかがわかると、とるべき対策も見えてくる。
ふたつめは、経営陣および現場を巻き込むこと。人事がデータを分析するだけにとどまり個々の社員に影響がなければ、会社にもインパクトはない。データをもとに効果的な施策を打てるよう、現場と密に会話していくことが重要だ。大手企業の場合などは、現場の細部までケアできないこともあるかもしれない。その対策として、事業部毎に人事担当者を置いたり、戦略人事のプロを外部から招聘したりする企業も増えている。
3つめは、スピーディーに運用を変えていくことだ。タレントマネジメントが事業に寄与するよう、PDCAサイクルを回していく必要がある。一方で、勤怠管理のシステムなどと違い、管理ツールを導入すればそれだけで効果が現れるものではない。PDCAサイクルの期間・頻度を細かく・高くするために、経営陣や現場の声を常に集め、それを即座に運用に反映していく体制の構築が欠かせないのだ。
タレントマネジメントで生まれる「長期的な効果」とは
タレントマネジメントを導入すると、効果は社内外に現れ始める。
まずは、組織内での効果だ。特性やニーズに合わせて目標設定や育成を行うため、従業員自身の成長に加えて、逆に従業員から企業に対する信頼が厚くなる。各人の成果が上がることに加えて、企業への定着率が高まるのだ。
組織に好影響が現れると、顧客満足度も高まる。従業員のエンゲージメント向上の結果、顧客とも長期的に良好な関係を築けるためだ。顧客満足度は数値として計測しづらい指標ではあるが、タレントマネジメントの効果として、見逃せないものだと言えるだろう。
また、採用や育成コストの削減も期待できる。タレントマネジメントにより、外部からコストをかけて人を採用する必要がなくなる。既存社員であればカルチャーマッチが済んでいるので、抜擢により新部署に異動した際も研修などをせずに済み、育成コストを減らせる。
もちろん、外部人材を採用して組織を強化することも重要な人事戦略だろう。その際も、先述の社内における「優秀な人材」の定義が済んでいると、外部人材を採用する際のミスマッチ防止に寄与する。これもタレントマネジメントの効果だ。
長い時間軸で取り組む先には、売上や利益、コストに対する効果も現れてくる。アメリカでは、社員のエンゲージメントと企業の売上や利益が相関するといった調査結果も出ている。経営目標や戦略の方向性と合致させたタレントマネジメントの取り組みは、企業の生み出す利益によい影響をもたらすのだ。
タレントマネジメントの本質は、ただデータを可視化し、分析することではない。「本人や管理職などの現場に活用し、実際に1人1人のエンゲージメントや生産性が上がる」ことだ。すぐに実践し、効果を得たいという人も多いだろうが、時間がかかっても正しいやり方で行うことが近道。データの可視化と企画立案、そして実行・評価というステップを、ぜひ自社に合わせて実践してみてほしい。
text by Azusa Izawa / edit by Tomoro Kato / Illustration by Kaonavi