IMD北東アジア代表・高津尚志氏がリーダーたちに伝えたい、本物のポジティビティとは

林亜季

世界のビジネスリーダーを長年育成、輩出してきたスイスのビジネススクールIMD(International Institute for Management Development)で北東アジア代表を務める高津尚志氏に話を聞いた。 果たして世界はポジティブな方向に進んでいると言えるのか──。 時代を切り拓く人に宿る「ポジティビティ」の正体を尋ねたところ、特集のテーマ自体を見つめ直す示唆を得た。果たして、本物のポジティビティとは一体何なのか?

高津尚志 

IMD北東アジア代表

IMDの日本・台湾・韓国における代表。日本企業のグローバル経営幹部の育成施策の設計や提供に従事。早稲田大学政治経済学部卒業後、1989年に日本興業銀行に入行し、その後ボストンコンサルティンググループ、リクルートを経て現職。 主な共著書に『なぜ、日本企業は「グローバル化」でつまずくのか』『ふたたび世界で勝つために』(ともに日本経済新聞出版社)、訳書に『企業内学習入門』(シュロモ・ベンハー著)がある。

このインタビューのお話をいただいたとき、「ポジティビティ」という企画のテーマにいささか違和感を覚えました。今の日本と世界の状況を鑑みれば、必ずしも手放しでポジティブになれる状況ではないからです。

株価が上がり、インバウンド需要も復活して、日本の経済状況は一時的に良くなっているように見えますが、言うまでもなく、低成長が長く続いています。絶望的な少子化、人口減少、財政危機。2023年夏の酷暑では、気候変動の加速を目の当たりにしました。周辺地域の地政学リスクも高まっていますしね。

そういった中で、海外に移住したり、日本の制度外の教育を子供に受けさせたりと、ある種「日本脱出」のような動きも出ています。

この6月末、IMDのOrchestrating Winning Performance(OWP)に参加しました。世界47カ国から約450人のエグゼクティブが集まって、5日間ともに学ぶプログラムです。私も、この12年OWPに毎年参加し、世界の「変化(change)」を定点観測してきましたが、人々の価値観が大きく変容する「移行(transition)」期が始まっているのだ、と痛感しました。

グローバル化の変質、生成AIの台頭、持続可能性の危機。こうした出来事が、人々のものの見方を変え「移行」へとつながっている。様々な意味で変わってしまった世界で、私たちはどう生きていくのか、あるいは、どうビジネスをしていくのか。

地球環境や気候変動の問題は悪化の一途をたどり、地球の限界「プラネタリーバウンダリー」を一部で超えてしまっています。このままだと様々な要素が連鎖反応し、壊滅的な状況を起こすと警鐘を鳴らす専門家もいます。様々な国が議論を重ねてきましたが、国際的な合意に達するのは極めて難しい状況で、この流れを押しとどめる見通しは、まだ立っていません。

今年のOWPで、「脱成長(degrowth)」 がテーマのセッションがありました。IMDの二人の教授が勇気を持って開講し、エネルギーや資源の使用を計画的に減らし、経済と生物界のバランスを取り戻すことを提唱していました。ビジネススクールで脱成長が議論されるようになるなんて、まさに「移行」の兆しと言えるでしょう。

私たちはしっかり目を開けているか

こうしてざっと挙げただけでも、ネガティブな状況へ向かっているのは明らかでしょう。そうしたことを知ろうとせず、見ようともせずに、単にポジティブな状態でいること自体、ある意味、無責任なことではないかと私は思うのです。

ジョン・レノンがビートルズ時代に書いた『Strawberry Fields Forever』の歌詞で、「Living is easy with eyes closed. / Misunderstanding all you see.」という一節があります。「目を閉じていれば人生はイージーだよね。あるいは見ているもの全てを誤解しているなら」と歌っています。

