都市再生プロデューサーの清水義次氏が提唱し、地域の再生手法として全国各地で取り組まれている「リノベーションまちづくり」。その第1号が北九州市の小倉魚町だ。遊休不動産を活用し、事業や雇用を創出・集積させることでコミュニティを再生させた北九州市の事例は、全国各地が追随するモデルとなった。小倉魚町で生まれたNew Waveはどのように伝播していったのか。リノベーションまちづくりのキーパーソン・遠矢弘毅氏に話を伺った。
遠矢弘毅
株式会社ユナイトヴィジョンズ 代表取締役/北九州家守舎 代表取締役/北九州市立大学大学院特任教授/café causa オーナー
株式会社九州リクルート企画(現リクルート)や会計事務所等を経て、2006年財団法人北九州産業学術推進機構でインキュベーションマネージャーに就任。2010年にcafé causaを開業し、2012年株式会社ユナイトヴィジョンズを設立。2010年から北九州市のリノベーションまちづくりに携わる。
新しい動きに、積極的に巻き込まれる
──遠矢さんがリノベーションまちづくりを始めたきっかけを教えてください。
いろんな偶然が重なっているのですが、まず僕は2010年に“人と情報が集まって化学反応を起こす場”としてインキュベーションカフェの「café causa(カフェ カウサ)」を開業しました。
開業前の4年間、僕は北九州産業学術推進機構のインキュベーションマネージャーとして、起業したい人や経営者のサポートをしていたから、かなりの数の起業家や予備軍のネットワークを持っていたんですね。
causaは民間のインキュベーション施設という位置付けでつくったので、オープン当初から起業家や新しく何かを始めたい人たち、アーリーアダプターが集まる場として機能していました。
それと同時期に、北九州市が空き物件問題を解決すべく「小倉家守構想検討委員会」を立ち上げて、都市再生プロデューサーの清水義次氏を中心とした勉強会を開くようになったんです。講師陣は面白い人ばかりでcausaのお客さんもいたので、僕も勉強会に顔を出すようになったのが、リノベーションまちづくりにつながる最初のきっかけでした。
だから、「この街をこうしよう」といった強い思いを持っていたわけではなく、面白い人たちが集まって新しい動きをし始めたから、僕も積極的に巻き込まれにいったというのが実情です。
参加者が続出した、リノベーションまちづくり
──最初に取り組んだのは、空きビルのリノベーションですよね。
委員会発足から1年後の2011年に、委員会のメンバーで空きビルのオーナーがビルをリノベーションし、安い家賃で若者がチャレンジできる場として「メルカート三番街」をオープンさせました。僕はそこへの入居者探しをお手伝い。この施設がリノベーションまちづくりの先行事例になりました。
その後は半年に1回、全国からリノベーションやまちづくりに携わる著名な方を講師に招いて「リノベーションスクール」を開催。これは、実際の物件のリノベーションプランを考え、物件オーナーにプレゼンするというスクールです。
ただ、プレゼン後に事業化して自走させる仕組みがなかったので、株式会社北九州家守舎を設立。資金調達から事業プランのブラッシュアップ、人材採用など自走できるまでの全てを北九州家守舎がサポートしたことで、最初のリノベーションスクールから半年後に、初の事業化が実現しました。
当時の小倉はまちづくりの先駆者たちが全国から集まっていたこともあって、常に最先端の情報が舞い込む状態でしたし、スクールに参加したい人や活用してもらいたいビルのオーナーから次々と声が掛かるようになり、リノベーションできる物件がある限り、いくらでも事業を増やせるような“お祭り”状態でした。
100を超える事業創出。まちづくりは人づくり
──リノベーションまちづくりが徐々に浸透し、街が熱狂に包まれていったのですね。
そうです。街の至るところで空き物件に命が灯り始め、本当にお祭りでした。というのも、僕らは街のために大看板を掲げて旗を振ったのではなく、自分たちが楽しみながらいろんな事業を大量につくり続けたから「こういう風にやればいいのか。面白そう」と、いろんな人が追随し始めたんです。人と人とのつながりがうまく機能した瞬間でしたね。
放置されていたビルを小分けにしてシェアオフィスやコワーキングスペースとして提供したときは、「初めて自分の事務所を持ちました」という人が大量に発生しました。長屋を改装したときは、美容室やカフェ、図書館などを始める人たちが次々と生まれ、ある日突然「友人が雑貨屋のオーナーになった」という事象も珍しくありませんでした。
新しい事業が100を超える勢いで発生したことで、スモールビジネスを含めて起業に対するハードルは一気に下がり、さらにみんなが新しいことを始めるようになった。それが結果的に小倉の街に人通りを復活させたのです。
自分たちの街を楽しい街にしようと面白がって取り組んでいたら、後に続く人たちがたくさん生まれたというのが、僕らが取り組んだリノベーションまちづくりの全貌。まちづくりは“人づくり”であることを実証したと思っています。
一方で、街に人通りと活気が戻ったことで地価が上がり、小倉は再開発が始まることになりました。そうなるとスモールビジネスを含めて立ち退く可能性もありますが、それでも街で挑戦する人を100人単位で創出できたのは、未来に向けての大きな価値。最近では、僕らの20歳下の世代にもリノベーションまちづくりは受け継がれていますよ。
持続可能なまちづくり。大切なのは好奇心
──北九州市のように、新しいことを始める人に追随する人が増えるような街をつくるために大切なことは何でしょうか。
「好奇心」だと思います。causaも「お酒を飲みながらいろんな人と話ができるらしいよ」という噂が噂を呼んで、好奇心を持った人たちが集まる場になりました。加えて、チャレンジをして失敗したときに「そんなこともあるよね」と失敗に寛容な街になればチャレンジする人は増えるはず。
僕は、せっかちに答えを求めず、不確実さや懐疑の中にいられる能力を意味する「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉が好きで、これは答えがない時代における重要な要素になると思うんです。
顕著な例に「炎上」がありますが、俯瞰したら「この人の意見もわかる」「こういう考え方もあるよね」と気づく。そういう人の比率が増えていくと新しい発想やチャレンジが生まれやすくなると思いますし、その比率が高い街に興味を持つ人が増えていくと思っています。
──これから遠矢さんがやりたいことは何でしょうか?
北九州、沖縄、東京、北海道、そして故郷・鹿児島に拠点を持って、仕事のような旅のような移動をしつつ、いろんな地域の人と関わり合う人生を送りたいと思っています。もしかしたら、各地で面白い人と出会って仲間を集めながら会社を立ち上げ、稼いだお金を他に還元するようなパイプ役になるかもしれない。いずれにしても、自分が本気で楽しんでいたら、いつの間にか周りを巻き込んで大きなうねりに変わっていくような、そんな人生を歩み続けたいです。
text & edit by Tomomi Tamura / photograph by Shogo Higashino
Ambitions FUKUOKA Vol.2
「Scrap & Build 福岡未来会議」
100年に一度といわれる大規模開発で、大きな変革期を迎えている、ビジネス都市・福岡。次の時代を切り拓くイノベーターらへのインタビューを軸に、福岡経済の今と、変革のためのヒントを探ります。 また、宇宙ビジネスや環境ビジネスで世界から注目を集める北九州の最新動向。TSMCで沸く熊本をマクロから捉える、半導体狂想曲の本質。長崎でジャパネットグループが手がける「長崎スタジアムシティ」の全貌。福岡のカルチャーの潮流と、アジアアートとの深い関係。など、全128ページで福岡・九州のビジネスの可能性をお届けします。