
これは、スター社員でもなんでもない、普通のサラリーマンの身の上に起きた出来事。ひとりのビジネスパーソンの「人生を変えた」社内起業という奇跡の物語だ。
新規事業コンテストの一次審査通過発表の後、社内掲示板には各チームの通過結果が次々と掲示されていった。その中には、「ギアーズ」や「ネットワーカーズ」の名前も見えた。
ギアーズのチームリーダー、荒川正志は審査通過の報告を受けると、電話越しに静かに一礼した。
「一次審査通過、おめでとうございます。」
と伝えられると、荒川はただ頷いた。
「ありがとうございます」
しかし、その表情はいつもの落ち着きの上に、一層の気合いを帯びていた。
一方、ネットワーカーズのリーダー、飯島真理は審査通過の報告を受けると、大きな声で歓喜の声を上げ、部下たちと抱き合った。
「初エントリーでこの結果、私たちすごいわよ!」
彼女は瞳を輝かせてその成果を強調した。

社内掲示板には、その他にも続々と審査通過チームの名前が出てきた。「ブレインストーム」「アイデアエンジン」「ビジョナリーズ」それぞれが持つ個性や特技がこの新規事業コンテストをより一層盛り上げ、次のステージへの戦いがさらに熾烈なものになることは間違いなかった。
通過したチームの一覧を眺めながら、有田と増井は、まだ自分たちの通過が実感できないままだった。そこへ増井の同期でコーポレート戦略課長の川島がやってきた。
「有田、増井、一次審査を通過したんだってな。おめでとう。」
川島は微笑みながら、鋭い眼差しを二人に向けた。
「でも、エントリーした案はほとんど通過してるらしいな。なにせ、エントリー数が少なかったらしいからな。」
その言葉に有田と増井は呆然とした。
「え、そうなんですか? だから私たちの案が通過したんですか?」
有田が驚きの表情で聞き返すと、川島は軽く肩をすくめて答えた。
「そうみたいだな。まあ、新規事業なんかより、本業の大きな仕掛けだよ。俺が今手がけているグローバルコネクト社との業務提携の方がずっと価値も可能性もあるぜ。」
その業務提携とは、川島が全力を注いでいる新たな電子機器部品の大型製造工場に関する取引だった。この提携により、富士山電機工業は電子機器部品の供給力を大幅に増強し、市場での競争力を一段と上げることができる。この一手が、富士山電機工業の将来を左右する可能性があると信じる川島は、それを自身の手で成功させることに熱中していた。そして彼はさらに続けた。
「個人向けの健康支援なんて、儲からなそうだし、富士山電機工業がやることじゃないだろう。それに比べて俺のプロジェクトは富士山電機工業の本業に直接大きな利益を見込むことができる。それこそがビジネスだ。」
川島の言葉は増井の胸を深く刺した。しかし増井は固く口を結び、凛とした表情で川島を見つめた。その目は、傷つきながらも、確固たる信念を見せていた。川島は自分の言葉に満足そうな表情を浮かべ、去っていった。

川島の背中を見送る二人。
「私たちの案が特別だから通過したわけじゃなかったんですね。」
有田がそうつぶやくと、増井はそれに答えた。
「通過した理由なんてなんだっていいじゃないか。とにかく、このチャンスを掴んで必ず形にしよう。」
これまでの増井とは、明らかに違う姿勢の強さが芽生え始めていた。
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