イージーに思えるのなら、大事な何かを見ていないか、誤解している可能性がある。しっかり目を開けて、そこに何か見えるものがあるか、それが何かを理解しているか、理解したら何をするべきかを、自分に絶えず問いかけたい。わかりやすい正解もありませんし、解決も決定もままならないことが多いでしょう。そんな「迷い」続きの中で、それでも時に立ち止まって考える。そしてできれば本質的な「移行」に取り組む、そういう力が、今の時代の本当のポジティビティではないかと、私は思います。

アンビバレントな世界で、 求められる「両利き性」

こういった状況で、私たちは今まで以上に「両利き」というものを志向しなければならなくなるでしょう。「両利きの経営」で知られるようになりましたが、「深化」と「探索」の両立という意味で語られることが多いです。IMDでは深化は「optimize the core」、既存事業・中核事業の最適化、探索は「create in the new」、新しいものを創造することとしています。

一方を進めながらもう一方も進めるというのは、極めてアンビバレント(相反する)な状況です。多くの企業やリーダーが、この両立に苦しんでいますが、実はビジネスに限らず、様々な場面で「両利き」的なものが求められ、広がっていると思っています。

気候や地球環境の領域では、変動の緩和と、変動への適応、という二つを同時並行で取り組んでいます。成長を前提とした資本主義と、脱成長も含んだ新しい社会経済システムをめぐる議論も盛んに行われています。効率性を重視し、デザインは米カリフォルニア、製造は中国といったような従来のグローバル化が、地政学リスクの高まりを背景に、関係性を重視した地域化や脱グローバル化に変わりつつあります。

身近な例で言うと、東京集中から、地方への移住や二拠点生活に「移行」する人も増えましたよね。日本でも副業を認める企業が増えましたが、収入を得る本業と、経験や喜び、パーパスの充足のための副業という「両利き」もある。「結婚したら一人前」という価値観のほかに「選択的シングル」という価値観も生まれている。いろんなアンビバレンスがあるわけです。

コロナ禍以降、人々の意識の変化、テクノロジーの変化、環境の変化が起き、いやがおうにも「移行=トランジション」を迫られ、なんらかの「両利き」を発揮しなければならなくなった人はたくさんいるでしょう。ともあれ、利き手だけに頼ったやり方では、行き詰まることは見えています。

これからは楽観だけのポジティビティでは、信頼に足らないとみなされ、支持が得られない時代になっていくのではないでしょうか。であればむしろ、いま、ここで起きている変化に目を向けて、「移行」期に必要なポジティビティとは何なのかを、探っていくほうが意味があると思いませんか。

起き始めている価値転換

これまでのパラダイムで経済価値を創造した富裕層が、様々な消費や所有をしています。この富裕層の消費や所有によって、世界の環境負荷の大部分が引き起こされていることが科学的にわかっています。プライベートジェット、巨大な邸宅で使われる資源、環境負荷の高い車の複数台所有、極めて環境負荷が高い牛肉の生産と消費……。その人たちの消費を支える産業があって、そこでもたくさんの資源を使い、CO2を排出しています。「ファスト経済」の負の側面です。

脱成長論者は、プライベートジェットや環境負荷の高い車、牛肉の消費を禁止すべきじゃないかと言います。そうすると、これまでのパラダイムでの経済価値の創造、富の獲得、そして消費や所有の在り方全体が問われることになる。これまでのやり方が本人の自己充足感を伴うのか、周囲の羨望の対象となるのか。むしろ訝しみや反感の対象になっていくのではないか。実際に世界的に価値転換が起き始めていますよね。

経済価値と社会価値の両立を追求している人や組織も当然あって、また富の獲得だけでなく、深い人間関係や信頼関係を築き上げる「関係資本」を重視する動きも起きています。いわゆる「スロー経済」に対する希求や憧れが起こっている。そんなトランジションも発生していますね。

若い世代の中には、最初からスロー経済を志す人もいるかもしれないし、世代を問わず、今はファスト経済に取り込まれているが、これからどうしたらいいか、と悩む人もいます。例えば、環境負荷の大きい車をこれ以上作り続けるべきなのか、そもそも売り切りモデルを持続すべきなのかどうか。モビリティ企業は、そこから考え直さないといけないタイミングにあるのかもしれません。

わざわざ悲観的になりたいわけではありません。でも、私自身はこういう状況で、一方的に楽観的な、おめでたい心境にはなれない。私が関わるリーダーの多くも、迷いながら、戸惑いながら生きています。

この30年、日本の幸せの総量は減ったのか

先日、興味深い論文を読みました。『Is happiness possible in a degrowth society?』というタイトル。これまでのような成長が見込まれなくなった先進諸国で、人間は幸せでいられるのか。そんなテーマを探っていました。

この論文が分析の対象にした国が、日本でした。この約30年、経済的な成長が見られなかったこの国に暮らす人々が感じる主観的ウェルビーイングの変遷から、今後の世界への示唆が見えてくるかもしれない、と。

では、日本の人たちの「幸せ」の総量はどうだったのでしょうか。論文によると、この30年、日本人のウェルビーイングの程度はほぼ変わらずに来たそうです。変わったのは、どんな状態がウェルビーイングなのか、という「中身」でした。自分の成長や繁栄への希求といったものから、仲間と生きるといった、よりコミューナルな意識が高まり、そこに関する満足度が高まっている、と。「日本人は、幸せの定義を変えることを通じて、脱成長に適応している」。論文ではそう結論付けていました。

ひと昔前の幸せの定義と、今の幸せの定義が違ってきている。低成長でも幸せの総量はそれほど変わらなかった。自分は上ばかり見てきたけれど、本当はどういう幸せを求めているのだろうと改めて考えてみたり、家族や友人、一緒に働く人たちは、本当はどんな幸せを求めているのだろうかと思いを巡らせたり。論文の示唆からは、それまでの「幸せ」をとらえ直すヒントが見えてきます。

今まで「移行」をキーワードにお話してきました。個人の意識変容のプロセスを可視化した 「トランジション理論」によると、人間の「移行」には3つの段階があるそうです。「終わり」から「ニュートラルゾーン」、そして「新たな始まり」。

「終わり」と言っても、様々です。離職や離婚、左遷といった辛い出来事もあれば、昇進や結婚など、一見いい変化でも、一つの現実の「終わり」になりえます。それまでの現実に紐づいていた価値観は揺らぐことになるからです。真の意味の「新たな始まり」までには結構時間がかかります。

その間の「ニュートラルゾーン」は、宙ぶらりんの状態で、ここで自分の価値観も大きく変わるのです。自分が成長したり成熟したりすることによって起こる変化もあれば、外部環境、社会、世界の変化が起こすものもある。この時期はどうしても不安になりますし、さっさと逃げ出したいと思うものです。だから新しい仕事や人間関係に飛びついてしまうのですが、意識や価値観の転換が不十分なままだと、新しい環境を活かせきれず、同じ失敗を繰り返しやすいと言われています。

実は「移行」は、価値観や関係性が変わり、新たな成熟や成長に向かう、人生に豊かな実りをもたらすプロセスです。社会から取り残された感覚が生まれやすいこのニュートラルゾーンの時期に、どうポジティビティを維持するのかはとても重要です。

ポジティブとは逆の言葉ですが、「ネガティブケイパビリティ」という考え方も紹介します。不確実なもの、未解決なものを受容する能力と言われており、答えの出ない事態に耐える力です。まさにアンビバレントな状況でもクラッシュしない力です。自分の学習能力、変化・成長・成熟への可塑性を信じるグロース・マインドセットも、また適切な食事、睡眠や運動といった生活習慣も役に立つでしょう。

最後に、成功した起業家たちに共通する、手持ちの手段から新しいゴールを発見していく問題解決型アプローチ「エフェクチュエーション」をご紹介します。自分の価値観や手札から何ができるかを考えて、変化する環境に対応していく。特に、自分の手札を洗い直し、使えるものはどんどん活かす、という考え方は移行期に役立ちます。

IMDのExecutive MBAに在籍する経営幹部が6月に来日したとき、生け花のセッションを提供しました。西洋のフラワーアレンジメントが、ある一定の形(ビジョン)を作るために花や葉を材料として使いがちなのに対し、生け花の講師は、「花や葉と対話をして、どうしたら一番美しく活かせるかを考えなさい」と教えました。まさに「花を生かす」。このアプローチはエフェクチュエーションに近いです。頭の中であらかじめ考えた世界観を形にするプロセスとは違って、私自身は対話と作業の中で自分が作りたいもの、表現したい世界観が出現してくるのを感じました。移行期に役立つ考え方だと思います。

私自身、世界の情報に触れたり、各国の企業のリーダーと対話したりする中で得た、様々なファクトや洞察を、日本社会に伝えていくことができます。厳しく、目を背けたくなるような事実もありますが、それを伝えていくのも自分の役割だと思っています。

一方で、日本から世界へ発信していくことにも貢献できます。例えば日本の伝統文化の方法や思想には、持続可能な社会やビジネスを実現させるためのヒントがたくさんあります。それらを抽出して世界に展開することも可能で、ある意味これが私のエフェクチュエーションともいえます。厳しい状況ですが、私自身が前向きに貢献できることを、世界と日本の多くの仲間と進めていきたいと思っています。


※IMD(International Institute for Management Development)

スイス・ローザンヌに本拠、シンガポールにもキャンパスを置き、世界に展開するビジネススクール。エグゼクティブ(経営幹部)教育に強く、日本でも多くの先進企業の幹部育成と変革を支援。少数精鋭のMBAは持続可能性を追求するリーダー育成で名高い。また、「企業がどれだけ持続的な価値を創出しやすい環境か」を国ごとに測る「世界競争力ランキング」を1989年から毎年発表、国家政策にも影響を与えている。


text & edit by Aki Hayashi / photographs by Takuya Sogawa

Ambitions Vol.3

突破するポジティビティ

表紙は大人気芸人、さらば青春の光の二人。昨年の年商3.7億円。ビジネスメディアで初めて明かす「最小組織で最大の結果を出す仕事論」とは? 第1特集「突破するポジティビティ」では、人と組織の「ポジティビティ」をフィーチャー。 日本を代表するビジネスリーダーが持つポジティビティや、安田大サーカス クロちゃんら「ネガティブに屈しない人」の秘密を紐解く。 第2特集「人的資本経営の罠」では、人的資本経営の第一人者・伊藤邦雄氏(一橋大学名誉教授)の対談企画も。3部構成で人的資本経営の本質的な論点を探る。

#組織変革#イノベーション

著者紹介

林亜季

Ambitions編集長

朝日新聞社にて経済部記者や新規事業などを経験。ハフポスト日本版 Partner Studio チーフ・クリエイティブ・ディレクター、Forbes JAPAN Web編集長、AlphaDrive 統括編集長/Ambitions編集長を歴任。株式会社ブランドジャーナリズムを設立、代表取締役を務める。

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最新号

Ambitions Vol.5

発売

ニッポンの新規事業

ビジネスマガジンAmbitions vol.5は、一冊まるごと「新規事業」特集です。 イノベーターというと、起業家ばかり取り上げられてきました。 しかしこの10年ほどの間に、日本企業の中でもじわじわと、イノベーターが活躍する土壌ができてきていたのです。 巻頭では山口周氏をはじめ、ビジネスリーダー15組が登場。それぞれの経験や立場から、新規事業創出の要諦を語ります。 今回の主役は、企業内で新規事業を担う社内起業家(イントラプレナー)50人。企業内の知られざる新規事業や、その哲学を大特集します。 さらに「なぜ社内起業家は嫌われるのか?」など、新規事業をめぐる3つのトークを展開。 第二特集では、新規事業にまつわる5つの「問い」を紐解きます。 「企業内の新規事業からは、小粒なビジネスしか生まれないのか?」「日本企業からイノベーターが育たない。 人材・組織の課題は何か?」など、新規事業に関わる疑問を徹底解説します。 イノベーター必携の一冊。そろそろ新しいこと、してみませんか?